なお、『僕だけがいない街』のタイトルロゴは、モリサワのA1明朝と中ゴシックBBBの組み合わせ。
「僕だけ」がA1明朝、「がい」は明朝とゴシックのエレメントの組み合わせ(右側に明朝エレメント)、「ない街」は中ゴシックBBB。 pic.twitter.com/CXmKNIhvOS
アニメの編集点が変わってきているのを強く感じるのだけど、演出の要請というより、作画の都合が大きいのだろう。
これは演出の力が落ちてきているということでもある。
カット頭の数コマをどう考えるかというのは、原画の一枚目をどう捉えるかということである。
最近のアニメの多くは、カット頭を止めることが多くなってきている。
一枚目の原画や修正が認識出来るべきか、必ずしもそうでないかというのは絵を描く側からすれば切実な問題なのだと思う。
リミテッドアニメ編集の原則として、カット頭はなるべく動かして繋ぐ、ということがある。しかしその際、カット頭の数コマは視覚上ほとんど認識されない。つまり、一枚目の原画は目に残らないということだ。
描く側の心情として、認識されない画に労力を費やすことを躊躇するというのは充分理解できる。
そのために、編集側、作画側でカット頭に対しての認識の相違が生じてくるのだろう。
編集点が変わることで、台詞や効果音の付け方も違ってくる。
結果として作品の仕上がりにおいて、微妙だが大きな相違が生まれている。
この辺りは、フィルム編集からノンリニア編集に移行する際にも生じた変化であり、ある意味、時代を現していると言えるだろう。
バスの事故が多い気がする。仕事で使うので他人事ではない。助かってほしい
本を読むとき一般に言えるのだが、読書というのは、ほとんどの人々は自分の知っていることの確認のために読むわけです。それで、自分がよく分からないことはスルーしているはずです。だから何千冊読もうと、賢くはなりません。現代文の試験訓練というのは、それに対して学ぶための本の読み方です。
さっきの、↓本を読んでも「自分の知っていること以外を読めない」ってのあると思う。反省しよう。
寺の衰退で仏像という文化財の修復維持が困難に。そこでクラウドファンディングで資金を集めようという試み。応援。/日本初!仏像修復クラウドファンディングを応援しよう bit.ly/232Nn7R
22歳でストレートで単位綺麗にとって卒業して学業優秀。っていう連中ばっかり優先採用してたくせに、「今の若者は軟弱ものばっかりでアジアへの赴任すら嫌がる」とかいってるバカジャップ人事連中死んだほうがいいと思うの
水に潜ったような日。現実感がないん。プールにでも行こうか。
客「なんでお前そんな太ってんだよ!!頑張って接客してねえから痩せてねえんだろ!!」
俺「ここのメシがうめぇからだよ」
客「それな それは超そう思うわ」
俺「ご注文を取っても?」
客「いいよ!!」
俺「お伺いします」
#実際に言われたクレーム晒す
たまたま連れて行かれたバーに父親のボトルがあったらどうしよう??そんな状況
たまたま入ったお店で父親の白黒写真を見せられてみ??