ハイ.こちら人権110番!

人権思想の啓発・啓蒙と実践活動・助言と指導などが活動目的です。日常に起こる様々なトラブルについて意見、体験をどうぞ。

新聞論考:朝日のスキャンダル、静岡大学生は起訴か不起訴か?

2005年03月31日 14時48分22秒 | Weblog
2005年3月31日 木 晴
 昨日の遅くからのラジオ報道では「朝日新聞のスキャンダルな武富士との裏金5千万円協賛費」
の話であるが、今朝の一部の新聞には載っているようだ。
 パソコンでニュースを見ると共同通信の記事が最初に眼についた。以下である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文春広告の一部を黒塗り 協力費報道で朝日新聞

 朝日新聞社が週刊朝日の連載企画に対する「編集協力費」名目で、消費者金融大手・武富士から
5000万円の提供を受けたことを報じた31日発売の週刊文春をめぐり、同日付朝日新聞朝刊に
一部が黒塗りされた同誌広告が掲載された。
 広告の当初の見出しは「人はそれをブラックジャーナリズムと言う 朝日新聞が武富士から受け
取った『ウラ広告費』5000万円」だったが、このうち「人はそれをブラックジャーナリズムと
言う」の部分が黒塗りされた。
 朝日新聞社によると、同社の広告基準に不掲載の基準としてある「本社の記事を中傷、否定する
もの。ただし本社が妥当と判断するものを除く」に抵触するとして、広告代理店を通じて文春側に
見出しを変えることを要求。だが、文春側が拒否したため、広告代理店が黒塗りしたという。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 以上だが、これを見て朝日が相当に困っている表情が見て取れるではないか。TBSラジオの森本毅郎キャスターのニュース分析でも触れていなかった。もっとも私が聞き落とした部分で放送したか
もしれない。
 広告費ならともかくとして、スキャンダルまみれのサラ金大手から裏金のような形で、記事企画協賛費で受け取るのは賢明ではない。朝日には「クリーンハンド」という社是がある。汚い金は受け取ってはならない、という厳しい枠ハメだ。
 武富士は会社不正を追及するフリーライターに圧力を掛けたり、盗聴を仕掛けたことで、新聞の立場からは当然に追及をしなくてはならない。そんな相手から金を受け取るというのは、文春の記事タイトルにあるように「ブラックジャーナリズムと人は言う」のではないか。至極当たり前の話である。

2 静岡大学の学生が女性を殺した被疑者として勾留をされていた。本日が勾留の満期に当たる、そこで起訴か不起訴かが焦点である。直接の証拠はない、あるのは目撃者だけ、それも明白な証言ではない。
 殺人の凶器も発見されていない、何よりも「自白」がないのだ。一貫して黙秘を続けているというのが新聞報道だ。弁護士は冤罪の可能性を主張している。地元の静岡では大きな話題になっている、山本麻衣子さんからも聞いた。
 ラジオやパソコンの検索でも報道は見付からない。学生の弁護人は袴田事件再審を担当している弁護士が付いている。これだけでも大きな話題になる事案である。
 只今の時間は午後2時45分だ。(刑事コロンボを見ながら書き込んでいる)夕刊に出ることは確実だ、ということはこの時間なら早版には出ている。
 ここまで書いた時に麻衣子さんから電話あり、明日の大熊弁護士との打ち合わせ時間は午後五時ということ、それに本日未明にかきこんだブログの「熱海署事件証人調べと警察の任意捜査の問題点」についての件など。その折りに静岡の殺人事件の報道を聞いた、そして「キーワード」は何かを確認した。「静岡、殺人事件 静岡大学学生」の三点で。


以下は参考の記事:
ーーーCUTPLAZA Plus 大学生、被害者と面識なし 前日に犯行試み断念?
... 静岡2人殺害、逮捕の大学生は黙秘. 静岡市の健康関連グッズ販売店で従業員2人
が殺された強盗殺人事件です。10日に逮捕された大学生は依然、黙秘を続けています。
強盗殺人の容疑で逮捕された高橋義政容疑者(24)、静岡大学4年生です。
  
ーーー静岡の2人殺害 強殺容疑で大学生再逮捕 医院関係者逆恨み? (産経新聞 ...
静岡市新伝馬のリラクゼーショングッズ販売店「クオリテ」で女性従業員二人が殺害された
強盗殺人事件で、県警捜査本部は十日、銃刀法違反罪などで起訴された ... ニュース >
社会 > 静岡の2人殺害 強殺容疑で大学生再逮捕 医院関係者逆恨み? (産経新聞)


ーーー静岡県内ニュース(社会)
... 強盗殺人容疑の取り調べに対して黙秘を続けているが、静岡簡裁で公開された勾留
理由開示の法廷で、犯行をきっぱりと否定 ... 容疑者の大学生はやや前かがみの姿勢で
簡裁の裁判官と対面した。犯行時間帯とされるのは1月28日午後5時から6時までの ...


4月1日に大熊弁護士と更打合せの意味と狙い

2005年03月31日 04時53分29秒 | Weblog

大熊弁護士と4・1に打ち合わせの意味 (千代丸 健二)

2005-03-30 17:35:49
2005年3月30日書込み分を一部は再構成して

2024 熱海署冤罪事件4月公判と大熊弁護士との打合わせ
-------------------------------------
ハイ、こちら人権110番!ニュースから 

ひと言:3・24に記事を更新の後もさらに熱海署事件控訴審に向けて調書の徹底検証をした
きた。
 弁護士の大熊祐起さんは熱心且つ判断力もある良い弁護士である。国選弁護人ではなか
なかここまで時間を取っての打ち合わせや、事件取り組みをしないものだ。
 「何しろ弁護料が安いから」というのが国選弁護で手抜きをする弁護士の言い分だ。本
来はとんでもない言いぐさだが、多くの被告人は我慢をして裁判に臨んでいる。だが、どっ
こい、本件の熱海署冤罪事件被告と家族、そして支援の中心者・千代丸健二さんたちはそ
のような因習には取り込まれなかった。
 大熊弁護士との関係が抜群によいのは、こうした取り組みの姿勢があるからだ。

 次回の打ち合わせは更に一日を入れて貰った。4月1日午後に。細部と方針に加えて関
係者の陳述書面をもっと採用させる必要があるのではないかという事を中心に。
 理由としては、次回での証人尋問が山場であり、それ以外の証人採用は新たに認められる
可能性はないのではないかと思われるからだ。
 事件はもっと全体的に見る必要がある。そのためには事件捜査の最初からの間違い、すな
わち「任意捜査」で充分に事実と真実が発見されるはずであったのが、歪められて今回の逮
捕、そして起訴、公判となった。これはまず警察捜査に間違いありき、なのである。
 その辺のところから大熊弁護士としっかりと打ち合わせをする必要ありとおもうからであ
る。

