goo blog サービス終了のお知らせ 

天使に出会ってから

体と心の変化を見つめて書き留めておきたい

続編

2005-06-13 20:41:44 | Weblog
夜中店が終わって快調にバイクを飛ばして帰るのが楽しかった
どの信号をどのスピードでスタートすれば、どこの信号まで
間に合うか、どここに危険なマンホールがあるかなどもわかって来る

朝比奈峠は楽しい峠になった、「ここから野犬が飛び出してくるぞー」
と思っていれば別に怖くもなかった、、想定の範囲内ってやつで、、、

ある日予定どうり信号をスムーズにパスして、磯子プリンスの坂のあたりで
タクシーを追い越そうとして、タクシーと並んだ瞬間、、

タクシーの前に犬が飛び込んできた、
僕は驚いて、フルブレーキを掛けてしまった
タイヤはロックして、バイクが転倒してしまった
右に倒れたあとに、そのまま、ズズズズーーと滑っていった
僕はどうするいこともできなかった

その次の瞬間バイクが立ち上がって、前輪を進行方向に向け直して
そのまま体制を立て直して走ることが出来た
何がおこったのか、わからなかった
一瞬、死んで天国でバイクを走らせているかと思ったほどだった

そして、思い出した

滑っている時に肘から先の手がたくさん地面から生えてきて
バイクを起こそうとしていた

不思議な体験」だった。


やっぱり天使が助けてくれたかなあ



2代目ベルは

2005-06-12 17:45:17 | Weblog
2代目ベルはとっても思いが深いのでゆっくりと後に書きたいとおもっている

と言うことで、今日は

不思議なことをおもいだしてみる
まだ僕が、コックをやっていて、夜中にちょっとたけ先輩が独立してやっている鎌倉のピアノバーの厨房をてつだっていた

12時ごろから3時ごろまでの3時間、、
帰りは電車がないので50ccのスクーターで通っていた
あの頃は、今のように高性能なスクーターなどなかった
スズキのジェンマと言うスクーターを買った
たしか、ホンダのタクト、ヤマハのベルーガ、スズキのジェンマ
これだけしかスクーターの種類はなかったと思う
スタイルが気にってジェンマにしたのだけれど、一番パワーがなかった、、。

鎌倉の店が終わって家にもどる途中、、
朝比奈峠と言うところを通って帰るのだけれど
そこは、鎌倉霊園がある峠で、ちょっと夜中は薄気味悪い、、
僕は幽霊は怖くなかったので平気だけれど、怖い人だったら
上り坂をアクセル全開にしてもトロトロとしか走らない、ジェンマで、車などほとんど通らない夜中の3時ごろに、あそこを通るのは怖いかもしれない、、。

ある日帰りの朝比奈峠を登っていた、、
上まで登り終わって、ちょっとだけ平坦になるのだけれど、
その平坦になったところのどこからか、野犬が僕めがけて飛び掛ってきた、、、頭のところがチカチカ!!!ってした
当時はまだ50ccのバイクはノーヘルでよかったので
もしかしたら、あの時髪の毛が総立ちだったかもしれない。

次の日から僕は仕事の合間を縫って自動二輪の免許をとりに教習所に通い始めた、、、。

そして250ccのバイクをかって、朝比奈峠を越えることになった
その後、野犬はでてこなかった、でも、もっと不思議なことが起こった。
それは明日かくことにする、。

ベル

2005-06-11 22:17:04 | Weblog
 天使は3回現れた

        ベル
                    ↑
               まずベルの字をクリックしてね

初代ベルは、忠犬ハチ公だった
毎日、どんなときも坂の途中で僕の仕事の帰りをまっていた
僕を見つけると、ニャー、と言いながら、ゆっくり近づいてきて体をスリスリとお帰りの挨拶をしてから、家まで一緒に坂を登って帰った
必ず、毎日の日課だった、

誰にでもなついていて、
名前を呼ぶと必ず返事をした、、
寝ているときでも声にならない声で返事をした

こんなこともあった

何か変なリズムでベルが鳴いている、言葉を話しているな鳴き方だった
見に行ってみると、ベルが二本足で座って、前足で電話の受話器を前足で挟んで
耳に当てる方に向かって、何か言っていた、
ちょと、鳥肌がたった、
隣の森さんのうちのポン太とも大の仲良しで、ポン太をうちに招待したり
ベルが招待されたり、、

ある日いつものように、坂の途中まで来たのだけれど、ベルがいなかった
名前を呼んでもこなかった、もう先に帰ったのかなあと思ってうちにもどった
ほかの猫たちは、みんないつものように、玄関まで出迎えにきてくれた
でもベルはいなかった、ジュニアママもベルを探している様子だった
そのうち帰ってくるだろう、お隣で寝てるのかも?

