舛添都知事の政治資金私的流用問題については、少なくとも一番話題になっている「ホテル三日月での宿泊と会食」は舛添氏が都知事に就任する前の参院議員時代の出来事で、それを東京都議会で議論している、ということを知らない人(都知事就任後だと思っている人)が結構いる気がする。
いやほんと、ダメですね。シーンから離れたきり戻ってこない人間が語る「原理」を信じてはダメ。自分はプラモ→モデルガン→ガレキで止まった人間ですが、諸条件揃って久々にガンプラから復帰して思い知りました。世界は変わる。バルバドスすげえ。ただただすげえ。
いやね、本当に今のガンプラは異常です。あからさまにおかしい。そのことを現代アートを論ずる人間が論じないのも異常。なにもかもがおかしい。こんな異様なアート(しかも9$)、触ったらその異常性を一万葉を消費して語っても語りきれないはず。
20年ぶりぐらいにガチでガンプラ組んで、ああこれは日本で「現代アート」が死ぬはずだなって確信しました。1000円くらいでこんなアートが手に入っちゃって、誰もその異常性に言及しない状態で、むしろそれを素材としてアートを「楽しく」作っちゃう現状で、「現代アート」なんて看板いらんわ。
電車のガラスに映る自分がめっちゃダサかったので存在感を消します
共産主義者が攻撃されたとき「アカざまあwww」と石を投げ、社会主義者がパクられたとき「法令に違反だから当然(キリッ」と是認し、労組が(中略)「労組とかオワコン」と目を背けたのちに自分が攻撃されたら「大変だ!俺たちが攻撃されたぞ!ニーメラーの警句を知らないのか!」と騒ぎ立てる人たち
今週号の「週刊文春」の「私の読書日記」で穂村弘が『ポーの一族』について、エドガーとメリーベルのこんな会話への感動を基に書いてた。
「おいで 雨が海にふってる ちょっといいながめだよ」
「それだけのことなのにふしぎね……」
このなにげないやりとりがなぜ胸を打つのか。→
→穂村弘は同世代の歌人、佐藤弓生の評を引いている。「水が海に「還る」のに対し、バンパネラは塵と「消える」。彼らは輪廻とか自然界の循環といった構造に参与できない。生まない存在が生をいとおしむ矛盾が『ポーの一族』というフィクションの最大の見所ではなかったか」…この評に尽きる。と思う。
僕だけがいない街 5,6を読了。。はぁーー物語の中に沈んでいってしまう。 pic.twitter.com/RxPaL6MGSm