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木賣慈教の「和顔愛語」

浄土真宗本願寺派西敬寺(さいきょうじ)
木賣慈教(きうりじきょう)のブログです。

信濃グランセローズ背番号81

2007年01月28日 | 我が街NAGANO

いよいよ、グランセローズ配属の選手がドラフト会議を経て決定しました。木田監督の母校、横浜商大高校(旧横浜一商高)出身で、甲子園でも活躍した給前投手を獲得する等、非常に楽しみな選出となり、期待に胸膨らませております。

ところで、木田監督は、神奈川県生まれで、前出の横浜商大高校(旧横浜一商高)出身でいらっしゃいます。長野県とゆかりが薄いように思っていたのですが、監督ご自身が最も野球人として尊敬されている、高校時代の恩師、大蔵明監督が、長野県大町市のご出身とお聞かせ頂きました。

木田監督ご夫妻は、大蔵監督に、お仲人をして頂いているそうで、毎年新年のご挨拶に伺うそうです。
今年は、信濃グランセローズの監督に就任したことをご報告されたところ、大蔵監督に、殊の他、喜んで頂いたそうで、木田監督は、
「大蔵監督へのご恩返しの為にも、信濃グランセローズを優勝させなければ」
と、決意を新たにされたとのお話して下さいました。

そんな、木田監督に、
「ところで、背番号は決まったのですか? 」
と、お尋ねしたところ、
「81番にしたよ! 」
と、教えて頂きました。

「81」この数字に、監督が込められた意味をすぐ理解しました。

そうです。長野県の市町村の数が81なのです! 監督は、信濃人が一丸となって応援してくださることを願って81番を選ばれたようです。

監督の願いに呼応するように、信濃グランセローズの後援会も、
「CLUBSEROWS 81」として、いよいよ始動です!!

皆さん、優勝目指して、ご一緒に応援しましょう!!!


見つかりました!

2007年01月16日 | 我が街NAGANO

紛失したバックを発見していただきました。
友人が懇意にしている、運転代行の運転手さんが、道路に落ちていたバックを拾ってくださり、昨日の夜ご連絡下さいました。

どうやら車に乗り込む際に、バックを車のボンネットに置いて乗り込んでしまい、それに気づかずに、車を発進させ、そのまま道路にバックが落ちてしまったようでして・・・ 
本当にお恥ずかしい限りですが、2日間道路に放置されたバックは、タイヤに踏みつけられながらも、汚れは付着していましたが、その形を崩さず手元に戻ってきました。

 本当に有難いことです。
心配して下さった皆さん、有難うございましたm(__)m

何の御礼も出来ないのですが、ご親切にして下さった「ちとせ代行」さんの宣伝をさせて頂きます。
誠実に遺失物を届けて下さった。「ちとせ代行」026-227-6933)さんを是非皆さんご利用下さい! 


死活問題

2007年01月14日 | 我が街NAGANO
一昨日、重要なバックを紛失してしまい、落ち込んでおります。
お恥ずかしいことですが、疲れから心に隙があったようです。

キャッシュカード・クレジットカード・免許証に、なんといってもスケジュール帳が紛失してしまったのは、死活問題で、こうしてブログを書きながら眠れない夜を迎えようとしています。

明日の午後なんとか時間が取れるので、打開策を立てて乗り越えていこうと思います。

遺失物として、警察に届けてくださる方が、いらっしゃることを信じて待ちながら。

2007年01月05日 | 我が街NAGANO
昨日は、2007年度 社団法人 長野青年会議所(長野JC)の第1回理事会が開催されました。

 理事会の冒頭、鈴木隆治理事長は、J・J・ルソーの
「共に涙する楽しさほど、人々を結びつけるものは無い」
と言う言葉を引用され、共に涙する楽しさに行き着くには、様々な困難にぶつかり、お互いに衝突しあうことを乗り越えなければならないが、その中で、強い絆を結び合っていこうとお話し下さいました。

2003年に 、縁あって入会以来JC運動に参加させていただく中で、浄土真宗の僧侶、また同時に地域に根ざした寺院をお預かりする住職の立場を問い直す機会を非常に多く頂いているように思います。
今年は、初めての理事を拝命しました。長野青年会議所のリーダーの一翼として、自分を磨き、多くの仲間との絆を結び合っていきたいと思います。

