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直壇寮@Net

― 本家「叢林@Net」より暖簾分け ―
ネット上に仮想バーチャル直壇寮を設けてみました♪

【対照表】四衆登壇

2006-11-16 01:27:46 | 『仏祖正伝菩薩戒作法』
〈 『行持規範』 〉

知殿は、壇上の法具を撤し、壇前に香台を出し、戒弟登壇の準備を手早くする。登壇は比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の順にて、西階より登壇し東階より下壇する。直壇は、壇上に坐せしめる人数を数えて起立せしめ、直僚、西階に導き、介添して登壇せしめる。戒弟が登壇し坐位に就いたならば、直壇手鏧二声、三師は正面に進み教授師は焼香する。戒師は問訊(合掌低頭)、振錫一下し(払子は室侍が持つ)、直壇手鏧一声して五人又は七人にて須弥の周りを三回達巾する。遶匝は五人ならば直壇、室侍、戒師、教授師、引請師の順、七人ならば、先導師二人、直壇、戒師、教授師、引請師、室侍の順である。
このとき戒師主唱にて、
衆生受仏戒 即入諸仏位 位同大覚已 真是諸仏子
(衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る、位大覚に同じゅうし已る、真に是れ諸仏の子なり)
と唱えて、仏位に列することを証明する。正面に至るごとに問訊(合掌低頭)し、直壇手鏧一声、第三回目に二声、一同揖して曲彔に倚る。戒弟は下壇し、直僚に導かれて加行位に復る。戒弟順次に登壇し、三師等はその都度遶匝する。四衆の登壇終わる。

〈 『菩薩戒作法』 〉

次受者、礼三拝、立于坐具之上。不脱鞋、坐具如元。
次和尚、起問訊、到棹前、向北問訊。右手拈香焼香問訊、叉手而立。
次教授、引受者而令著椅子。謂、教授離交椅坐、而到受者所、示曰、須著椅子。教授先歩、受者後歩。教授到椅子右辺立、向受者示曰、須著椅子。受者欲著椅子、先上踏子、向椅子而問訊、右転身向和尚而問訊。和尚合掌受問訊。受者収衣袖而著椅、跏趺而坐、合掌黙然。次和尚唱云、
衆生受仏戒、即入諸仏位。位同大覚已、是真諸仏子。
一遍唱了、又唱衆生受仏戒之一句。因曲身問訊、右転身右遶椅子三匝之間、誦此偈。宋音。誦声不絶。教授随和尚之後遶、同誦此偈。右遶三匝之間、踏受者之所展坐具而歩也。

〈 備   忘 〉

周知の通り、本来伝戒(授戒)とは「一対一」の師資間の戒法授受を前提としている故、『菩薩戒作法』における「和尚(戒師)と受者の入れ替わり」(登降壇)に関する儀軌をもって、現行授戒会における四衆登壇の儀軌に当てております。

因みに、ここで言う「四衆登壇」とは、戒師と四衆が入れ替わり、戒師が登座していた蓮華台に四衆が登壇する事を指して言います。

『菩薩戒作法』では、上に挙げた引用(次に、教授は受者を引いて椅子に著かしむ)の如く、教授師が受者を率いて戒師が坐していた椅子の上(蓮華台)に就かせます。

現行の授戒会では、四衆(『菩薩戒作法』で言うところの受者)のみならず、その儀軌を摸した形で亡戒・鎮守の登壇も併せて行います。

『菩薩戒作法』における登壇法では、教授師による言葉の指示(示して曰う、「須らく椅子に著くべし」と)や、その他事細かな進退(教授が先に歩み、受者は後に歩む。教授は椅子の右辺に到って立ち、受者に向かって示して曰う、「須らく椅子に著くべし」と。受者は椅子に著かんと欲して、先ず踏子に上り、椅子に向かって問訊し、右に身を転じて、和尚に向かって問訊す)にまで詳しく言及されております。

また、「受者は衣袖を収めて椅に著き、跏趺して坐し、合掌黙然す」という記述が確認できる様に、本来四衆は蓮華台に登壇した後「跏趺して坐し、合掌黙然」する事が望ましいとも言えましょう。

現行の授戒会でも、四衆は壇上にて跏趺して坐する事は困難にしても、「合掌黙然」する事は常に念頭に置くべきだと感じます(実際の授戒会でも直壇寮からその様な口宣が入ります)。

