ゴルフをしない私だが、マスターズ選手権が行われる
オーガスタのコースは熟知している!
アンジュレーションは複雑怪奇で、ハザードの位置は
トリッキーと言うより、プーヤーの心理を知り尽くした
「いやらしさ」である。
昔々、「栄光のオーガスタ」というパソコンゲームに
嵌った。現代のCGとは違い画面は簡素だが、コースの
データは実際のコースを忠実に再現したものだった。
最初はボロボロだったが、アンジュレーションの癖を
覚え、心理作戦に引っかからないように注意した結果、
何とかアンダーパーを出せるようになった。
前日の3日目にはピンそばにピタッと寄せた松山の
最終日15ホールの池ポチャ。バウンドした地点の微妙な
アンジュレーションの差だったに違いない。
今日のタイトル「才能は有限、努力は無限」は松山
英樹の座右の銘である。その日のプレーが終っても、
日没までの練習を欠かさないという。
と、やりもしないゴルフ話となったが、水戸街道は
この日のゴール、石岡市に入ったところ。
恋瀬川を渡る恋瀬橋の欄干の親柱の絵は掠れているが、
筑波山と恋瀬川のこの眺めに違いない。
筑波山の男体山と女体山が重なり始めている。この先
どこかで重なるだろう。
渡った先ではビルの解体中。コンクリートの梁を咥えて
いるのはKOBELCO(神戸製鋼)の重機。すぐ横の敷地には
同色のコベルコ建機の重機類が多数並ぶ。このビルはその
事務所だったのだろうか。
国道6号から355号へ、更に一般道へと2回続くY字
分岐をそれぞれ左に取ると、今度は2回突き当りして
クランク。宿場入口の「桝形」である。
右左と曲がって戻った国道355号の通りが府中宿である。
奈良時代に常陸国の国府が置かれたことから「府中」が、
石岡の旧地名。
十四世紀に大掾(ダイジョウ)氏が府中城を建ててこの地を
治めたが、秀吉の小田原征伐で北条氏に付いたため、秋田
佐竹氏に攻められ落城、滅亡した。
以降、水戸徳川家の分家が、水戸支藩としての府中藩を
治めたが、城は建てず陣屋構えとした。国府公園の奥に
その陣屋があり、今は陣屋門だけが残ると言う。
染物屋だった丁子屋跡が観光案内所、中に入って宿場の
情報を訊く。すぐ近くの「看板建築」は、関東大震災後に
石岡市が音頭を取って観光目玉の一つとした洋風装飾。
本陣跡はこの酒屋とパン屋さんあたりだったという。
この先の交差点を右に折れると、今日のゴールの石岡駅
に出るが、遅れついでに四角形の三辺を歩いて駅に向かう。
次回へ「1キロ弱」の貯金である。
水戸街道は国分町国府三丁目を右に折れ、国道355号から
県道52号へと入る。常磐道を渡るところが次回の出発点。
何と踏切ではなく、線路の上を通る「橋」である。
常磐線脇の道を「下って」石岡駅に着く。
真新しい橋上駅の石岡駅は明るい。滝平次郎のきり絵が
春夏秋冬の四枚掛かる。いずれも半透明で明るさを保つ。
改札上の「驛岡石」、旧駅舎にあった徳富蘇峰の筆と
説明される。
帰り電車の時刻を確認してから駅前の居酒屋で夕食兼の
一人打ち上げとする。帰路は2時間以上である。
次は、石岡~水戸のちょうど30キロ。昔なら一気にと
いう距離だが、古希を過ぎたご老体、2回に分けよう。
この間、今まで頼りにして来た常磐線は、下の赤い点線
のように水戸街道を離れる。よって、主に国道6号を走る
関東鉄道の路線バスのお世話になる。
中継点をどこにするか、じっくりと考えよう。土浦から
府中宿(石岡)のシリーズを終わる。