僕にとって神社や寺を訪れるということの大きな目的は、
その霊験にあやかるということではあるが、さらにその
神社なり寺を理解したいということです。
例えば弘法大師や役小角が創建したといっても、現実に
は資金も労力も必要であったわけで、それらがどのよう
にだされたのか、その当時の人々の大きな思いやあるい
は苦しみもあったわけで、そのあたりも感じてみたいし
調べてもみたいと思うのです。
神社という語も明治時代に作られており、それまでは
そのように呼ばれていない、名も知れぬ神も多かったけ
れど、国家統制を目的に神の名前が後付けされたことも
考えておかなければならない。
僕は特に名も知れぬ神々とこれをお祀りしてきた当時の
人たちの思いにもできるだけ触れてみたいと思う。
先日せっかく神呪寺と鷲林寺を偶然にも訪れたので、今
日は麁乱荒神(そらんこうじん)について考えてみたい
と思います。
その舞台はこれら2寺と廣田神社、宝塚の清荒神清澄寺に
及ぶ地域。
さらには当時の朝廷と、如意尼も含めれば丹後地方にも。
でもいっぺんにはむりですよね。こんな休日を過ごします。
その霊験にあやかるということではあるが、さらにその
神社なり寺を理解したいということです。
例えば弘法大師や役小角が創建したといっても、現実に
は資金も労力も必要であったわけで、それらがどのよう
にだされたのか、その当時の人々の大きな思いやあるい
は苦しみもあったわけで、そのあたりも感じてみたいし
調べてもみたいと思うのです。
神社という語も明治時代に作られており、それまでは
そのように呼ばれていない、名も知れぬ神も多かったけ
れど、国家統制を目的に神の名前が後付けされたことも
考えておかなければならない。
僕は特に名も知れぬ神々とこれをお祀りしてきた当時の
人たちの思いにもできるだけ触れてみたいと思う。
先日せっかく神呪寺と鷲林寺を偶然にも訪れたので、今
日は麁乱荒神(そらんこうじん)について考えてみたい
と思います。
その舞台はこれら2寺と廣田神社、宝塚の清荒神清澄寺に
及ぶ地域。
さらには当時の朝廷と、如意尼も含めれば丹後地方にも。
でもいっぺんにはむりですよね。こんな休日を過ごします。