『行持軌範』にて、亡戒・鎮守の登壇中に、「遶匝中、戒弟は合掌する」・「遶匝中戒弟は合掌して所念の精霊について菩提を祈念する」とそれぞれ合掌の明記がある事も、この部分に拠っているものと言えましょう。

以前拙ログでも取り上げた「洒水時の合掌」と同様、典拠となり得る部分かと思われますので確認しておきます。

また、『行持軌範』にある「登壇は …(中略)…… 西階より登壇し東階より下壇する」という部分に関しても、まさに『菩薩戒作法』における「(教授が先に歩み、受者は後に歩む)教授は椅子の右辺に到って立ち、受者に向かって示して曰う、須らく椅子に著くべしと」という部分に基づくものであると考えられます(教授師が椅子の右側【東側】に立てば、東側からの登壇は不可能であるため)。

『行持軌範』では、その四衆が登壇した後に直壇が手鏧二声し、三師が正面に進み教授師が代理にて焼香、焼香問訊後に戒師は振錫一下し、直壇の手鏧一声にて須弥三匝いたします。

その須弥三匝中に「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうしおわる、これ真に諸仏の子(みこ)なり」と唱える事は『菩薩戒作法』に確認できます。

ただ、『菩薩戒作法』では「一遍唱え了って、また「衆生受仏戒」の一句を唱う。因みに曲身問訊し、右に身を転じ、右に椅子を遶ること三匝の間、この偈を誦す」と明記されております。

つまり、師資間の伝戒においては、一偈「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうしおわる、これ真に諸仏の子(みこ)なり」唱えてから曲身問訊し、右遶三匝するのです。

現行の授戒会では、四衆が複数に分けて登壇する事と、四衆登壇の後に亡戒・鎮守の登壇が控えている事から、一偈唱え終わってからの遶匝という形が省略され(教授師が代理焼香し、戒師の振錫一下後すぐに須弥遶匝)、三匝が一匝に減らされているものと考えられます。

また、ここでは「右遶三匝」(右に身を転じ、右に椅子を遶ること三匝)という明記がある様に、本来は須弥を右遶三匝(一匝ではない)する事が基本である事も確認しておくべきでしょう。

些細な点でありますが、現代の道場事情により、遶匝を始めるタイミングや遶匝数の省略などで対応してきた経緯が見て取れます。

また、授戒会では諸役が設けられているため、『行持軌範』では五人(直壇、室侍、戒師、教授師、引請師の順)もしくは七人(先導師二人、直壇、戒師、教授師、引請師、室侍の順)の際の順列が明記されております(『菩薩戒作法』では戒師と教授師の二人のみで遶匝となる)。

これも現代の事情に即して変化してきた部分かと思われます。

さらに、偈中に須弥遶匝が終わらない場合、現行の授戒会では「位大覚に同じうしおわる、これ真に諸仏の子(みこ)なり」の最後の二句を繰り返しながら調整する儀軌が見受けられます。

これも『菩薩戒作法』における「誦する声、絶えざれ」という記述に基づくものと考えられます。つまり、誦する声を絶やさないために、遶匝が終わるまで最後の二句を唱え続けるという事です。

この儀軌は、歴として『菩薩戒作法』に遡源が可能かと思われます。

この様に、大幅な儀軌の変遷が見られる四衆登壇に関しても、『菩薩戒作法』における儀軌が受け継がれ、活かされている現実は注目に値しましょう。

また『菩薩戒作法』では、「受者の展ぶる所の坐具を踏んで歩む」と示され、遶匝する和尚(戒師)と教授師が受者の坐具を踏みながら遶匝する儀軌が説かれます。

加えて、和尚(戒師)が蓮華台より降座する際に、既に展べられている和尚の坐具に関する記述がない事から、受者が登座する際には和尚の坐具上にそのまま跏趺する形を取ります。

これらの事からも、師資一等を説く宗門の伝法観が如実に儀軌に反映されている事が分かります。

つまり連綿と連なる法の上においては、あくまでも師資は同列上の仏位に列し、この師資間の「坐具の共有」を以て、師資一等の伝法観は如実に儀軌の中に活かされている事となります。

前に取り上げた一円匝に対する意味付け(円となれば上下なし)の如く、この「坐具の共有」に象徴される師資一等の道理を踏まえた上で、四衆の加行はあくまでも厳かに勤められるべきなのでしょう。


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