今日は六月六日。一月一日は元旦、三月三日は桃の節句、
五月五日は端午の節句(子供の日)、七月七日は七夕。
年の前半の奇数月は月と日が同じ日に季節の行事があるが
偶数月はないな、なんてドーでもいいことを考えていると、
天声人語の最後に今日は「梅の日」とある。
ネットの「今日は何の日カレンダー」を見ると、確かに
20ほどある記念日の中の一つに「梅の日」がある。
室町時代、京都賀茂神社の葵祭で後奈良天皇が神事をした
際に梅が奉納されたのが、今日、新暦の六月六日という。
(紀州たなべ梅振興協議会制定、日本記念日協会認定)
中国長江流域で梅が熟するころの雨を「梅雨」と呼んだ。
天声人語によれば、二年不作が続いた紀州梅が今年は豊作と
言う。今年の近畿地方が異例の早さで梅雨入りしたことに
関係あるのか、ないだろうな。
一週間前、我が家の梅酒を仕込んだ。
常磐線の北小金駅から小金城址と近くの紫陽花寺である
本土寺を巡った。松戸から柏に入るあたりの水戸街道脇に
「根木内城址」があり、本城「小金城の東の守り」と書か
れていたから、その本城への表敬訪問である。
今日は、小金城址に入る前に寄ったお寺さん二つの紹介
である。
流鉄流山線に「小金城趾駅」があるが、三郷駅からアク
セスの良い常磐線の北小金駅駅北口を出発。南口の近くは
小金宿の水戸側の端で、水戸街道が逆V字形にカーブする
ところである。
常磐線沿いを左手に歩くと間もなく、能耳山(ユウジサン)
慶林寺がある。すぐ奥に本堂が見えるので、道端に立つ
由緒書きだけ読む。
戦国時代、東葛地方(鎌ヶ谷、市川、松戸、柏、我孫子)
の領主だった高城胤吉(これから行く小金城城主)の死後、
妻が髪をおろし桂林尼となって庵を結んだところ。桂林尼の
死後、子が寺としての体裁を整え慶林寺としたという。
この先で常磐線沿いを離れて一気に下る。城は大概高い
ところに建つので、きっと最後は上りになるはず。
予想通り大きな病院を回り込むような上り坂の先に、
大勝院と小金城趾の茂みが見えて来る。
まずは突き当り正面の大勝院(遠矢山普門寺)に入る。
ここも高城氏所縁の寺。元々は東方の根木内城の祈願寺と
して建てられたが、高城氏の小金城入城と共に、三の丸の
鬼門に当たりるこの地に移ったという。
境内はよく整備され、どこを撮っても絵になる寺である。
「遠矢」はどう読む?お寺さんの山号は原則音読みだから
「エンシ」か。しかし、ネット検索で唯一出て来る読み方は、
ある墓石屋さんのお寺データの「エンヤ」である。
慶林寺は曹洞宗だったが、ここは真言宗豊山派。
これ、耳が痛いなー。
大勝院を出て、住宅地を挟んだ隣の小金城址に向かうと
けっこうキツイ下り坂。城跡ではまた上ることになる。
左手にマンションの建設風景が見える。
坂を下り切って振り返ると崖の工事中。ここも宅地開発
するのだろうか。
次回は小金城趾に入る。