goo blog サービス終了のお知らせ 

じんべえ時悠帖Ⅱ

御巣鷹山、三十八年目の夏

 昨日、8月12日は日航機が御巣鷹山に墜落して航空史上最悪の

犠牲者を出した事故から三十八年目。この事故について書かれた

小説として山崎豊子の「沈まぬ太陽」、横山秀夫の「クライマーズ・

ハイ」の二つが有名だ。いずれも映画化された。

 前者は日本航空の組合潰しでアフリカに左遷された労組委員長の

目を通して、当時の日航の腐り切った体質と、墜落事故の悲惨さを

描き、後者は、実在の群馬地方紙である上毛新聞の記者の目を通し、

険しい山岳地帯での救援・捜索、報道の苦難を描いている。

 

 昨日のネットニュースに、この時の報道に当たったある記者の

回顧エピソードが載った。

 現地に派遣された二十代後半の記者、若手による事故現場報道

リーダーして連日、道なき道を上り下りして悲惨極まる現場、

難航する捜索状況を伝えていた。

 ある日尾根近くで腰を下ろして休憩した時、隣に座った神奈川

県警と胸に書かれた機動隊員と眼が合った。「お疲れ様です」と

思わず挨拶した。

 その機動隊員は静かに周りを見回して言った。「ここにはもう

疲れたと言うことが出来なくなった人たちがたくさんいるんだ」。

記者は不用意な発言を恥じた。

 そして機動隊員は「ビタミンC入りのウーロン茶だ」と言って

記者に水筒を差し出してくれたという。

 

 2007年8月12日にNPOの仲間と慰霊登山した時の様子である。

毎年ここに掲載する。

隣の尾根に日航機が尻餅をついてジャンプした跡が残る

麓の慰霊広場のモニュメント、失った三角翼を象徴する

 


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

jinbei1947
えめらるど様
発見されたのは翌日でしたね、夜半に米軍から墜落位置の連絡受けた自衛隊は、
独自で見つけると言って無視しました。
13日、我が家族は初めて車で長野の実家に帰省する途中、高崎烏川の河原に
頻繁に発着するヘリコプターを見ていました。
未だ長野への高速道がない頃で、国道17号・18号で12時間かかりました。
英米羅留土
日航機墜落の時刻、私は満席の喫茶店の中で忙しく働いて居た事になる。当時は今と違って、二ユースがはっきり伝わるまでにはかなり時間が掛かった。貴殿は[物造り]としていかなる成果を納められたか存ぜぬが、報道記者になられても良かったのではないだろうか。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る