 次回控訴審は東京高裁803号で午後1時15分から午後5時までの予定。
 
 控訴審を勝つためにはもっともっと緻密に調書を分析することで問題点を洗い出すことだ。
その作業をこの数日間は集中してきた。いくつか出すことができた。可笑しいと思う点をい
ろいろな角度から検討を加えるのだ。普通に読み流すだけでは見逃してしまう。
 裁判は書面がものをいう。だから警察も検察も上手に調書を作り上げる。その裏側をじっく
りと読み込み新しい事実や矛盾を探し出すのだ。取調べた熱海署の斉藤刑事や児玉検事も証人
尋問をする必要がある。他にソーシャルワーカーも追及対象だ。チャンスはこれが最後だから徹底的に
やろう! 麻衣子さんとも話した、鈴木さん本人もその決意が固まってきた。
 これを読んで麻衣子さんは、意見や感想を何度でも送って下さい!
 息を抜かずにもうチョットの辛抱だからね。

*検証の仔細はブログ:URL http://blog.goo.ne.jp/jinken110ban/3・24付けに掲載した
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
既報分記事は以下である。
050315 火 東京高裁の初公判で被告・弁護側の証拠、証人申請のほとんどが認められ、
逆転勝訴の見込が出てきた。
 鈴木正勝さんは無実を主張して来た、報いられればこんな嬉しいことはない。
 次回は4月8日午後1時15分から:カギ握る柳沢証人と田中証人の採用が認められたこ
とは当然とはいえ、裁判所への論理的な説得が功を奏したものだ。検察官は反対を言う
も裁判所の判断で採用へ。この検察官は北海道札幌の恵庭冤罪事件でネチコク絡む嫌な
タイプだ、と言うのは恵庭事件を支援、取材している山口正紀さんの評だ。ネチネチと
ネバッて来るだろうと。早速その一面が出てきた、本件では新証拠も出すという。考え
られる証拠物とその物が何か、その価値、意味などを仮説を立てて考えよう。検察の立
場に立ってみて、どのように使うかを考えるのだ。
 油断は大敵で検察の手を十分に読む必要あり。本日の傍聴は仁平信幸君とジャーナリ
ストの山口正紀さん。公判後に弁護士控え室で大熊弁護士を囲んで本日の評価と今後の
方針などを意見交換した。大熊裕起弁護士にもやりがいのある事件になってきた。
 弁護士、被告・家族、支援団の三者が一致する事が絶対に必要条件なのだ。逆転無罪
が獲得できる確率が大きくなってきた、嬉しい限りじゃないか。支援は傍聴席を一人で
も二人でも多くしよう。
 明大学法学部の学生二人が傍聴していた。閉廷後に「何故この法廷に?」と聞いた、
何となくと言う、傍聴していて事件のことが分かるかと聞くと「よく分からない」とい
うので事件のポイントを簡単に説明した。そして関心を持ってくれるように頼んだ。
 この青年たちのように裁判所をブラリとぞくと面白い、裁判の審理には生のドラマが
ある、裁判員制度も話題になっているではないか。
 裁判の仕組みや事件を通して物事を知るチャンスでだ。記事はブログにも掲載せり
  URL http://blog.goo.ne.jp/jinken110ban/

 熱海署冤罪裁判控訴審の初公判は3月15日午前11時半、東京高裁803号
法廷で、仙波厚裁判長係りで開廷した次回の4月8日午後1時15分からの法廷にも是非、
、傍聴をどうぞ!必ず参考になるからね。
毎日がドキュメント欄に記事を紹介、読むと大いに得るもの多し
鈴木正勝被告は絶対無実を主張,娘の麻衣子さんが献身的に証拠集めた!

 裁判をするという事は、本人と家族にとっては大変な事である。勝ち負けという事も
あるが、時間はともかくとして、エネルギー、費用が掛かる、金はいくらあっても邪魔
にならないのだ。
 幸い本件では国選弁護人でやる、という一貫した方針でやってきた。一審の静岡地裁
沼津支部ではあまり上手くいかなかった。橋本裕子という27期のおばさん弁護士はゼニ
ゲバ弁護士で、とんでもない悪徳弁護士だった。悪徳とか法匪と言うのはこのような人間
を指す。
 二人目の福地弁護士もベテランではあるが、顔は裁判所の方にのみ向いており、被告人
の人権擁護の理念にはほど遠いといって良いだろう。無実で無罪を取らなくてはならない
被告が、長期拘留に苦しんでいるのを見て、「自白をして早く出たい」というのを「仕方
ない、ではそうしよう」といとも簡単にその方針に切り替え、裁判所と検察との三者談合
で「有罪」を認めたのである。

 何としてでも一審の裁判で無罪の主張をすべきだったのだ。返す返すも残念な事だった。
控訴審に向けて二倍も三倍もの努力をしなくはならないのは、この為でもあるのだ。
 すでにサイは投げられた。無実は無罪に!を強く主張して、何としてでも裁判所に認め
させなければならないのである。


2005年3月31日 執筆 千代丸健二


寺西君曰く、千代丸さんってライオンのようなオーラでいっぱいですね

2005年03月24日 17時32分35秒 | Weblog
 ライオンのようなオーラがいっぱいと言われて

2005年3月24日 雑感とメモ少々
 職質警官とわたり合った寺西輝行君が面白いことを言った。
 どうして当時の事件報告や結果をキチンと連絡をしなかったの? と聞いたときの事だ。彼曰く
 「しなくてはいけないとは思っていたのですが、上手くいかなかったこともあるけど、千代丸先生の前に出るとすごく勉強になるけれど、何て言うのか、ライオンのようなオーラを感じるのですよ、そのオーラってほんとに凄いんです! だから気合負けと言うか、ダラシナイ結果を報告するのが恥ずかしいのと叱られるのではないかとかでーーー」と。
 えっ、それってと思わず聞き返したくなるような事であったが、何となく分かる気もした。これまで小生との関わりでそれぞれの印象を述べてくれるのだが、ほとんどの人が褒めてくれる。
 怖いもの知らずで、絶対に弱音を吐かない、権力の悪を許さない、警官だろと検察官だろうと裁判官でも弁護士でも相手が、市民をバカにしたり、人権を侵害する時には恐れずに闘う人だと。他の人には真似の出来ないことだと評価の言葉が出てくる。

 嬉しいことではあるが、私は相手に決して理不尽な要求はしない。理に叶った事ならば私は相手の言い分には充分に耳を傾ける。どんな相手にも白紙で話を聞く。先入観はなるべく持たずに臨む。そうしないとすでに偏った判断をしてしまう危険性があるからだ。