そして、一年が過ぎたと時、心から共に涙することが出来るように。

おんだし会

2006年12月22日 | 我が街NAGANO

12月18日、長野青年会議所恒例の卒業生「おんだし会」が開催されました。
青年会議所は20歳~40歳までの定年制(このことが、人生最期の学校と言われる所以かなと思っています)
私にとって卒業生をお送りするのはこれで4回目・・・
毎年、感慨深いものがありましたが、今年は更に感慨深い会となりました。

卒業生、お一人お一人にご挨拶に伺うと、
「任せたぞ! 」
「頼んだぞ! 」
と、お言葉を掛けて頂いたのです。

昨年までは、
「頑張れよ」
とか、
「楽しんでね」
でした。まだまだ新入生扱い・・・ 先輩方のご厚意に、大いに甘えていた部分があったように思います。

来年は、初めての理事を拝命しているということもあるかとは思いますが、卒業生の言葉の裏側にある、熱い思いを決して裏切るようなことがあってはならない、厳しく自分を律しなければと、誓いを新たに致しました。

ところで、長野青年会議所では「送別会」でもなく、「追い出し会」でもなく、卒業生のご恩に感謝する意味で「おん(恩)だし会」と申します。
とてもとても一晩で恩をお返ししきれるものではないことは、メンバー全員が承知していることではありますが、先哲の思いが込められた素敵な名称だと誇りに思っています。

これから、自分自身が卒業するまでに何とか恩を知り、それに報いていけるように邁進してまいりたいと思います。
・・・・ あと7年か
        果たして長い道のりなのか、過ぎてしまえば短いのか。


信濃の国の不思議

2006年11月27日 | 我が街NAGANO

先日、ブログでご紹介した「信濃グランセローズ」は、北信越BC(ベースボールチャレンジリーグ)という、長野・新潟・富山・石川四県の各1チームづつで、構成される独立リーグに所属しています。
各チームは、それぞれ県民球団という意識のもと、チーム名には、
新潟アルビレックス
富山サンダーバーズ
石川ミリオンスターズ
と、県名が冠されています。ところが、長野は「信濃グランセローズ」

「信濃」という呼称は、律令制下の国の名前で大宝律令(710年)が制定されて以来、明治の廃藩置県(1871年)に至るまで、現在の長野県全域の総称でした。
廃藩置県は1871年から1890年に渡って、合併や分割を繰り返し、最終的に現在のような都道府県(*1890年当時は、都という規定は無く、東京も府、東京都となったのは1943年)になりました。

信濃の国は、廃藩置県当初、江戸幕藩体制下の藩を大まかに継承する形をとり、岩村田県、小諸県、上田県、松代県、須坂県、飯山県、長野県、伊那県、高島県、高遠県、飯田県、松本県等に分かれていました。
その後、合併を繰り返し、最終的に1876年まで、信濃の国を二分していた長野市を中心とする長野県と、松本市を中心とする筑摩県が、当時の筑摩県の県庁舎が焼失したことを契機として、筑摩県が長野県に吸収合併され、現在の長野県が誕生しました。
しかし、当時から現在に至るまで、長野県の分割論は根強く、1948年には、地域対立が昂じ、長野県を南北に分割しようとする案が長野県議会で可決されそうになりました。

長野市出身の私には、実感がないのですが、本来一地域(善光寺の門前町)の名前であった「長野」を県名にしたことに対して、長野市以南の地域の方々には、根強い抵抗感があるようです。
ちなみに今年、8月まで長野県知事を務められた田中康夫氏は、松本深志高校(旧筑摩県の県庁所在地の高校)の出身で、長野県という呼称を廃そうとするかのように、「信濃」と共に歴史的に使われてきた「信州」という呼称を盛んに使用されていましたが、当に長野という県名に対するアンチテーゼだったように思われます。

いづれにせよ、長野県域は山地によって随所で細分され、同一地域という意識は歴史的・地理的に希薄で、県民意識の一体性を涵養することが現代に至るまで大きな課題なのです。

そうした背景から、「グランセローズ」に、敢えて県名の「長野」ではなく、県内の大方の地域が該当する「信濃」という旧国名を冠したのは、地域全体の共同体意識を高めようと言う狙いがあるのです。

