沖縄のセカンドハウスに滞在していた2006年のことだ。前日はだるく、風邪気味だった。突然、まぶたが開かなくなり、手足もマヒして動けなくなった。救急車で運ばれた。
難病の「フィッシャー症候群」と診断された。再び歩けるようになるまでに、リハビリで1か月かかった。「当時、がんの末期だった母まで沖縄に来てくれて。母はその後、亡くなりました……」
翌年、今度は夫の中尾彬さんが大阪で倒れた。急性肺炎で、熱は40度に達し、急性腎不全に不整脈などを併発。東京から駆けつけたが、「助かる可能性は20%」と医師から聞かされた。
「私自身まだフィッシャー症候群から回復したわけではなかった。目の焦点が合わず、先生が説明のため示す写真や図がよく見えませんでした」。無理をしながら大阪に泊まり込み、誰のお見舞いも固辞して、一人で夫の看病を続けた。
10年ほど前から続く、歯と下あごの痛みは、さらにひどくなった。08年には「クギを打たれたような、気絶しそうな激痛」になった。唇もしびれるようになった。何人もの歯医者に診てもらっていたが、最後は大学病院に駆け込んだ。
やっと病名がわかった。虫歯菌があごの骨に侵入して化膿かのうした「慢性硬化性下顎かがく骨骨髄炎」。長時間の大手術が必要な、大変な症状になっていた。
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