 長年の友人で信頼しあっている草加市の大久保秀夫さんは、小生のことを「ランボーの如し」と言った。悪徳警官を相手に闘っているのを本で読んで、電話を掛けてきたのが付き合いの始まりである。もう30年前のことだ。
 権力に一人で立ち向かう姿をアメリカ映画のランボーに重ねたのだろう。
 「不正とは組しない人」「買収が効かない、信頼を裏切らない人」という見方もされているし、自分でもそう思う点がある。 
 一面では他人からの評価をあまり気にしないのである。特に世間体とかはほとんど無視する。格好が悪いとか「そんなことは世間では通らない」と言う人には、「では君はどう思うのか?」と聞く。ほとんどが「いや、僕は良いですけど、世間とかがーーー」と言うので、私は「いいじゃないか、彫っておけば、大事なことは君がどう思い実行するかという事でしょ」と言う。

 さらに「じゃ、その世間と言う人を連れて来なさい」と畳み掛けることもある。この日本社会では周辺の意向を嗅ぎ取って、「輪の調整」を最優先するが、私にはほとんど無縁である。ほかに大事なことは「遊び心」である。権力は法的権限を勝手に解釈して、乱用するものだ。警察が一番の代表的なものだ。権力は常に市民がチェックしなくては、悪いことをするものだ、それは市民の人権を侵すことに繋がるものだ。不条理、不正、不公正は常に糾さなくてはなるまい。
 出る杭は打たれる、というので多くの人は周りを気にしつつ、安全を確認して渡り始める。だが私は「出過ぎた杭は打たれない」というのがモットーである。ピンチはチャンスというし、押してダメなら引いてみな、引いてもダメなら寝技で、塀を越えて、地面を掘って、と様々な戦術を考えるのである。そうすると楽しくなるじゃないですか。
 
 座して沈黙を守は己の首を吊る縄を綯うが如し
ーーーこれが一番のモットーだ。人権とか自由とかいのち健康という大事なものは、誰も運んできてはくれないよ、レストランのメニューにも載っていないね、自分で闘い守り、奪われたら取り返すことだよ、便利屋時代だけど、他人や行政の窓口に行っても代理で解決してくれるところはありませんよ、と言い続けている。

 そんな考え方や生き方が、人をして違った評価をするのだろうと思う。
 己の法に従いて、その則を超えずと実践しています、というのが私の人生哲学であろうか。
 人は騙せても自分の心は騙せないものだ。悪いことをしているのか嘘をついているかどうかは他人ではなく、自分自身が一番よく知っているのだ。自分自身の心に問うて恥ずかしくない生き方をしている。それは母の教えでもあった。良い母を持って有難う。良い母から生まれて有難う。
 諸賢はどんな人生哲学を持っているのだろうか? このページでも使ってご披露してみたらどうだろ?
 寺西君も自分の心に恥ずかしくない生き方をしようと決心したのだ。
 山本麻衣子さんは父の自白は真実に反すると知って、断固父を説得して、冤罪裁判を闘うことに決めたのだ。ダメな弁護士を追及することで自分の良心を磨いている。そんな娘を見て、離婚した母と父は、「真実こそ宝」と知って戦いを挑んでいるのである。
 佐藤ちとさん然り、息子の未来君の人権と名誉、健康と命を守るために裁判官ともしっかりと闘っているのだ。まさに「ライオンの如し」であった。
 品川の鰻やさん夫婦の佐藤さんもそうだ。防犯グッズを持っていて警察に「軽犯罪法違反として長時間拘束をされた」屈辱は絶対に忘れない、人権回復のために何年かかっても闘い続けると継続中である。
 まだまだいくらでもある、そんな人たちと一緒に闘い続けることが出来るのは、人と人の『縁』であろう。 

山本麻衣子さん、頑張って!

2005年03月24日 04時34分29秒 | Weblog
  頑張れ山本麻衣子さん! 裁判とはなんだ? 怒りをもって闘え!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 裁判とは一体何なんだ? 一度でも裁判をした事のある人なら多くの人は疑問を持つのではないでしょうか。
 労多くして益少なし。それでも特に刑事被告人に無理やりにされた時は逃げる事が出来ないから、何としてでもやり抜かねばならない。随分と辛いことでしょう。熱海署事件の控訴審裁判分析を読んでいてそう思いました。
 鈴木正勝さん、頑張ってください、無罪を信じてます! 
 娘さんの山本麻衣子さん、大変でしょうがもう少しですね!
 

3・24校正:熱海署事件控訴審に向けて調書の検証へ

2005年03月24日 04時07分31秒 | Weblog
熱海署事件控訴審に向けて調書の検証へ
作成日:2005年3月22日 水 小雨 3月24日午後3時40分校正

 控訴審を勝つためにはもっともっと緻密に調書を分析することで問題点を洗い出すことだ。その作業をこの二日間ほど集中している。
 いくつか出すことができた。可笑しいと思う点をいろいろな角度から検討を加えるのだ。普通に読み流すだけでは見逃してしまう。裁判は書面がものをいう。だから警察も検察も上手に調書を作り上げる。そのうらがわをじっくりとよみ、新しい事実や矛盾を探し出すのだ。

      熱海署事件の鈴木正勝調書を分析検証する
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1 令状逮捕:2004年5月6日夕刻 窃盗、詐欺、私文書偽造同行使

2 調書は第一回が5月8日、自白調書、担当は斉藤警部補:身上関係中心の調書:本人は「初めはやっていないから否認した、だが刑事は頭から言い分をまったく認めない。私も相当昔のことで記憶も曖昧だった。手島に成りすまして預金を引き出したことは事実だし、一部は自分のために費消した。警察は、「それはも盗んだと同じことだ」というので、自分でも「どうでもいいや、と思い込み、一日も早く出たいので警察の言いなりになった」と言っていた。

 実態を調べるとその本人の気持ちと経緯は正しいが、調書を見る限りでは「進んで自白をした」と受け取られよう。第一回公判廷では嘘の自白をしたことの反省から、「否認」し無実の主張をした。裁判所は国選弁護人を二人に増やし、裁判官も三人の合議法廷に移した。
 その法廷が開かれたのが第2回になるのだ、前日に裁判所と弁護士と検察官の「三者談合」で「鈴木被告は起訴状通りに罪を認めます」となったのだ。論告求刑と弁論になり最終回となるスピード裁判に変わった。それは本人が5ヶ月に及ぶ長期勾留に耐えられず、一日も早く出たいという気持ちを訴えたこと、加えて弁護士二人の弱腰が挙げられる。

3 調書第2回は5月13日で自白維持:手島の部屋に忍び込み盗んだ、一人の単独犯行になっている。
 :供述要旨としては冒頭に ①逮捕当時は何とか逃れたいので「手島の承諾得ているから逮捕、犯人扱い葉納得いかない、言いましたが実際は手島の入院を良い事にして、自分の為にした事です」と言うのlが認めた理由だ、調書には「言い訳」として記載あり。手島との関係と面倒を見ていた事など縷々述べる。


