じんべえ時悠帖Ⅱ

佐藤栄作と安倍晋三の違い

 今日の広島での平和祈念式典を始めに、15日の「敗戦」

記念日まで、75年目という節目の行事が続く。コロナの

感染対策のため例年とは違うものになるだろう。

 広島と長崎の被爆資料をSNSでライブ配信したところ、

世界中の多くの若者が閲覧したという。反戦・平和・反核の

活動も形を変えるチャンスかもしれない。

 被爆者が国連で「ノーモア・ヒロシマ」、「ノーモア・

ヒバクシャ」と訴えて始まった核兵器禁止条約。核保有国

以外で唯一参加を拒む安倍一強政権。

 その政権は、迎撃システム、イージス・アショアの頓挫を

受けて反省するどころか、「敵基地攻撃も防衛のうち」と、

逆に専守防衛をエスカレートさせた。完全に末期症状である。

 この安倍首相は、大叔父である佐藤栄作の連続首相在位を

間もなく抜くと言う。

 

 強権的・秘密主義のイメージが強い佐藤栄作元首相だが、

こんな評価もある。(昨日の朝日新聞「多事奏論」)

 兄の岸信介と共にウルトラ・ライトと言われた佐藤栄作は、

ブレーンの意見を取り入れて、兄の悲願の憲法改正を棚上げし、

自衛隊による専守防衛を「戦後日本の中央ライン」とした。

 また、経済成長による歪みを解消する「社会開発」も憲法

25条の生存権を受けるもので、まさに「憲法の中にあった」

政治であり、「戦後日本の針路を定めるため、時代に必要と

された長期政権だった」と村井・駒大教授は評する。

                  

 それと比ぶるに今の・・・・・、嗚呼、何をか言わん哉。

 

 今朝も東の空は曇りで日の出の後の散歩。

このあたりに太陽がいるようだ

雲がかかる満月のよう

稲は育ち、

百日紅の咲く夏である


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
当時の百姓の子孫、今では地主として「また」威張っています。
両親が故郷へ疎開しなかったら、私は東京っ子でした。
jinbei1947
ワイコマ様
「栄ちゃんと呼ばれたい」は本音だった?
その佐藤政権よりもさらに悪い「戦後最悪」の政権。
吉田松陰を抹殺した長州藩は、当時もある意味「守旧派」
だったのではないでしょうか。
えめ
昭和19年に東京の小学校の3年生100人が、隣の寺に集団疎開にやって来ました。私たち田舎の子には、彼らが大変ハイカラに見えて、憧れたものでした。彼らは常にオナカを空かせていました。家族で疎開してきた人たちは、百姓から物々交換で米を買いました。長い歴史の中で、百姓が威張っていたのはあの時期だけだったように思われます。せっかく手に入れた米を、電車で一斉に警察官が取り上げました。近所の警察官の家には、お米が沢山あって威張って居ました。
ykoma1949
長州の政治は私は嫌いです 国のため日本の
ためと言いつつ私利私欲のための政治でした
戦後の政治の中で立派な政治家が沢山居たにも
関わらず、他の優秀な人物をことごとく潰して
来た人たち・・その血やその系列の教えは今も
同様、習近平や朝鮮半島の首長と大して変わりません
この国も幹事長や内閣が変わらない限り・・
それも今の選挙制度では無理でしょうが・・
今の若者たちにその元気は無いでしょう
今日一日だけ・・広島の日・・明日からは
内閣の国に戻るでしょう
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