高校生のころ少林寺拳法の道場に通っていた
ある日、どこか違う道場の黒帯3段の人が練習に参加させてくれと来た
道場には3段に実力の人はいない、、。
組み手という申し合わせで技をかける練習と
プロテクターを着けてやる乱取り(ボクシングでい言うスパーリングのようなもの)という練習がある
乱取りの練習の時その3段の男の人は黒帯初段の人を指名した、
その時僕は茶帯1級(初段の一個前)
その人は生まれつき左足が短く細くかなりひどくビッコをひくほどの不自由さだった
その3段の人は容赦なくその人の左足を蹴りで攻める
彼は悲鳴をあげた、「甘えるな!」と3段はどなった
「ひーすいません足が悪いんで」倒れてそういった。
「強くなれ!」
僕もみんなも黙ってみていた、
「周りはだれも助けてくれないんだぞ,私は心を鬼にしているんだ」
道場の先生もその人に気を使っているのか、腕を組んで見ているだけだった
僕はバカだから、最後の言葉がどうしても気にいらなくて
「それ違うんじゃないですか!なんにもわからないくせに、いいかげんなことこと言わないで下さい、僕は助けますよ」と言ってしまった。
普通ドラマだったらここで僕がその3段と乱取りをやって、やっつけるか、逆にボコボコにされるかなんだろうけれど、
先生が、乱取りを中止してそれで終わった、、。
3段はすぐ着替えて帰った
みんなその事にはふれなかった、、
当の悲鳴をあげた本人もなにも言わなかった
でも僕は彼が言ったことは今思い出しても
「ドラマのセリフであって、自分酔ってる人だなあとおもう」
ハンデを持った彼を利用して自分が修行の高みにいるんだってことをまわりーにアピールしたかった、悟りもどきのパフォーマンスに見えた。
心を鬼にして相手と向き合うときは、自分がその人以上に痛みを知っていないとそれはやる資格がないと、今は確信できる
相手を思いやる、包み込む、そしてその中に心を鬼にする、、
でもそれでさえ相手に対して鬼になるのではなく
「なんて自分は冷たい人間なんだ」と言う葛藤と闘う自分を見る自分の心が鬼、
と言う意味ではないかと思う、、、
そう言う意味で僕は心を鬼にすることはできない、暖かい人でいたいから。
でもあの時僕はそこまで考えていたのではないと思うけれど、、。
ある日、どこか違う道場の黒帯3段の人が練習に参加させてくれと来た
道場には3段に実力の人はいない、、。
組み手という申し合わせで技をかける練習と
プロテクターを着けてやる乱取り(ボクシングでい言うスパーリングのようなもの)という練習がある
乱取りの練習の時その3段の男の人は黒帯初段の人を指名した、
その時僕は茶帯1級(初段の一個前)
その人は生まれつき左足が短く細くかなりひどくビッコをひくほどの不自由さだった
その3段の人は容赦なくその人の左足を蹴りで攻める
彼は悲鳴をあげた、「甘えるな!」と3段はどなった
「ひーすいません足が悪いんで」倒れてそういった。
「強くなれ!」
僕もみんなも黙ってみていた、
「周りはだれも助けてくれないんだぞ,私は心を鬼にしているんだ」
道場の先生もその人に気を使っているのか、腕を組んで見ているだけだった
僕はバカだから、最後の言葉がどうしても気にいらなくて
「それ違うんじゃないですか!なんにもわからないくせに、いいかげんなことこと言わないで下さい、僕は助けますよ」と言ってしまった。
普通ドラマだったらここで僕がその3段と乱取りをやって、やっつけるか、逆にボコボコにされるかなんだろうけれど、
先生が、乱取りを中止してそれで終わった、、。
3段はすぐ着替えて帰った
みんなその事にはふれなかった、、
当の悲鳴をあげた本人もなにも言わなかった
でも僕は彼が言ったことは今思い出しても
「ドラマのセリフであって、自分酔ってる人だなあとおもう」
ハンデを持った彼を利用して自分が修行の高みにいるんだってことをまわりーにアピールしたかった、悟りもどきのパフォーマンスに見えた。
心を鬼にして相手と向き合うときは、自分がその人以上に痛みを知っていないとそれはやる資格がないと、今は確信できる
相手を思いやる、包み込む、そしてその中に心を鬼にする、、
でもそれでさえ相手に対して鬼になるのではなく
「なんて自分は冷たい人間なんだ」と言う葛藤と闘う自分を見る自分の心が鬼、
と言う意味ではないかと思う、、、
そう言う意味で僕は心を鬼にすることはできない、暖かい人でいたいから。
でもあの時僕はそこまで考えていたのではないと思うけれど、、。