4 調書3回は5月18日で供述内容がかなり変化した、曰く「柳沢の連絡で手島の部屋に赴き、倒れている手島を救急車に連絡して病院へ運んだ。「その後に保険証などが必要だろうと思い手島の部屋に引き返して、保険証と郵便貯金通帳と実印を持ち出した」と盗みの状況を説明している。
 :すなわち盗みを自白した事には変わりはない。否認は全くしていない、柳沢からの連絡はこの段階で始めて明らかにされるものの、「病院から部屋に戻って、通帳と印鑑を盗んだ」となる構造だ。引き出した金の使途を縷々説明。

 :取調べ刑事の斉藤jは、逮捕状請求では「元妻と共謀して、手島が留守を狙って忍び込み通帳、印鑑を盗みーー云々」となっている。それが逮捕後には少し変わり、さらに調べのたびに段々と整理され矛盾を解消するように、事実を合わせ鈴木が本当に供述したかのように作り上げていった。

 :柳沢の供述があったことから斉藤は慌て、全体の「整合性」を取るために
 ①柳沢との共謀
 ②鈴木が柳沢を庇っている
 ③柳沢が知らぬ間に盗んだ
ーーーとする必要が生じた。そこで、
 ④病院で柳沢が通帳を鈴木に示したことは「事実」と判断せざるを得ないところから、「一旦引き返して盗んだ」と作り上げた。
 だがこれも矛盾が出た。ずっと一緒に病院にて様子を見て待っていた、という柳沢の話しが真実であるから、斉藤は次の手を考えたのだ。

 :救急車を呼び、待っている間に盗むか、さもなくば救急車が来て患者を搬送するまでの間の「五分間」をひねり出し、その時間に盗んだとした。それも柳沢が気付かない訳がないので、保険証は柳沢に私、通帳はズボンのポケットにしまい込んだとした。こうすれば供述に矛盾はないと思ったのだろう。

 :ところが、柳沢は供述を変えず、あくまで自分が持ち出したこと、しかも通帳を開いて中身を見たが読み方が分からなかったので、鈴木に病院の待合室で「これは手島の通帳だけど見方が分かるか?」と述べた。
 この会話のくだりや通帳を柳沢が示したことなどはそばにいた第三者の田中が記憶していたことから、真実であろうとなった。

 :これは崩せない、そうするとどうすれば鈴木の「犯行」とすることが出来るかということになる、矛盾があり過ぎる、柳沢が供述を変えない限り、鈴木の窃盗は成立しない、そこで柳沢調書は「存在しない」ことにしなくてはならなくなったのだ。
 隠すのだ、そこで柳沢調書を警察は作成したが、また送致もしたが検察の児玉検事は大いに困りったのだ。柳沢を検察庁に呼ばなかったのは「鈴木無罪」を証明するからだ。

5 4回目の調書は5月19日、盗みに至る事情と状況は以下。
 「手島が自宅で倒れ入院したので着替えの用意をする為に病院から手島のアパートに戻った時に通帳、印鑑を発見したので盗んだ。時間は3時ごろだと思う」。

6 5回目の調書は5月21日盗みの状況は「手島の保険証を病院に持って行こうと、病院から手島の部屋に戻り、ボストンバッグの中を探していた時に通帳と印鑑を見つけたので、これで今後の生活費を繋げようと思ってしまった。
 そのまま通帳はジーパンの右後ろポケットに印鑑を、右前のポケットに印鑑を入れて盗んだものになります」と述べている。「私なりに良く思い出して、正直に話をしたものだ、嘘は付いて話したものではない」と述べている。

:この後に一問一答式で問答をしている。
 問い「通帳と印鑑は柳沢和江さんが発見したという事は無いのか?」 
 答え「ない、私が発見し私がいるのに私を差し置いて、柳沢が手島のボストンバッグの中を漁るのはちょっと考えられない」。

 問い「彼女は救急車を呼んでから、年金手帳や保険証が必要になる、と言った事を覚えているか?」
 答え「そう言われれば彼女が、老人手帳と保険証が必要になる、と言ったような気がする」

 問い「ボストンバッグの中を確認して、貴重品を取り出したのは彼女なるのではないか?」
 答え「いいえ、私がそれらを発見してポケットに入れたのだ。仮に彼女がバッグの中を見て取り出したとしても、彼女が私に渡しそれをポケットに入れたことは間違いない」

 問い「では保険証と年金手帳はどうしたのか?」
 答え「彼女だけを救急車に乗せたので、保険証が必要だと思い彼女に渡した。」
 問い「彼女が全部を持って病院に救急車で行き、その後落ち合った病院内で通帳と印鑑を渡されたということはないのか? 」
 (この辺の質問は柳沢の主張に基づくもので、彼女が証言を変えない為に斉藤刑事が鈴木に、どっ  ちが本当なのだ? と聞くところである。)
 答え「私の記憶の中では、病院で私が受け取った記憶はない。彼女がそのように話しているならそれは柳沢の勘違いだ。通帳、印鑑は部屋の中でボストンバッグの中にあったものだ、それをポケットに入れたのは部屋の中という記憶だ。私が部屋の中で盗んだもので間違いないのだーーー盗んだ時間は救急車を呼んで、来るまでの間だ、よって前に述べた3時頃ではなくて救急車が出た4時16分より1分前の4時15分頃だ」

 問い「前回の調書では病院からトンボ返りして盗んだといったが、違うということか?」
 答え「その通りだ、時間を勘違いしていたので手島が倒れた時間ももっと遅くなるーーー彼女を庇って話をしているものではない」 

7 6回目の調書は5月22日、この日は
 ①預金引き出しの状況
 ②その金の使途.サラ金支払い先
 ③手帳に引き出し金額、日時と支払先をメモしていること 
 ④女将に通帳と印鑑を渡して、「3万円引き出してきてくれ、手島の了解は得ているから」と言っ て依頼し、引き出した現金を受け取ったこと

8 7回目の調書は同じ5月22日、通帳、印鑑、払い出し用紙の写真確認事項のみ。  

9 5月24日、検察庁で初めての取調べ調書。警察での供述をそのまま認める。動機は「やみ金からの借金がありその返済に困っていたので、盗んだ通帳で手島に成りすまして引き出し、使った」と認容する内容になっている。全体に簡単な調書で三枚。  

10 検察の2回目調書は5月27日、
 ①盗んだ通帳で詐欺をした状況
 ②盗んだ状況
 ③病院に運び込む状況など
で、調書としても簡単にして要領良く纏まっている。
 新事実や矛盾を聞くとか確認する質問はまったくない。特に柳沢のことはまったく出てこない。警察調書を纏めたものと言える。

