糸満からスタートして、最終目標の平和祈念公園まで行脚。
途中何箇所か休憩をとりながら慰霊碑を回って来ました。
最後の方は体力の限界を感じ、気力のみでなんとか歩ききることが出来ました。
沖縄師範健児之塔から先は激しく急な階段が続く。
登りきれない・・・
もう本当に限界・・
なんとか上りきるとそこには眩いばかりの青い海と白い砂浜、焼き尽くすようなジリジリとした日差しと心地よい海風。
その中に「黎明の塔」がひっそりと建ってました。
急に心が痛み出し、どうしようもない悲しみに涙が出そうになりました。
今自分が歩いてきた道を、当時の人たちは「鉄の暴風」と呼ばれる砲弾の嵐の中を
必死で逃げ延びて、この最終決戦の地で命果てた・・・・
この丘から何百人の人が身を投げたのだろう。
この焼け付くような日差しの中、十分な食料も水も無く、死の恐怖に怯えてうずくまっていたのだろう。
どんな気持ちでこの綺麗な海を見ていたのか・・・・
下にある防空壕は火炎放射で出来たと思われる黒い焦げで、今でも真っ黒になってます。
ひめゆりの塔の近くに魂魄の塔という慰霊碑が建ってます。
ほぼ沖縄最南端にあります。最初は穴を掘って遺体を入れていったそうですが、数が多すぎて積み上げていって出来た塔です。
今では沖縄と言えば日本有数の観光リゾート地になってますが、こんなにも悲しい歴史があったことを忘れないで欲しいと思います。
途中何箇所か休憩をとりながら慰霊碑を回って来ました。
最後の方は体力の限界を感じ、気力のみでなんとか歩ききることが出来ました。
沖縄師範健児之塔から先は激しく急な階段が続く。
登りきれない・・・
もう本当に限界・・
なんとか上りきるとそこには眩いばかりの青い海と白い砂浜、焼き尽くすようなジリジリとした日差しと心地よい海風。
その中に「黎明の塔」がひっそりと建ってました。
急に心が痛み出し、どうしようもない悲しみに涙が出そうになりました。
今自分が歩いてきた道を、当時の人たちは「鉄の暴風」と呼ばれる砲弾の嵐の中を
必死で逃げ延びて、この最終決戦の地で命果てた・・・・
この丘から何百人の人が身を投げたのだろう。
この焼け付くような日差しの中、十分な食料も水も無く、死の恐怖に怯えてうずくまっていたのだろう。
どんな気持ちでこの綺麗な海を見ていたのか・・・・
下にある防空壕は火炎放射で出来たと思われる黒い焦げで、今でも真っ黒になってます。
ひめゆりの塔の近くに魂魄の塔という慰霊碑が建ってます。
ほぼ沖縄最南端にあります。最初は穴を掘って遺体を入れていったそうですが、数が多すぎて積み上げていって出来た塔です。
今では沖縄と言えば日本有数の観光リゾート地になってますが、こんなにも悲しい歴史があったことを忘れないで欲しいと思います。