卵巣嚢腫の手術の続き。
【卵巣嚢腫】
【卵巣嚢腫 続き】
手術室が冷蔵庫みたいに寒かった。
手術が始まる時は狭い手術台に乗り、オペメンバーがたわいもない会話をしてくれていて、お腹全体に冷たい液体で消毒が行われた。
私はアルコールアレルギーだからアルコールが使えないので、それに変わる何かを塗ってくれていた。
看護師に点滴をされ「10秒をゆっくり逆から数えてくださいね。」
私は声に出して「10.9.8.7.6.5.4.3....」とカウントし、気づいたら手術は終わっていた。
お腹に3kgのガスを入れお腹の中を空洞状にして行われ、お腹はパンパン。
気づいたら担架でエレベーターで部屋までの移動の最中だった。
移動中、体が寒い、と看護師に伝えたいけど声が振り絞っても出ず
「い、、、い、、、あ、、」
としか出せなかった。
移動の時には母も一緒にいて
「頑張ったね、おわったよ、大丈夫?」とか母は言ってたけど、まだ少し頭がぼーっとして、とにかく寒くて聞き取る余裕はなかった。
部屋に運ばれて担架からベッドに移動させられ、声を振り絞って言った。
「寒い!」「寒い!」「お願い!」
母が私の額に手を置き看護師に
「こんなに冷たくなることあるんですか?すごく冷たくなってます。」とすすり泣きながら看護師に伝えていた。
するとリエゾンチームも集まり看護師が電気毛布を持ってきて、電気毛布で私の体を包んだ。
電気毛布は表面が温かくても体の芯が寒すぎるのだ。
その間も母の我慢しながらも、すすり泣く音が聞こえていて、母は私に近づいてこう言った。
「お母さん明日仕事だから帰るね。JJblueと約束したもんね。
お母さん帰るからね。」
母は私の頬をさすって言った。
私は「大丈夫、ありがとう、ごめんね。」
寒さのあまり歯がガタガタ鳴ってたので伝わってたのかは分からない。
リエゾンチームの中を取り仕切るリーダーみたいな貫禄のある頼もしい女性が言った。
「彼女は睡眠薬を服用してるから、すぐに(なんちゃらかんちゃら)」と。
私はドクターには母に安定剤や睡眠薬の服用をしていることは内緒にして欲しいと言ってあったが、その人に伝わっていたのか分からない、
ただそこに母がいるんじゃないかと心配して、うまくしゃべれない私は精一杯に
「眠れないときだけなので!!」と強く言った。
多分、手術前夜から当日まで睡眠薬は飲まず一睡もしてないから、点滴から睡眠薬を投与したのだと思う。
そこから私は意識がなくしばらく眠り、一度目が覚めたものの体の冷たさは取れ、体は熱く、また翌日の朝まで眠った。
そこから二日後にカテーテルを取り、それと同時に歩くリハビリや食事を摂り始め、6日で退院することになる。
退院日になってもうまく歩けず、体を真っ直ぐにすらできなかった。
都内から郊外の自宅までタクシーでなんとか帰宅した。
腹腔鏡手術と言っても、私は嚢腫を取り出しただけではなく、破裂した方の嚢腫が飛び散った箇所を電気メスで数十ヶ所、焼いている。
だから痛みや回復が遅かった。
退院してすぐ社長から電話があり在宅での仕事依頼がきたが、まだ呼吸も苦しく、話すのもきついまま事情を話し断った。
まともに座ることもままならなかったからだ。
トイレにいくのもやっとだった。
もちろん、病院から言われていた復帰日まではまだ先だった。
しっかり体の痛みがとれ、呼吸も通常通りできたのは退院から13日目だったと記録している。
私はそれでも復帰日待たずに仕事に戻り、通常をスタートさせていた。
この時のメンタルは母への申し訳なさで悲しく落ち込んだが、仕事に対してや抑鬱状態といったものは一切なかった。
手術という、【タスク】が1個終わった、はい、次。ってくらい。
ストレスは子宮や婦人科系に来ると言う人もいたが、まったく気にも留めてなかった。
運でしょ。くらいな。
最後に、私の女性の担当医の素晴らしい熱意と情熱にとても感謝している。
本当に素晴らしい女医だった。
次にまた何か婦人科系の病気をしたら、絶対その先生にお願いしたい。
その時まで現役でいてくださることを願ってやまない。
退院前夜に女医に呼ばれ診察室を訪れた。手術がきれいに上手く言ったと手術中の動画を見せながら説明してくれた。
そして最後に【あなたは本当によくここまで頑張った】と言葉をかけてくれた。
手術翌日には現場を引退した院長先生も様子を見にきて下さり、励ましの言葉をかけてくれたことに感謝している。
ここの病院を受けたのはセカンドオピニオンセンター(ヒルズ会員と、その家族や紹介者のみが受けられる、いわば特殊で特別な機関)だった。
その時の診察がここの院長で一刻も早く手術をしようと勧めてくれた方。
本当にあそこの病院には感謝をしている。安心して病気や手術のことは一切の不安もなく任せられたのは、あの病院だったからだと確信している。
長くなったな。
でも、これも記録として。