:2003年8月4日に手島が倒れているのを発見した柳沢からの連絡で行った。倒れて意識不明状態の手島を救急車で病院へ。その際救急車が来て出るまでの間に、通帳と印鑑を盗んだ、病院に運ぶには保険証が必要で、手島のボストンバッグを開けると中に郵便預金通帳と印鑑があった。
 サラ金などからの借金に追われて困っていたので、手島が入院してしまえばこの通帳と印鑑を使って金を勝手に引き出して使えると思った。そこで通帳と印鑑をズボンのポケットにねじ込んだ。保険証や年金手帳を柳沢に渡した後に、自分のポケットに通帳と印鑑をしまった。
ーーー全部で4枚の簡単なもの。新規な事実や検察が法的構成上に欠かせない点を特に確認した形跡はない。警察調書の通りと鈴木に言わせ、それで終わり。

 以下に問題点を指摘するとーーー

10ー1 柳沢の警察調書はあるが、開示されず。検察は知っている。検察は柳沢を調べず。

11 起訴は満期日の5月27日だ。起訴後の6月15日に児玉検事に呼ばれて調書を取る、犯行否認で柳沢が持ち出し、病院でその事実を知る、そこから預かる、手島の了解のもとに借り入れた、柳沢も常に同席しいたので知っている。5万円は入院保証金として。

12 したがって検察は盗みはしていない事、柳沢が証言している事は供述書になっているが検察は開示せず。また検察は柳沢を調べず。不利になるからだ。
13 検察による証拠隠しであり、権力犯罪である。取り調べ警察官と検察官を証人として申請すことが必要である。

 以上 千代丸 健二

2005年3月23日

 校正:3月24日午後3時50分

3月22日:寺西青年が悪質警察へ怒りの闘いへゴー

2005年03月24日 02時52分25秒 | Weblog
050322 火 晴  校正3月24日午後4時10分

相談者:千代丸先生でしょうか? 私はもう何年も前に助けて頂いたものですが、寺西と言います。
私:何年位前の事件でそれはどうなりましたか?
相:あの時は本当にお世話になりながら、期待に添えず途中で辞めてしまいました、自分のダラシナサに腹が立ちながら、悔しくて口惜しくて。今度また同じような経験をしたので、今度は最後まで闘いたいのでお電話しました。
私:(寺西という名前を思い出した、兄弟で警察の暴力に1か月以上抗議活動をした青年である)確か君はバイクに乗っている時に、警察の不当な職質で暴行を受けた、ということだったね。
相:そうです。話を聞いて頂けますか?
私:良いですよ。前回のことだけど、警察にヒドイ目に遭ったということで相当抗議活動をしていたね。
 (私の記憶では寺西兄弟は、約二ヶ月間連日のように交番に抗議した。警察もかなり悲鳴を上げた、その後に本署に抗議に行ったことで、課長が謝罪したという実績がある)。
 あのときの事件への抗議活動は知っているが、警官たちを告訴か損害賠償請求の形で責任を問いたい、と言っていたよね。
相:あの時のことは最後まではやらなかったので、自分でも情けなかったと思っています。弁護士のところに相談に行き、告訴をしようと考えたのですが結局何もしませんでした。だから千代丸先生にも恥ずかしくて連絡がしにくかったのです。
私:確か伊藤史郎弁護士のところに行ったと、そして着手金は三十万円で告訴状は作ってやる事はできるが、裁判の見通しはあまりないとかいう事ではなかったかな?
相:相です。で、今日の相談というのはやはり警察とのトラブルですが、お話をしてもいいでしょうか?
私:良いですよ。

 寺西君は話しを始めた。30分以上にわたってじっくりと聞いた。要約すると以下だ。
 以前とは多少違うが、数人の警官に職務質問をされた、身体検査やポケットの中まで警官が勝手に手を突っ込んで調べた。抗議したが警官たちは「良いからいいから、断るというのは何か悪いことをしているからか? 」と言って抗議はぜんぜん受け付けない。
 勝手にどんどんと身体検査や持ち物の中身まで調べたという。明白な違法行為である。抗議したら、うるせぇと言い、「そんなやり方は法で許されてはいない、憲法違反だ!」と抗議したところ「憲法が何だ、そんなもの警察には関係ないんだ」と暴言を吐いたことは絶対に許せないというのが寺西君の怒りである。
 正式の会員になって、警察を民主化する社会活動を始めたい、自分一人でもやるという意気込みは素晴らしいことだ。寺西輝行君は話を聞く限りかなり成長した。もっともっと経験を積んで学習したいと言う。改めての入会申し込みをしたいと言うので了解した。警察への抗議をすることを助言した。事件報告書をこちらに早く送ることを指示した。携帯電話メールアドを交換した。早速送ってきた。


鈴木調書の変遷分析をする:改訂版

2005年03月23日 03時58分11秒 | Weblog
Subject: 鈴木調書の変遷分析をする:改訂版


熱海署事件についての鈴木正勝さんの調書を調べると以下である。
1 逮捕は2004年5月7日
2 自白調書は第一回一通目が5月8日、調べは斉藤警部補(以降も同じ)、事実関係は記憶薄れにも拘らず、曖昧なまま「やった」と認めさせられている。最初から「自白」ということになる
3 調書第2回・二通目は5月13日で自白維持:盗みの手口としては、「手島の部屋に忍び込み盗んだ」と言い単独犯行で。

4 調書第3回・三通目は5月18日で供述内容がかなり変化した、曰く「柳沢の連絡で手島の部屋に赴き、倒れている手島を救急車に連絡して病院へ、「その後に保険証などが必要だろうと思い手島の部屋に引き返して、保険証と郵便貯金通帳と実印を持ち出した」:すなわち盗みを自白には変わりはない。柳沢からの連絡はこの段階で始めて明らかにされるものの、病院から部屋に戻って盗んだとなる構造だ。

5 4回目・四通目は5月21日、

6 5回目・五通目は5月22日、この日6回目・六通目も取る、よって一日2回、後者は簡単な分だ

7 7回目・七通目は5月23日、送致前の分である。

 4回から7回の調書七通を今ほど一読したが、問題点を書き留めるまでの時間なし。後ほどにする予定。
 段々と変化していることが分かる。特に柳沢自身が「自分が持ち出して病院で手渡した」と述べていることを斉藤刑事は鈴木に伝えて、「どれが正しいのか?」と質問している。
 この段階で鈴木は「部屋で、救急車が来て手島を運び出すまでの間の、3分間に押入れのバッグの中から通帳と実印を取り出しジーンズのポケットに入れた、その時に保険証と介護保険証は柳沢に渡した」と述べている。病院で柳沢に始めて通帳を示され、手渡された事は刑事に問われていない。本人もそのようには述べていない。