余談になりますが、長野県には、県民に非常に親しまれている「信濃の国」という県歌があります。県内の小中学校では、必ずと言っていいほど、歌われているので、自然に身につきます。
以前あるTV番組で、「本当に長野県出身者は『信濃の国』を歌えるか? 」と言う特集が組まれて、新宿で、この曲を流したところ、それを耳にした長野県出身者が、いつの間にやら集まり、大合唱していた光景を見たことがあります。
また、甲子園での応援で、在校生や卒業生に限らず歌えると言う理由で、応援歌として使われる場合もあるようです。
ちなみに前述の1948年に、地域対立が昂じ、長野県を南北に分割しようとする案が長野県議会で可決されそうになった折には、議場の傍聴席から突如として「信濃の国」の大合唱がわき起こり、議員たちの意思を削いで、分県を阻止することになったと語りつがれています。

さて現在、「信濃グランセローズ」は県内の市町村81ヶ所(市町村数は北海道に次、第2位)に、後援会組織を立ち上げることを目標にし、ホームゲームも、県内地域の人口分布の比率を勘案して、分散して開催することになっています。

県内全域で「グランセローズ」が愛されることを願って止みません。



ASPAC

2006年11月22日 | 我が街NAGANO

私が所属している長野青年会議所では、2009年に長野の地において、「ASPAC」(アスパック)を開催すべく、現在その誘致活動に取り組んでおります。
「ASPAC」(アスパック)とは“アジア・太平洋地域会議”の略で、1年に1度開催される青年会議所のアジア太平洋大会です。全国各地に組織されている青年会議所は日本青年会議所のもとに構成され、日本青年会議所は世界各国の青年会議所が属する国際青年会議所と結びついています。
その世界大会の一つである「ASPAC」は、アジア・太平洋地域の青年会議所が一同に集い、オープン会議によるエリア内意思統一を図ることが主な目的です。積極的な意見が交わされ、分科会やイベント通じた文化交流も活発に行われます。そして「ASPAC」は、各国相互の理解を深め、地域、国、世界のより良い発展と平和を願う大会でもあります。(本年は高松の地にて盛大に開催されました。)

長野は冬季オリンピックを通じ、ホスピタリティ精神やフレンドシップ感覚を培ってきました。コミュニケーション豊かな人と人とのふれ合いは、街に活気を与え、都市全体の魅力を高めることも肌で感じてきました。
そしてそれは、有形無形の財産となって、世界に国際都市「NAGANO」を発信する源となっています。

「ASPAC」には、国内外より約1万人の参加者があります。このような大規模な国際会議を開くことは、オリンピックにて、得た財産を国内外の方々に還元し、さらには、長野の街をより活性化させ、より魅力ある都市へと発展させる契機となるはずです。
 様々な可能性を秘めた「ASPAC」を、青年会議所内だけのものではなく、
より多くの市民の方々と共に、直接海外の文化にふれ、お互いに持つ世界観を広げ、さらなる国際都市「NAGANO」として発展し成熟していくように、願いながら歩んでいきたいと思っております。<o:p></o:p>


信濃グランセローズ

2006年11月21日 | 我が街NAGANO
 北信越BCリーグ(プロ野球独立リーグ)に参加する。株式会社長野県民球団『信濃グランセローズ』の創立総会並びに、監督発表が行われました。

念願だった、我が街のプロ野球チームです!

監督には、日本ハムファイターズ・背番号16→大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)・背番号10→中日ドラゴンズ・背番号45で活躍された木田勇氏の就任が発表されました。
木田氏と言ったら入団初年度投手部門のタイトルのほとんどを獲得されたことで、知られていますが、引退後は、各地で野球解説者としてご活躍される一方、精力的に全国で少年野球教室に力を入れてこられた方です。
 
                  

                    監督の木田さんと

自他共に認める、野球オタクの私は、名ばかりではありますが、信濃グランセローズの設立事務局に加えて頂いておりまして、この記念すべき創立総会に立ち合わせて頂くことができました。

球団社長には、日本ハムファイターズにて長年、スカウト編成部長等を、お務めになられた三沢今朝治氏が、すでに就任をされ、辣腕を振るって頂いています。ちなみに三沢氏は、ファイターズに、新庄選手を招聘するのにたいへんな功績のあった方とお聞きしています。(下の集合写真の左側には、その新庄選手からお祝いのお花が写っています!)
そして、GMには、現役時代、大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)→西武ライオンズで活躍され、引退後は横浜ベイスターズのスコアラーをお務めになっていた今久留主成幸氏が就任され、今後に控えている選手獲得の為の合同トライアウトに向け着々と準備を進められています。(そうそう、今久留主氏は、メジャーリーグ挑戦で話題を集めている桑田投手とPL学園時代にバッテリーを組んでいた方なんです! )

                                                                                        
                
              左端には新庄選手からのお祝いの花が!


