あまり今日性のある作家とは言えないですね

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ディッケンズ」と彼は即座に答えた

2016-03-03 15:56:30 | 生活


そのようにして僕は十八から十九になった。日が上り日が沈み、国旗が上ったり下ったりした。そして日曜日が来ると死んだ友だちの恋人とデートした。いったい自分が今何をしているのか、これから何をしようとしているのかさっぱりわからなかった。大学の授業でクローデルを読み、ラシーヌを読み、エイゼンシュテインを読んだが、それらの本は僕に殆んど何も訴えかけてこなかった。僕は大学のクラスでは一人も友だちを作らなかったし、寮でのつきあいも通りいっぺんのものだった。寮の連中はいつも一人で本を読んでいるので僕が作家になりたがっているんだと思いこんでいるようだったが、僕はべつに作家になんてなりたいとは思わなかった。何にもなりたいとは思わなかった。

僕はそんな気持を直子に何度か話そうとした。彼女なら僕の考えていることをある程度正確にわかってくれるんじゃないかという気がしたからだ。しかしそれを表現するための言葉がみつからなかった。変なもんだな、と僕は思った。これじゃまるで彼女の言葉探し病が僕の方に移ってしまったみたいじゃないか、と。

土曜の夜になると僕は電話のある玄関ロビーの椅子に座ってろうそくの灯りを見つめている時間が長すぎる……半日とかあっというまに過ぎてしまうのだ……炎のゆらめきはひと惑わすわね。、直子からの電話を待った。土曜の夜にはみんなだいたい外に遊びに出ていたから、ロビーはいつもより人も少くしんとしていた。僕はいつもそんな沈黙の空間にちらちらと浮かんでいる光の粒子を見つめながら、自分の心を見定めようと努力してみた。いったい俺は何を求めてるんだろうそしていったい人は俺に何を求めているんだろうしかし答らしい答は見つからなかった。僕はときどき空中に漂う光の粒子に向けて手を伸ばしてみたが、その指先は何にも触れなかった。



僕はよく本を読んだが、沢山本を読むという種類の読書家ではなく、気に入った本を何度も読みかえすことを好んだ。僕が当時好きだったのはトルーマンカポーティ、ジョンアップダイク、スコットフィッツジェラルド、レイモンドチャンドラーといった作家たちだったが、クラスでも寮でもそういうタイプの小説を好んで読む人間は一人も見あたらなかった。彼らが読むのは高橋和巳や大江健三郎や三島由紀夫、あるいは現代のフランスの作家の小説が多かった。だから当然話もかみあわなかったし、僕は一人で黙々と本を読みつづけることになった。そして本を何度も読みかえし、ときどき目を閉じて本の香りを胸に吸いこんだ。その本の香りをかぎ、ページに手を触れているだけで、僕は幸せな気持になることができた。

十八歳の年の僕にとって最高の書物はジョンアップダイクのケンタウロスだったが何度か読みかえすうちにそれは少しずつ最初の輝きを失って、フィッツジェスラルドのグレートギャツビイにベストワンの地位をゆずりわたすことになった。そしてグレートギャツビイはその後ずっと僕にとっては最高の小説でありつづけた。僕は気が向くと書棚からグレートギャツビイをとりだし、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。一ページとしてつまらないページはなかった。なんて素晴しいんだろうと僕は思った。そして人々にその素晴しさを伝えたいと思った。しかし僕のまわりにはグレートギャツビイを読んだことのある人間なんていなかったし、読んでもいいと思いそうな人間すらいなかった。一九六八年にスコットフィッツジェラルドを読むというのは反動とまではいかなくとも、決して推奨される行為ではなかった。

その当時僕のまわりでグレートギャツビイを読んだことのある人間はたった一人しかいなかったし、僕と彼が親しくなったのもそのせいだった。彼は永沢という名の東大の法学部の学生で、僕より学年がふたつ上だった。我々は同じ寮に住んでいて、一応お互い顔だけは知っているという間柄だったのだが、ある日僕が食堂の日だまりで日なたぼっこをしながらグレートギャツビイを読んでいると、となりに座って何を読んでいるのかと訊いた。グレートギャツビイだと僕は言った。面白いかと彼は訊いた。通して読むのは三度めだが読みかえせば読みかえすほど面白いと感じる部分がふえてくると僕は答えた。

「グレートギャツビイを三回読む男なら俺と友だちになれそうだな」と彼は自分に言いきかせるように言った。そして我々は友だちになった。十月のことだった。

永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかははるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。

「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」

「永沢さんはどんな作家が好きなんですか」と僕は訊ねてみた。

「バルザック、ダンテ、ジョセフコンラッド、。