Pandemic is accelerating.
世界の感染者数、10万人までが67日、20万人まで11日、
30万人まで4日。よって「パンデミックは加速している」
と言う、実に明快なWHOの宣言である。
それに対し、延期するか4週間後に決めると言うIOC、
何と歯切れの悪いことか。既に延期決定という米国IOC
委員がいるとの報道もある。
さて、それとは関係ない中山道ウォーキング、いよいよ
高崎の街中に入る。
新幹線の高架の手前の大きな交差点、沖電気のビルが見える
道はJR線を跨線橋で渡って行く。信号を二度渡った交差点の
対角に中山道標が立つ。
道標の前で休憩しながら、ガイドブックでこの先の街道遺構
をチェックすると、すぐ近くの鎌倉街道の分岐点を通り過ぎた
ことが分かる。
来し方を振り返りそれらしき分岐を発見。再び信号を二度
渡り、道標などを探す。
中山道とのこの角度は多分間違いない。家から出て来た
お年寄りに道標を訊くが少し耳がお悪いようで「鎌倉街道」
だけに反応がある。道標は付近をいくら探しても無し。
新幹線の高架を潜ると右手に「高崎アリーナ」。その先の
踏切が鳴り出す。高崎と下仁田を結ぶ上信電鉄だ。現在も
営業する私鉄では3番目に早い開業という。
下仁田の先、信州佐久まで延伸する予定で「上野(コウヅケ)
電鉄」から上信と名を変えたが世界恐慌で頓挫した。
やがて、ユリノキ並木がはじまり、遠く高層の高崎市役所
が見えるあたり、長さ2キロと中山道最長の高崎宿の江戸側
の入口である。
高崎宿は徳川四天王の一人、井伊直政が構えた高崎城の
城下町のため、各大名が遠慮してここには泊まらなかった
ので本陣、脇本陣がなかった。
南町、新田町と北上し、高崎駅入り口の「あら町」の
交差点に着く。既に1時を回っているので遅い昼食とする
ため高崎駅方向へ曲がる。歴史探訪はその後である。
続きは次回。