あまり今日性のある作家とは言えないですね

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初夏的微風,從枝葉間躥來

2016-06-20 17:29:44 | 生活

將斜未斜的紅日,流光從繁枝密葉間緩緩瀉下,灑落一地,描繪出斑駁的樹影。沐浴在陽光中的蓮葉,明媚秀麗,嫩綠、淡青 間冒出幾枝粉蓮,在碧水微漾間輕晃身影,透出一種淡然的含苞欲放的嬌柔。不同於西子湖畔的“接天蓮葉無窮碧,映日荷花別樣紅”那般的風姿卓越,眼前的蓮, 各有各的迷人之處。那含苞欲放的花骨朵,猶如一個個新出生的嬰兒,嬌嫩的花瓣閉合在一起,使得花瓣尖那一點點粉簇成一抹紅,靜靜地安睡在湖面,好不安逸。 半綻的蓮好似剛過及笄之年的少女,帶著羞澀,躲在蓮葉下好奇地觀望。全然盛開的蓮花,優雅地舒展開來,端莊地亭亭於湖中。所謂“灼灼荷花瑞,亭亭出水中。 一莖孤引綠,雙影共分紅”正是如此吧生命的燦爛,寫亂了靈魂的花蕊,是剩下淚,還。在蓮的清香裏,夕陽漸下,一片輕柔的霞色中,隱現一輪圓月,淡淡的光亮藏匿於薄雲之下,好似“猶抱琵琶半遮面”的仙女眺望人間的美好。月亮周圍的天空被霞雲遮蓋,嫩黃、淡橙、淺紫、天藍,色彩一層層向月亮中心暈染開來。夕陽的餘韻和著月華的皎潔,重葉疊影的蓮池顯得愈發的幽靜恬然。偶爾幾只蜻蜓扇著翅膀,輕盈地從水中點過,微小的波紋也饒是驚了這一份幽靜。
  
  放任自己,信步在校園裏,從日落到月升,不管是陽光下的蓮花還是月色中的蓮花,都散發著一種怡人的魅力。人們常說“欲把西湖比西子,淡妝濃抹總相宜。”陽光下的蓮池是一副清麗明快的水彩畫,而月華中的蓮池恰似淡雅古韻的水墨畫,別具風格。
  
  就在這裏,忘了塵世的喧囂,忘了心中的煩躁。張開雙臂,踮起腳尖,閉上雙眼,深深吸一口氣,入鼻的滿是蓮的清香和自由的空氣。風輕吹起長髮,拂過臉頰,凝神,這一刻只有自己......
  
  似乎像是畫家在夜幕中多添了幾筆墨藍,將月亮周圍的霞色遮去,只留幾縷霞絲游離在這一方月景中。漸漸地,漸漸地,暮色愈重,襯得月光愈發皎潔,仿佛東 海的明珠鑲在墨藍的絲綢上。幾只歸鳥從天際飛過,雙翅扇動間,定格成一個剪影。就這麼愣愣的看著,看著,直到鳥兒的身影縮小成一個圓點,直到周圍的夜色愈 加濃重,直到再看不清蓮的模樣,直到.......鳥兒歸巢,蓮兒入睡,周圍充斥著各種聲音卻又很靜。戀戀不捨的轉身離開,忽然一陣晚風吹過,我聽到蓮綻 放的聲音......


◇いつか水棹を長脇差に‥

2016-06-02 16:40:52 | 生活

最近、股旅演歌の人気があがり、この歌も、動画サイトの人気演歌である。いろんな方々がカバーしておられ、中でも歌の上手さ抜群のアマチュアの milkye326さん がカバーしておいでになるのが猫爺の好みである。

 ところで、動画サイトのカラオケや、画面に歌詞が挿入されているものに、誤字が多いので猫爺なりに推理してみた。これは、台湾で造られたカラオケがその原因ではないかと思う。

 この「木曽ぶし三度笠」も、気になるところがある。

   ◇やくざ渡世‥ で始まり

 今は修正されているが、以前はこの「水棹」が「三棹」になっているものがあった。水棹とは、船頭が舟や筏の舵をとるために使った竹竿などで、川底を突いて舵取りや推進のために使ったものだ。

   ◇木曽のナー仲乗りさん‥ 

 この歌に挿入されている「木曽節」であるが、「仲」の字は、「仲が良い」「夫婦仲」「仲間」というときに使う複数のものモノを置いた場を忘れるの間柄を示すために使う文字である。「なか乗りさん」とは、職業であるため「中乗り」とするのが正しいと思うが、動画サイトでは「仲乗り」が蔓延しているようだ。

 二番の歌詞では、 
 
   ◇木曽の架橋 太田の渡津(わたし) ≪津とは、船着き場のこと≫
    越えて鵜沼(うぬま)が 発ち憎い

 以前、この「憎い」だけを引っ張り出して、「何が憎いのですか?」なんて的外れの質問をしている人が居た。

 これも、台湾で造られたカラオケの影響のようで、「にくい」に漢字を当てはめるなら「難い」とするところを、音のまま「憎い」としてしまったものだろう。この「憎い」が、動画サイトでは蔓延してしまい、日本の方が作られたと思われるカラオケの歌詞も、猫爺が知る限りでは殆ど「憎い」になっている。歌詞には何かを憎んでいる部分は無い。

 例え「憎い」であっても、もう少し歌詞をズームアウトしてみれば、「にくたらしい」のではなくて、「発ち難い」のだということが分かる。「旅に出なければならないが、後ろ髪を引かれる思いだ」という意味。「それは何故?」、次の詞を読めばわかることだ。


   ◇娘ごころが しん底不憫
    などと手めえも、惚れたくせ

 この主人公は「中乗り新三」と呼ばれているヤクザ者であるが、故郷の伊那には新三に惚れた娘が泣いて新三が旅に出るのを止めたのであった。
 自分に惚れた娘の心が不憫だと思う新三であったが、新三は自分に話しかけている。
   
   「そんなに恰好をつけているが、お前もあの娘に惚れているではないか」
 
 立ちにくいのは、その所為なのである。