8 検察の調書は送致された日の5月24日が初めてで一通目、「警察に述べたとおり、」としている。それが具体的には、「何を意味するか」は特に具体的には述べていない。

9 調べ2回目・二通目の検察調書は5月27日だ、「手島のアパートから盗み出しーー云々」と。柳沢のことには全く触れていない。
 警察調書では斉藤刑事が鈴木に話をしている。それによると、柳沢から病院で受け取ったのではなく、救急車が来た時に手島の部屋で自分がバッグから取り出し、通帳と印鑑はズボンのポケットに入れた。保険証と介護手帳は部屋で柳沢に渡した、となっている。

10 柳沢の警察調書はあるが、開示されず。検察は知っている。検察は柳沢を調べず。
11 起訴は満期日の5月27日だ。起訴後の6月15日に児玉検事に呼ばれて調書を取る、犯行否認で柳沢が持ち出し、病院でその事実を知る、そこから預かる、手島の了解のもとに借り入れた、柳沢も常に同席しいたので知っている。5万円は入院保証金として。
12 したがって検察は盗みはしていない事、柳沢が証言している事は供述書になっているが検察は開示せず。また検察は柳沢を調べず。不利になるからだ。
13 検察による証拠隠しであり、権力犯罪である。取り調べ警察官と検察官を証人として申請すことが必要である。

以上 千代丸 健二


鈴木調書の変遷と日時

2005年03月22日 15時33分50秒 | Weblog
熱海署事件についての鈴木正勝さんの調書を調べると以下である。
1 逮捕は2004年5月6日
2 自白調書は第一回が5月7日、調べは斉藤警部補
3 調書第2回は5月13日で自白維持:手島の部屋に忍び込み盗んだ、一人の単独犯行になっている。
4 調書3回は5月18日で供述内容がかなり変化した、曰く「柳沢の連絡で手島の部屋に赴き、倒れている手島を救急車に連絡して病院へ、「その後に保険証などが必要だろうと思い手島の部屋に引き返して、保険証と郵便貯金通帳と実印を持ち出した」:すなわち盗みを自白には変わりはない。柳沢からの連絡はこの段階で始めて明らかにされるものの、病院から部屋に戻って盗んだとなる構造である。

5 柳沢の警察調書はあるが、開示されず。検察は知っている。検察は柳沢を調べず。
6 起訴は満期日の5月27日だ。起訴後の6月15日に児玉検事に呼ばれて調書を取る、犯行否認で柳沢が持ち出し、病院でその事実を知る、そこから預かる、手島の了解のもとに借り入れた、柳沢も常に同席しいたので知っている。5万円は入院保証金として。
7 したがって検察は盗みはしていない事、柳沢が証言している事は供述書になっているが検察は開示せず。また検察は柳沢を調べず。不利になるからだ。
8 検察による証拠隠しであり、権力犯罪である。取り調べ警察官と検察官を証人として申請すことが必要である。

以上 千代丸 健二
 


光が丘公園内でのアジアン風レストランで

2005年03月22日 03時46分24秒 | Weblog
2005年3月21日 月 休日 快晴 暖かい
 実はこの日の出来事にはじまり、数日間の出来ゴロジーをたっぷりと書き込んだ、ところが投稿のボタンを押したが改めてIDやパスワードを入れととの指示がでた。このブログは簡単で便利が良いというので始めたのだが、実際に使ってみると前述のようにしょっちゅう「パスワードを入れろ」というのだ。
 それもすんなりといかずに何度かトライしなくてはならないこともある。原稿を書き上げてさて更新とか投稿へと実行した時に上手くいかないと、原稿が消えてしまうのだ、やっ、やっ!という訳でたいへんにこまった。厳密には下書きをすればいいということになるのだが、いちいち下書きはしないものだ、
 そういう次第でせっかく書いた記事が消えてしまい、今は少し気分が落ち込んでいる。同じ事は書く気がしないのでこれで終わりにしよう。でも思いつくままに箇条書きにでもしておこうか。

1 加島厚君と光が丘で懇談
2 山本真紀子さんと熱海署裁判対策の為に警察と検察で鈴木正勝さんが取られた調書を検討へ
3 目白の元気堂・呉雄志さんも光が丘のアジアン風レストランに来て懇談した。

ーーーなどなどを中身とその間の事情などを分析して書いたもの。久保亜美さんところに一昨日また訪問したのであるが、その帰路にリサイクルショップでの買い物、またシルクのネクタイ選びで購入の話しからなどこもごも。

 花粉症で鼻ではなく眼が痒い、痛みまでいかないが聞くと呉さんも山本さんも同じという。 



人権110番の昔の企画は現在に通じますね

2005年03月19日 15時06分26秒 | Weblog
 古い企画という項目を見ました、とても良いじゃないですか。
すでに実行されているのもあるし、こんなのをやってくれると面白いな、というのもありますね。
 でも人権110番のHPをよく見ると、実にきめ細かくいろいろな問題を取り上げ、実践しているのことが分かります。
 凄いし面白いですよ。千代丸さんって、どんなに辛いことやハードなことも遊びや楽しみに変えてしまう抜群の才能があるのですね。

 どんなことでも楽しみながらやる、というのが人生哲学だということを聞いたことがあります。
 健康が優れないという記事を見ましたが、命お大事にしてボチボチやってください。
千代丸さんは私たちの頼みの綱ですから。
 お大事に、心からご自愛のほどを切望いたします。

古い記録メモから:オウムや事件簿企画

2005年03月19日 07時10分48秒 | Weblog
2005年3月20日 土 メモ
古い記録を開いて面白そうなものを出しておこう。

96/07/24 (水) 曇 440件
 先日の東京水上警察の巡査部長が、Kさん関連の捜査で、彼女の出身大学であるN大芸術学部の担当教官を電話で事情を聞いた件で、その折に同じく名前の出たH・K子さんから、感謝の電話があった。その理由は小生が警官に話を詰めて、今後絶対に学校はもちろんのこと、家庭や職場にも行かないことを釘を刺したからだ。

 「はい、こちら人権110番」のインタネットを開設してまだ十日くらいしか経っていない。特に「破防法」対抗のブックレットを作るに際しその紹介も兼ねているのであったが、警察対抗や一部の記事紹介をしたことから、のぞく人が一段と増えたようだ。単に本の紹介だけでは面白くないが、毎日がドキュメントのようなものや、事件簿、具体的な対抗法、相談事例が載ってこそ、このページは関心の的になるものだ。
 連日「はい、こちら人権110番」を載せると、このコーナーは人気者になること請け合いかも。他人のことはどうでもいいので、小生なりに検討してみよう。