その夜中テレビを見ていた、2時過ぎごろだったと思う
ベルが帰ってきた、、そして僕の足元で、バタンと倒れて血尿を出した
急いでタクシーで動物病院に連れて行った
レントゲンでみると、肺がつぶれている
「ここに、小さい傷があるでしょ、おそらくキリみたいなものでさされて
それが肺までたしいて穴があたんだろうなあ、酸素ゲージに入れて様子をみましょう」

毎日東京のスタジオに行く前にベルに面会に行った、
元気がないけれど、看護婦さんが「べるちゃん」と呼ぶと「にゃー」と返事をしている
返事しなくていいから、、っておもった、

入院1週間が過ぎた、「あしたあたりちょっと退院してみますか」
「よかったね、あした迎えにくるからね」っていってスタジオに向かった
夜、8時ごろ、病院からスタジオに電話が、かかってきた、
「べるちゃんの様子がおかしいので、すぐ来られますか?」
レッスンは中止して、すぐに横浜に向かった
電車で30分そこからタクシーで15分、長い時間だった、。
病院到着した
先生が「死んじゃった」と言った
背中にプラスチックの管を針金で縫い付けられて、、

「べる、、痛かっただろう、こんなことされて、、」
死んだことより、死ぬ前にこんな痛い思いをさせられたことがかなしかった
僕は先生に「なんでこんな、、」そのとき
ベルが「おとうさん、やめよう、、」確かにそう、訴えた
しばらくその場に立ち尽くした、これ以上怒るとベルが汚れる気がした
家へ連れて帰った、、、
、、、一緒に横になっていると
ベルの体はだんだん硬くなってくるのがわかった、
病院で抱きしめた時は柔らかくてまだあたたかかったけれど。

お葬式は病院に頼んだ、

僕は列席できなかった

和田屋のオジサンに電話していた
おじさんは僕の好きな焼きうどん卵入りをすぐに届けてくれた、
すこしだけいただいた、お骨はペットの納骨堂に収めることになった

僕はその日からしばらく仕事をしなかった

キリをもって、近所をウロウロした、きっと犯人をベルが教えてくれる
見つけたら、ベル同じ目に遭わせてやると、おもって、徘徊した

5日目にいつもベルが待っていたところで、しばらく立っていた
「おとうさん、やめよう」また聞えた
聞えたのか、そんな気がしたのかは、わからないけれど
頑固な僕がその声だけには従ってしまう、
僕の思っているとや行動でベルが汚れてしまうような気にどうしてもなってしまう

僕はそれから、キリをも持って、ウロウロするのをやめた、、
ベルは2歳で亡くなった

そして3年経ち、ベルの骨をお寺から、持ち帰ったその日

山手駅の植え込みの隅っこに『横浜そごう』のグリーンの紙袋がすててあるのを見つけた
中になにかあるのが見えた、
生まれたての子猫が死んでる、、ともった
持って帰って埋めてあげようとおもって、袋ごと持ち上げた、
子猫が、動いた、、、
僕はその子猫に向かって「ベル」と叫んだ
2代目」べるだ、、、。




パーカショニスト

2005-06-11 00:29:41 | Weblog
  ここにも天使が、、

山手の東洋美術館という個人の家にそんな名前をつけてリビングを開放してギャラリーなどのレンタルスペースをやっているところがあった。
今は、建物はあるけれどそういったことはやっていないようだ

友人の守尾さん(今は消息不明)がチケットをくれた
東洋美術館でパーカショニストのリサイタルがあるらしい
自分はいけないので二人でどうぞ、と言ってくれた。

当日行ってみると20帖ぐらいのリビングに折りたたみの椅子が並べてあって、前にはマリンバ、ボンゴ,コンガ、ギロ、、ドラムセットではなく、スネア(小太鼓)、シンバル、、これだけならまだ理解できたのだけれど、天井から大、中, 小、のフライパンとなべ、、。

少しして主役らしき人がギターを抱えた普通の身なりの人を携えて現れた、、。

主役らしき人の格好は、顔は細長く、目も細長い、頭はスキンヘッド、
顎鬚はかなりフサフサ、
当時はまだスキンヘッドはそんなに一般の人達には定着していなくて、
その筋の人かお寺のお坊さんぐらい、、
頭と顎を逆さまにしたほうが、顔っぽいかもしれないと思った。
服は麻のルーズな生地の上下、ヨガをやりそうな雰囲気だった、

