あまり今日性のある作家とは言えないですね

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大涌谷で群発地震が活発化した

2016-08-22 14:50:23 | 生活

`東北地方太平洋沖地震と関連も指摘されていて、30年以内の発生確率が88、70、60%とされる東海地震、東南海地震、南海地震、70%とされる首都地震への不安が高まる。
 そういえば昨年、箱根。

 昔なら改元するところだが、現在モノを置いた場を忘れるは元号法によって一世一元、皇位継承があった時だけに限られている。

 さて、我が家の小さな自然の話をしよう。
 今年は、ゴーヤの緑のカーテン作りが順調で、ゴーヤの実も例年より多く収穫できた。カーテンはだいぶ枯れたが、まだ花を咲かせ小さな実をつけている。

 トマトはわき芽を摘まむのをサボったせいで、収穫が今ひとつ。
 紫蘇はずいぶんと茂ったが、さすがに今は花を咲かせて、季節の終わりを感じさせている。
 バジルも夏の頃ほどの葉の勢いはなくし、そろそろ最後のバジルソースにしようかと思っている。バジリコスパゲッティのほかにサラダ用にバジルソースを使ったが、これがなかなか旨かった。

 アサガオもほぼ終わり、種も収穫した。終盤の種はスカスカで、連れ合いによれば代を重ねると種が弱るのだという。来年は新しい種とともに植えて、交配させた方がいいらしい。
 ルコウソウはマルバが終わって、今はモミジバが盛んに花を咲かせている。

 春に植えて芽を出さなかったマルバが、どういうわけか秋口に目を出し始め、10センチほどしか伸びないのに花を咲かせている。
 枯れかけたゴーヤの茎の根元で、頑張って咲いている花を発見して、自然の生命力に感動する。
 大きな自然は時に災害をもたらすが、人の心を和ませ勇気づける小さな自然もある。


私が子どもの頃

2016-08-11 16:05:28 | 生活

東京にも野鳥がたくさんいた。夕方には蝙蝠も飛んだ。雀はどこにでもいた。都心を少し離れれば、畑や野原、林も多く、水田ではよく白鷺を見かけた。
 やがて畑や水田、野原に家が次々と建ち、団地が出来、池は埋め立てられ、川や用水路は暗渠となって道になった。土はコンクリートやアスファルトに覆われ、工場などの大きな敷地にはマンションやビルが建ち並んだ。
 それでも、つい20年前までは東京の周辺区にも畑が残っていたが、農薬散布などの影響か、雀をほとんど見かけなくなった。
 それに代わって繁殖したのが鴉で、家々から出る生ゴミを漁った。鴉は雑食性だが小型の野鳥も襲うので、東京区部では鴉以外の野鳥を見かけることが少なくなってしまった。

 ここ数年、都心部に野鳥が帰ってきている。年々無論在什麼年代,追求幸福都是永恆、その数も種類も増えているように思える。昆虫も増えている。生態系が回復しつつある。
 詳しくは判らないが、昆虫が増えたのは街路樹や公園の樹木などで消毒薬散布をしなくなったせいではないかと思う。昆虫は野鳥の餌になる。
 それと小型の野鳥を襲う鴉が減った。鴉が減った大きな原因は、収集ゴミに掛けるネットだと言われている。ゴミ袋を破って生ゴミを漁れなくなったために、鴉が減ったのだそうだ。

 たぶん、そういったいくつかの要因が重なって、都心部の野鳥が増えたのだろう。
 後楽園のラクーアにあるスターバックスのテラスのテーブルの周りには、パン屑をねだる雀が常駐している。平気で人の足許までやってくる。雀をザルの罠で捕まえようと悪戯する子どもは今の東京にはいないので、雀も安心して寄ってくる。
 野鳥たちは森のある公園や緑地、河川敷などをねぐらにしているのだろう。都心部には皇居や神宮の森、上野公園など意外に大きな森が多いので、昆虫が増えて、鴉が減って、鴉以外の野鳥が増えた。
 しばらく前に、日本野鳥の会の会員である知人とそんな話をしたことがあったが、その知人によれば、鴉は餌が食べられなくなって都心を離れ、郊外に移動しているのだそうだ。


想忘掉一個愛著的人是真難

2016-08-03 16:02:55 | 生活

 一年又一年的過去了,整整十年了,他都是帶著撕心裂肺的愛去想,去愛,去思。他不想用千紙鶴的相思去眷戀,他只有給他的心就足夠了。即使在那美麗的耶誕節裏 滿屋子掛滿相思的千紙鶴又有啥用,現實叫他們隔距得那麼的遙遠。他痛悔自己失去的機會太多,也痛悔自己的怯懦,多少美麗愛的機會他都錯過了,可是那時的他 就是不夠勇敢。“紅了櫻桃,綠了芭蕉,時光容易把人拋”也真驗證了這句詩的諫言。錯過了真是不能撿回來,遲來的愛真是讓你傷心又無奈。他面對這一切,還能去說什麼呢?回想起與她的點點滴滴無論在什麼年代,追求幸福都是永恆 ,真的叫人相思不斷,傷心滿懷。
  
  那是一個雨後的黃昏,屋子裏只有他們兩個人,那時外面還淅瀝瀝的下著小雨,屋裏的他們就象潮濕的雨,各自的心裏都潮濕得很,她象被他的情感洗 浴一樣,在那悶熱的屋子裏煮,她接受著他愛的蒸煮和煎熬,擁入了他的懷抱,她那小鳥依人般的美,真的叫他愛不釋手,那急促的呼吸,蘭花草般的清香,時不時 在迷蕩著他,他象被她的美麗徹底折服,他的心跳在加速,脈搏跳動不停,看著她那美麗動人的樣,真的好象玫瑰花,開在他的懷抱中。那時的她,真的是為他投 入,他們纏綿在一起,她接受著他美麗的愛撫。
可是,那時的他卻沒有再那樣把愛進行下去,就在她急需要的時候,他收手了,把愛終止在那美麗的記憶裏。可她卻象沒有盡興似的,委屈的不再理他。他那時不是不想去佔有她,而是覺得太對不起她,因為她有美好的前程和美麗的青春,他不能那樣自私的去毀了她,即使她那時怨恨他,但到她清醒時,就會想到他對她的好。其實誰不愛美麗的少女,誰不愛自己最喜歡的人。可是,千萬你要記住,你既然愛她,就會讓她幸福,不能給她帶來傷痛,更不能那樣的不負責任的把人家給毀了。愛都是相互的,都要給各自一個美好的空間, 叫自己去回味。他和她在一起,不知錯過多少美麗愛的時機,她也真的喜歡他,他也真的喜歡她,但現在都是在心裏暗暗的記著對方。雖然他們沒有在一起,但他們 彼此都是愛得是那麼的認真。倘若愛在給他一次的話,他會毫不猶豫的去愛她。但他們現在都心有所屬,他們只能相互記住對方,當成最好的朋友來處。
  
 不想記起時偏偏想起。他對她的想念真是與日俱增,但又有何妨?人家有歸屬了,他再不能去打擾人家的生活。他只能把那最深的愛埋在心底,自己在痛徹心扉的想念。也許這種想念不知能延續到何時?或許到我死後他還是在揪心的想念著她,愛上一個人真是好心苦,或許你也有這種感觸吧?
  
  但為了你愛的人,不管你受到多大的痛苦都是值得的,哪怕真的有一天,為她去死也願意。人哪?這真是叫人不可理解的,你愛的人不能在你身邊真是一個痛苦的事情,可是誰能理解呢?只有你自己才能明白。