 人権・警察・司法・報道関連ニュースレター
 人権ネットワーク関係・内部報/限定配信
 事件簿/ハイ、こちら人権110番!
 ドンと来い、破防法、何時でも来い、破防法、早く来い、破防法
 記録メモ
 相談事例
 オウム関連事件簿・相談事例
 警察不祥事・事件簿
 警察対抗法/こんな時どうする? どうなる?
 悪い警察とたたかう法・Q&A
 市民のための「人権・警察」六法
 交通警察実践対抗編・ドキュメント/Q&A
 悪徳ポリ公壊滅作戦
 「オイコラ警察新聞
 「市民と警察」新聞
 「メディアチェック」新聞
 悪い教師と闘う法・実践編と事件ドキュメント
 報道被害と人権報道/メディアと闘う方
 現場ドキュメント編/自由放送・制作
 日報/人権110番関係 社会関連記事
 編集者への手紙/往復書簡 拝啓、千代丸健二様
 投書、読者の声/、意見体験
 毎日がドキュメント/人権ネットワーク関連・内部報
 
 理論と実践/哲学的思索ノート
 生きる・死ぬ楽しみ/輪廻の思想ヲ越えて/有為自然、無為自然、無碍自然の儘に
 思う、考える、行動する自由なるメモの一節/健康、いのち、友情、金、仕事、生きる、旅、
 思索ノート、/もっとも自由なる空間、誰憚ることなく・汝の命と良心を愛せよ
 自由発言コーナー
 仙台・暴力教師壊滅作戦実践編

 記録/事例研究・あの事件を検証する/川崎駅前交番熱湯リンチ事件完全暴露追及ドキュメント勝利編
 記録/検証編  川崎暴走族事件・高津署事件殺人未遂でっち上げ暴露事件
 新宿署・駅前交番不当職質、暴行傷害事件
 
 人権110番相談/警官に不当逮捕されたり、暴行など人権侵害の被害者として警官を告訴しても、滅多にその警官は起訴されるとか、処罰されることがないがそれはどうしてか? 公務執行妨害の罪ではすぐに逮捕されたり、起訴されることはよく新聞記事になるが、余りに不公平ではないか?
 
 ネットに反応した数を調べてみた。今朝と変化がない。その後に接続したがその際に、電源を繋いだがその後は切ったままである時点まで繋がることが判明した。その状態では483のままである。
 深夜になってチェックしたところ、509件になっていた。外部の人が覗くだけの魅力があるということなのか。それに応えるという気持ちで接することもできるが、他人のことは考えずに面白いことを好きなようにしましょうか。それが一番良いのである。
それに常に新しいニュースを入れることだ。立場が変われば新しい、知りたいものがあってこそ時間とお金を掛けてみるものだ。

 共同通信のK記者は午後10時過ぎに来た。午前二時半までの間にいろいろとオウムを巡る問題から始まり、メディアの問題点、人権と報道の在り方、警察捜査の現況、信仰の強さと弱さなどをかたりあった、この記者は人格面でも能力でも豊かで、感性と新聞記者としてのシャープさ、そして人権感覚がいいと思う。及第である。例会に参加することを了解した。良い人物である。来月の定例会に参加を了解した。

離婚紛争打開の要件は?

2005年03月18日 02時23分46秒 | Weblog
 目白の元気堂で呉さんと話をした、彼の抱える二つの問題がある。一つは電話機とコピー機械をセットにして[NTT社員だ、毎月の電話使用料で新しい機械が手に入る、クレジットの書類を使うがそれは関係ない」と誤魔化して長期間のクレジット契約を結ばせようとした詐欺的商法の会社との契約解除をする件。この問題はまた項目を改めて書こう。トラブル解決の手順があるし、知恵も出てきたので結構面白い。
 翌日の3月19日に訪問して現状は変化無しということだった。また新しい業者が同じような物を売り込みに来た。営業マンの話を聞いていると、とにかく『売れ、売れ」と会社から八ッパをかけられている事が分かる。それと社員に理念とか哲学が感じられないことだ。人間に魅力が感じられない。卑屈で横柄で誤魔化しの言葉使いがアリアリだ。小生はこんな人たちとは付き合いたくはないなぁ。

 もう一件は妻が申し立てた「離婚調停」のことだ。呉さんには離婚をしなくてはならない理由も気持ちもないと反論して、十五日の第一回調停に臨んだ。その模様を聞いた。妻の方は五年前にも調停を申し立てたが、このときも離婚は決まらず。別居となった。子どもがまだ未成年だったからだ。子どもの意見も離婚反対派と「分からない」という二派に分かれる。
 「離婚しても良いよ」という子はいない。五年後に再度考えるという条件で当時は纏まった。調停員もホッとした模様だ。なるべく離婚を勧めないのが家裁の方針だろう。どうしても駄目なら仕方がないが、三回ほどの調停を開いて纏まらない時は、裁判で決めるほかないですね、となる。それから五年経った。妻は今度は弁護士二人を代理人に立てて申し立てた。弁護量も着手金は50万円くらいか。

 他人が下世話風にいえば二通りある。
1 せっかく結婚したのだから、少しくらい不満があっても離婚は避けて努力をしたら? どうしても駄目なら別居でもしてその間に考えるとか。子どもたちが可哀想だよ。子はかすがいと言うじゃないか。
2 夫婦といっても所詮は他人同士だから、性格や気が合わずに別れることはいくらでもある。熟慮の末に離婚が決まったのならそれも良し、他人がとやかく言うことではない。本人たち次第だ。

 とまぁ、こんなことになるのだが、結婚は簡単にできるが離婚は大変なエネルギーを必要とするものだ。協議離婚が出来ると良いが、そこで決まらねばば裁判となる。90%ほどが協議離婚だという。財産分与、慰謝料、子どもの親権など決めなければならないことも多い。
 嫌な人間とは顔を見るのも側にいることも不快だから、サッサと別れて無関係になるのが精神衛生上は一番よろしい。
 小生はそのようにした、だから現在は気分は最高である。心は健康だ。元妻のことなど考えたこともない、懐かしさとかよい想い出なぞも全くないから、精神的にも最高の気分で毎日を過ごしている。
 だから、夫婦で争いごとで日常的にトラブっている人からの相談があれば、「一日も早く別れよ」と薦める。協議離婚が出来ねば裁判でもやって、その時は徹底的に争うことだ。嫌な奴とか嫌いな深い事情ができたのならば、ましてや人間的にどうしようもないほどの「じじょう、りゆう」がある時には、周辺の他人には絶対に分からないのであるから、どんなに闘ってでも離婚することだ。
 「敵」に塩を送ることはないのだから。面倒だとか可哀想だというのならば、乞食に呉れてやったと思って金と物はくれてやるがよい。『縁』があって好きになり、恋愛の末に結婚までしても、一緒に暮らしてみると、どうしても合わない部分が出てくるもの、むしろその方が自然である。
 嫌な部分が鼻についてくる。それも我慢できるならばそうするが良し、できねば別居か実質離婚状態のまま過ごすか、サッパリする為にも離婚が一番よろしい。言葉の県下も刷るだろう、暴力もあるだろう、ものが飛ぶこともある、浮気も不倫も盛り沢山だろう。

