魔界人の妄想録

思いついたお話しや物語を書いています

眞名井御膳と空海

2016年08月23日 22時20分04秒 | 紀行
神呪寺、鷲林寺から空海と如意尼を知り、如意尼=真名井御前

から、丹後国の籠神社(このじんじゃ)に至りました。籠神

社は元伊勢、つまりアマテラスが伊勢にたどり着くまで一時

鎮座された社であり、祭神はヒコホホアカリ、つまりは饒速

日命(ニギハヤヒノミコト)。この神社の摂社に真名井神社

があり、真名井御前はこの地域で生まれ、廣田神社から甲山

に渡り、空海と出会い如意尼となります。空海は如意尼の姿

を映し如意輪観音を彫る。この如意輪観音をおさめる神呪寺

本堂は830年落慶。資料により多少前後しますが、空海と

如意尼は835年あたりで、相次いで別々の場所で死去しま

す。満年齢で享年、如意尼30歳、空海60歳。

空海は一説では高野山で即身仏となったと言います。

彼らの前に現れた大鷲=麁乱荒神は神呪寺や鷲林寺の建立を

妨害したのでしょうか。それとも彼らの間を裂こうとしたの

でしょうか

麁乱荒神(そらんこうじん)について

2016年08月21日 22時42分31秒 | 紀行
 麁乱荒神は神呪寺と鷲林寺とのほぼ共通の開基伝に登場し、

かいつまんでいえば、鷲林寺では「弘法大師」、神呪寺では

「弘法大師+如意尼」がそれぞれの寺を建立しようとしたと

きに、火を吹く大鷲が現れ妨害したされ、これを麁乱荒神と

している。

 鷲林寺でもらった『鷲林寺と麁乱荒神』という冊子には鷲

林寺山主の私見として、「天照大神荒魂を麁乱荒神として表

現したのではないかと考えられるのではないだろうか。」と

書かれておられる。

 しかしこの解釈は難しいと思う。「天照大神荒魂」は「瀬

尾律姫」を表しこの神は水神だ。これに対し麁乱荒神は宝塚に

ある清荒神清澄寺の三法荒神ともされる竈神つまり火の神だか
 
ら全く正反対だ。

 また如意尼が麁乱荒神に対し、井戸の水をかけて対抗したこ

とを考えると、むしろ如意尼が瀬尾律姫ではないかと考えられ

ます。

 
僕は麁乱荒神はこのあたりの地方神、つまり有力氏族であって、

むしろ「天照+仏教」という中央の連合軍に対抗してきたこと

を表しているのだと考えています。

休日をどう過ごす?

2016年08月20日 10時06分58秒 | 日記
僕にとって神社や寺を訪れるということの大きな目的は、
その霊験にあやかるということではあるが、さらにその
神社なり寺を理解したいということです。

例えば弘法大師や役小角が創建したといっても、現実に
は資金も労力も必要であったわけで、それらがどのよう
にだされたのか、その当時の人々の大きな思いやあるい
は苦しみもあったわけで、そのあたりも感じてみたいし
調べてもみたいと思うのです。

神社という語も明治時代に作られており、それまでは
そのように呼ばれていない、名も知れぬ神も多かったけ
れど、国家統制を目的に神の名前が後付けされたことも
考えておかなければならない。

僕は特に名も知れぬ神々とこれをお祀りしてきた当時の
人たちの思いにもできるだけ触れてみたいと思う。

先日せっかく神呪寺と鷲林寺を偶然にも訪れたので、今
日は麁乱荒神(そらんこうじん)について考えてみたい
と思います。

その舞台はこれら2寺と廣田神社、宝塚の清荒神清澄寺に
及ぶ地域。
さらには当時の朝廷と、如意尼も含めれば丹後地方にも。

でもいっぺんにはむりですよね。こんな休日を過ごします。

越木岩神社 

2016年08月16日 22時41分41秒 | 紀行
越木岩神社

本殿の奥の方にある巨岩がご神体です。

このご神体が米などを蒸す甑に似ている事が名の由来です。

またその形は女陰にも似ている事から、市杵島姫(イチキ

シマヒメ)と言う女性神が鎮座しているとされています。

歴史的には約1000年前には大国主西神社とされていた

とも言われ、また、1644年頃には西宮神社から

蛭子大神(越木岩神社のホームページには蛭児とはされて

いません)が勧請され、蛭子(ひるこ)太神宮と称して

います。

こちらも謎の多い社ですね。

ただ僕は岩社のご神体は瀬織津姫ではないかと疑っています。

こちらも検証が必要です。




神呪寺(かんのうじ) ~如意尼と空海~

2016年08月15日 21時18分33秒 | 紀行
甲山大師 神呪寺(かんのうじ)

こちらの不動明王には以前お力をいただいた事もあり、

お礼を申し上げないといけないと思っていました。不動明王のお堂

の前で手をあわせると、お堂からこちらに緩やかな風が吹き、

僕はお線香の香りに包まれました。

さて如意尼は空海とは恋仲であったようです。

伝説多き如意尼は少し調べただけでもいろいろな話が出てきます。

如意尼は淳和天皇の第四妃。宮中をぬけ出家し、頂法寺、浜南宮

(現西宮神社)、廣田神社、そして甲山で修行して空海の弟子に

なります。

神呪寺の本尊の如意輪観音は空海が如意尼の姿を映して彫ったもの

されていますが、高僧と女性はそういう関係は認められないでしょう。

境内のはずれにある弁財天。僕はこの弁才天は如意尼ではないのだろう

かと思っています。なぜならば弁財天はこの写真のように、異様な

祀られ方をしています。橋は架けられているが入り口は閉じられている。

お堂の横からも近づけそうもない。如意輪観音を守護するというのに

このような祀られ方は何かの意思が働いているに違いない。

「離さないが、近づけない」。

果たされない恋の姿なのかもしれません。

そしてそれは瀬尾律姫でもある。

麁乱荒神(そらんこうじん)との関係も気になるところです。