ついに、本格始動した、信濃グランセローズの活躍に是非、ご注目下さい!!


”BEAUJOLAIS NOUVEAU” を楽しむ会

2006年11月19日 | 我が街NAGANO
今年は11月の第三木曜日は、16日・・・

11月16日は毎年、当院の報恩講の最終日と決まっているのですが、今年は、”BEAUJOLAIS NOUVEAU”の解禁日と重なりました。

報恩講のお片づけを済まし、前々からお招き頂いていた
「欅屋びくら」さん主催の「美蔵会 -ワインを楽しむ会- 」に出かけて参りました。

「日本酒を楽しむ会」・「焼酎を楽しむ会」・「ビールを楽しむ会」と続き、今回は、ボジョレー・ヌーボーの解禁日に合わせて「ワインを楽しむ会」だった訳ですが、ワインを楽しんでいる方の層の厚さ故か、いつもにも増して、幅広い年齢層の方々がお集まりでした。

ご案内して頂いた席の向かい側には、
長野青年会議所の国際事業に通訳として、ご協力頂いているチェさんがお友達とご一緒にいらしゃり、会話が弾みました。

会話の成り行き上、韓国と日本の宗教事情になり(本来は、酒席での宗教と政治の話はタブーとされているのですが・・・)初めてお聞きすることや、意外な発見がありました。

詳しくは、次回のブログ記事にて書き込みたいと思いますが、儒教の国と言われる韓国の方々の意外な宗教事情に、先入観を打ち壊されると思います。

祭りのあと

2006年08月06日 | 我が街NAGANO

晴天に恵まれ、今年も長野の市民祭り「びんずる」が終わりました。
4年前からボランティアとして運営に関わらせていただいていますが、何より辛いのが祭りの後の片付けです。踊り手だけでも1万にを越える人・・・ 後に残るゴミの量は年々増える一方です。毎年いろいろと工夫をして、ゴミを減らそうと働きかけたり、参加者のモラルの向上を促しゴミを持ち帰っていただこうとしているのですがなかなか改善されません。せめてゴミの分別だけでも皆さんに徹底していただきたいのですが、缶も瓶もペットボトルも可燃物もひとまとめにして置き去りにする傾向は解消されません。更には、飲みかけの状態や灰皿代わりに使ったままにする方も多く、ゴミを拾う手はビールや清涼飲料水そして、残された焼きそばやたこ焼き、焼き鳥のソースまみれです。

あるお寺の掲示板に、
「豊かな生活は 忘恩の生活に なりがちである」
と、書かれていましたが、本当にその通りですね・・・
物質的な豊かさの中で、私たちは様々なご恩を忘れているのではないでしょうか?

一夜明けて今日は、61年前に広島に原爆が投下され20万人以上の方々が命を落とされた日ですが、つくづく昨日の祭りのあと、豊かさの中で私たちは大切なことを忘れているように思えてなりませんでした。今の豊かさが、どれだけの悲しみ苦しみを経てもたされたのか、忘れていいはずがありません。

豊かさの中、楽しく有意義なお祭りが続くように、参加されるすべての人々がお互いの役割を考えながらそれを尊重し合い、共に市民祭りを作り上げ盛り上げていくんだという一点では立場を同じくしたいものです。
悲しいかな、ゴミを拾っている傍でタバコを捨てる人、安全を守ろうと交通警備をしていてもそれを無視したり、さらには「なんだ偉そうに」と吐き捨てる人・・・ 

父が「誤解の多くは、立場の違いから生まれる」と、申していました。
繰り返しになりますが、共に市民祭りを作り上げ盛り上げていくんだという一点では立場を同じくし、お互いが理解し合い様々な恩によって豊かさに恵まれていることを、喜び合っていきたいと思います。