今日のタイトル「武蔵野線と三郷市」は三郷市の広報誌3月号の
特集タイトルで、副題は「市と共に走り続けた半世紀の歴史を振り
返る」。市制施行が昭和47年、武蔵野線開業が昭和48年であった。
開業時の運賃表を見ると、初乗り(南流山など)が30円、一番遠い
府中本町までは240円。現在は950円だから約4倍となっている。
昭和48年に社会に出た私の給料が確か数万円だった。現在の初任給が
およそ20万円くらいだから、これも約4倍である。
開業時の三郷駅の乗降者数は約3千人、現在は2万5千人というから
これは8倍である。また、当時の時刻表を見ると朝夕の通勤通学時間帯
で1時間4本、昼間は1本ないし2本。
このダイヤは、私が昭和54年に三郷市に転居し武蔵野線で通い始めた
頃もほとんど同じであった。帰りの北朝霞発の終電は10時20分。
当時、勤務先の工場では品質管理の賞を取るため連日定時後の会議が
続いたが、私の「終電なので」で9時半には会議に終止符が打たれた。
「あれで助かったよ」という声を何人かから聞いた。
大袈裟に言えば、疎らな武蔵野線のダイヤが人助けになったのである。
散歩から
民家のようなユニークな喫茶店だが入ったことはない
店の名は「2345」