 まぁ、殺したいくらい憎い感情があっても、実際に殺し合いというのも面倒なものだ。こちらも相当のエネルギーが要る。完全犯罪が出来ればよいが、なかなかそうは行くまいて。調停をやるうちに双方が相手のいいところ、悪いところを発見して、また新しい『縁』が生まれるかもしれない。別れたことで人間らしい人生が送れるのならそれが最高だ。
 追加で言えば、尊敬できなくなったか敬愛できないとか、一緒にいるのが空しくなるとか心、精神、魂を食い荒らされるように感じたら、別れる決心をした方が良い、但しそれを実行するかどうかはまた別の問題だ。人様々、人の生活と生き方は個別事情によるし、他人が口を挟むことではない。好きで一緒になったのなら嫌いで別れるのも落ちの付け方か、と小生は考える。
(2005年3月15日記)

050415 木
 呉さんから連絡あり。昨日調停があった、その席で妻の方の意向は理由も特に示さずに「とにかく離婚したい」の一点張りだった。そこで調停員から呉さんに打診があった、曰く「妻の方の代理人弁護士から提案があった、和解金を払うが離婚を受け入れてくれと、どうだ?」と言うもの。
 呉さんは和解金については返事をしなかった、次回に具体的に提示があるのではないかというのが予測だ。いま十九歳の子どもがいる、成人するまでは離婚は出来ないと。成人したら離婚に応じるのか?」と調停員は離婚勧めの線だ、これにも呉さんは明言はしなかった。その時にならないと分からないという返事だけをした。

熱海署冤罪事件の記事を一部訂正した。

2005年03月17日 23時43分19秒 | Weblog
 熱海署冤罪事件控訴審の記事を少し訂正した。3月15日の第一回控訴審で採用が決まった証人の数を「二人」としていたが、これを「三人」にした。被告人・鈴木さんも採用されたかららだ。鈴木さんについては検察も反対はしなかった。だが柳沢、田中の両名については「不同意」の意向を。だが裁判所はアッサリと「採用」を決めた。思わず拍手したくなる場面だった。
 手島正生については「保留」となった。健康上の理由である。だがこの人の証言は欠かせない。何故ならば、鈴木さんが自分の郵便貯金通帳を盗み出し、勝手に引き出して使ったとして「被害届」を沼津署に出した当人だからだ。一方は盗まれたと言い、片や「盗んでいない」と正面から争うのが控訴審だからだ。

 原審の事実認定は、被害届けを出した手島正生さんに軍杯を挙げた。鈴木正勝さんの弁解を「病気で倒れ意識不明になっていた手島さんを病院に運び込んだのを幸いとして、弱みに付け込んで預金通帳を盗み、本人に成りすまして61万円を引き出し、遊興費などに費消した、極めて悪質」と決め付けた。
 これが判決の骨子だ、こんな厳しい判決文を貰うとそれだけで戦意消失してしまう。しかしめげずに反論を開始し、控訴審に賭けることになったものだ。この辺の鈴木さんの思いと率直な気持ちを文章にして出してくれと頼もう。支援をしてくれた人たちにも伝えたいからだ。
 関係者の証言をすべて陳述書にして裁判所に出した。弁護士もこれを見てやる気をさらに出した。もし採用され、証言台に出ることになれば、チャンスは出てくるからだ。

 力作の陳述書は留保に。証人の証言を聞いてから決めると裁判所。陳述書面を書いた本人を証人としてきてもらうのだから、直接話を聞こうというのは当然であろう。柳沢証言が「窃盗」を左右する重要なカギである。証言が変わることはあり得ない、検察官が少々意地悪をしても柳沢さんならシッカリしているから心配はない。
 検察が隠していた調書を認めさせた上、開示させることにも成功したのであるから、無罪に大きく近づいたと見ることができると言うのは決して早くはない。
  

鹿島とも子さんと久し振りに会う

2005年03月16日 05時00分45秒 | Weblog
050315 火 晴れ
 午前中の東京高裁での鈴木正勝さんの第一回控訴審が済んで、銀座数寄屋橋のニュー東京で鈴木さん親子と三人で食事をした。本日の裁判はかなり良い感触だったと、みなの印象が一致した。
 ニュー東京のフランス風料理も実に美味い、ビールも美味かった。「無罪になるといいなぁ」という鈴木さんの言葉は実感がこもっていた。なんとか獲得させたいものだ。
 全面無罪が目標だが、万が一全部は認定されなかった時でも、「窃盗は落とせる」と思っている。これだけの証拠と証人を揃えたのだから。
 麻衣子さんは昨夜から緊張気味で下痢状態だという。せっせとトイレに行っている。無理からぬかな、むべなるかな、彼女の働きと神経は我慢強いようだが、トイレともお友達になるのも正直な反応である。
 食事代の支払いは鈴木さんが奢ってくれた。タクシーに乗っているが少しお金が入ったからというが、熱海は今不景気である。一晩に一万円しか売り上げぬ時もあるという。給料は一か月に15万円前後というから、良い稼ぎとはいえない、金持ちとはいい難い。それでも気持ちが嬉しいのでご馳走になった。

 その後に別れて小生は地下鉄丸の内線に乗り、高円寺駅へ。午後三時前に久保亜美さんのマンション訪問。鹿島とも子さんが来ているので三人会うことになっていたからだ。「お久し振り、お元気でしたか?」と互いに気遣いの挨拶。その後はテーブルを囲んで楽しい話の花が咲き乱れたものだ。亜美さんの話しと語り方には二人とも大いに笑った、笑い転げた。何にしても笑いは健康の素だ。鹿島さんも亜美さんの『元気印』をもらって、うんと元気になった。
 午後6時半ごろまでいた、帰りには亜美さんが実に美味しいご飯をお握りにしてくれたので有り難く頂戴した。いやぁ、実に美味しかったのである。とも子さんにも同じお握りを。彼女も大喜びだった。

 帰り道にリサイクルショップを見付け、置時計と掛け時計を購入した。そして目白の元気堂へ。呉さんの本日の離婚調停の模様を聞く。彼は別れるつもりはないが、妻の方は一貫して別れたいのである。こんな時どうする? どうなる? 現在は別居中である。実質は「別れた状態」に近い。
 私の意見ですか? 嫌な相手だったらサッサと別れたらスッキリするのじゃないかな。ま、お好きなように。夫婦のことは他人や外からは分からないことが多いものだ。