101匹ワンちゃん大行進、101回目のプロポーズ、など
何故か100ではなく、101とするところが上手い。
今日4月11日は年初から101日目。メートル法記念日。
今尚「ヤード」に拘るアメリカ。インチとミリの変換を
間違って、ロケット事故を起こしかけたこともある。
そして、明日4月12日は、60年前にガガーリンが人類で
初めて「青い地球」を見た日である。
バイデンさんよ、「宇宙安全」のためにもメートル法の
採用を決断してくれ。
さて、水戸街道ウォークは国道125号から右に分岐して、
国道354号の高架を潜って中貫宿へ向かうところ。
今までの国道125号は、ここから354号に相乗りして消え、
この先は県道64号となる。
右に分岐した水戸街道は一般道路となり、坂の上から
松並木が始まる。水戸街道の松並木が唯一残るところ。
この松並木が始まるところを右に入る道は日立金属ネオ
マテリアルへの道。広大な敷地だろうが、ずいぶんと立派
な私道である。
土浦厚生病院を過ぎ、松並木を数百メートルほど歩いた
ところに「板谷一里塚」が現れる。
日本橋からは二十里目、水戸街道では左右の塚が両方
残る貴重な一里塚である。明治政府の一里塚廃毀令をしぶ
とく生き残ったということである。
その奥に筑波山がくっきりと見えるのも好い。
右(東)塚
この先で道は下り始め、用水路のような細い川を渡ると
再び上りになる。県道64号と合流しやがて6号を横切る。
ここも国道6号で水戸街道が寸断されたところ。
先達の資料にある「6号を潜る」という隧道を探すが、
位置を間違えたのか見当たらず、結局見えている上を越す
車道で渡る。先達が歩いたころはこれはなかったのかも
知れない。
橋を下りた信号の先から中貫宿が始まる。おや6号に
合流したはずの「県道64号」の標識。あの橋でこちら側
の旧水戸街道まで伸びたのかも知れない。
宿の入口にある鹿島八坂神社の鳥居は、東日本大震災で
倒壊したと言うが復元されている。額はあったのか、元々
なかったのか。
拝殿の大きな注連縄はいかにも稲藁の色ではない。実際
に触って確かめると、やはり最近多いプラ紐製である。
社殿や境内は全体に荒れた感じである。
中貫宿を歩き始めると広い屋敷が続き、やがて本陣跡。
元治元年(1864)に天狗党の焼き討ちにあったが、すぐ
再建されたという。唐破風の玄関は本格的な本陣造りだ。
宿の終わりごろのカーブ、ちょっと棟落ちした屋根も
ある。街道筋らしい佇まいの中貫郵便局の先で中貫宿も
終り国道6号に合流する。
国道に出たところで土浦市からかすみがうら市に入る。
土浦は延べ2日で15キロ以上歩いたことになる。約2キロ
続くほゞ一直線の国道6号の右手は工業団地。日経新聞は
印刷工場だろう。
ちょうど昼時だが歩いている側の狙っていたファミレス
2軒は両方とも撤退しており、反対側の店は如何せん信号
が数百メートルおきなので面倒くさい。
今日は持参のおにぎりを歩きながら食べる。西山の信号
を渡り、コンビニでトイレ休憩だけして進むと、間もなく、
水戸街道は6号から左へ分岐して稲吉宿へと向かう。
その分岐点直前に「東京から72Km」の標識。通過した
板谷一里塚が二十里目、80キロ。この差はもちろん国道
6号と旧水戸街道のルート差である。
稲吉宿以降は次回。