そのスキンヘッドのおじさんは、挨拶もなしに、急に大きいフライパンに頭突きをした、、、、
びっくりした、、、
周りはシーンとしている、
僕は一番前に座っていたので後ろの様子はわからないけれど、空気はシーンとしている
何度か大、中、小のフライパンに頭突きを繰り返している、
見慣れてくると、だんだんおかしくなってきた、、、
でも、「もしも周りの人がこのスキンヘッドのオジさんの熱狂的なファンというか信者だったら、ここで笑ったら、ヒンシュクをかうか、最悪つまみだされてボコボコにされかねない」
と思っって笑うのを堪えた、、。
普通の格好をしたギターのオジサンは座っているだけでなにもしない、
またそれもおかしい
マリンバの陰に隠れたかと思うと、急に振り向いてサンバホイッスルをくわえて、目を寄り目にして、不規則に、ピーピー吹きながら
なべをゲンコツでガンガンやっている

おかしくて、おかしくて、笑をこらえるのに必死だった、しっかり下を向いて奥歯を噛み締めたり、手をつねってみたり、だんだん息が苦しくなってきた、、、。腹筋がヒクヒクしている、肩が小刻みに揺れているのが、後ろの人達にばれているだろなあ、やばいなあと思いながら、必死にこらえていた

そのとき、MR.スキンヘッドはサンバホイッスルを吐き出し
「クエエエエ!!」と奇声を発した、、、

「うわああああはははは、、、」僕は堪えきれずにわらってしまった、、、、、。

後ろからも大爆笑の声が聞えた、、、、

MR.スキンヘッドはその後三角倒立をして、足でシンバルをけっとばしたり、ブリキの大根おろしで、頭を殴ったり、
考えられる滑稽な動きをしてみせてくれた、大爆笑で、ステージはおわった、
結局ギターのおじさんは座っているだけだった、、

アンコールがあって、また二人で出てきた
まだ面白いネタがあるのかと期待して、笑う準備をしていたら

マリンバをバチ4本で弾きはじめた、、すごいテクニックだった
ギターオジサンも弾き始めた、、いつのまにかアランフェス協奏曲のDUOなっていた、とても素敵だった

鳥肌がたった、

全てが終わって、2階のギャラリーに軽食が準備されていたので
みんなで,オジサンを囲んでおはなし会になった
MR,スキンヘッドが僕のところにやってきた
「一番最初に笑ってくれてありがとう、手ごわい客だなあと思ってたんだよね~」
「笑っちゃいけないのかと思ってたから、我慢するのに必死でしたよ」
「うんうん、みんなそうだったよ、」

また見たいけれど、もうやっていないそうだ、、。

イサム、アーカーモさん

このMR,スキンヘッドも愉快な天使だった、、。

和田屋のご夫婦

2005-06-10 10:20:09 | Weblog


山手駅のガード下には、食べ物屋さんが3件あった、
左から、和田屋なみき、和田屋、抜天、、
なみきは居酒屋、和田屋はカウンターだけの定食屋、抜天はラーメン屋
終電ので帰ってくる人達がきてその人達が食べ終わったら閉店という感じだった
この三件はお世辞にも綺麗とはいえないけれどそれぞれ美味しい自慢の料理があって、、自慢するだけのことはあった、、。


なぜ過去形で話してるかというとお店はなくなってしまったから

僕は真ん中の和田屋によく行っていた
きっかけは
老夫婦が二人で仲良くやっていて、お店の入り口には250ccと50ccのスクーターが停めてあって
その下に野良猫用の餌のどんぶりがおいてある、
今はビッグスクーターが流行っているけれど10年以上前の話なので、珍しかった、
そのころ僕もH社のGB250と言う単気筒のバイクにのっていた、お店の前にバイクを止めてのれんをくぐったら、
「おにいさん、バイクかい?いい音してるね、ちょと見せてね」っていいながらカウンターから出てきた、
「エンジン駆けてもらってもいいかい?」
「はいはい」
「いいねえ、単発は、、おれのはスクーターだから、寂しい音だからなあ、でも結構早いんだよこれでも、、。」ってな感じで話が弾んで、仲良くしてもらった、

なぜ、和田屋のご夫婦の話をここまで、詳しくするかというと、これから先の話でお世話になる方達だから、

和田屋の料理は今流行のヘルーシー志向ではなかった

僕は以前コックをやっていたこともあって、何をどうしているのはだいたい察しがつく
土、日が休みということもあって、金曜日の揚げ物の油はかなり、くたびれてきていた。

焼きうどん卵入りというメニューがお気に入りで。
トンカツ定食とレバニラ定食とカツカレーとこの焼きうどんを
順番に食べていた、もちろん金曜日は揚げ物はパス、、。

焼きうどんも美味しいけれど、炒めるときにラードをふんだんに使っているので、
冷めるとラードがかたまって、うどんにラードの塊にコーティングされた状態になる
(今はお店がないのでこれはかけるのだけれど)、体にはちょっとなあ、、
でもおいしかった。