サイキンノジェイヒロシonブログ2

生き甲斐とは何かを模索する、ジェイヒロシのぐ~たら日記

願い

2006年06月07日 02時29分20秒 | Weblog
今日はマイミクありちゃんさんと藤原のバリトンO石家へ遊びに行った。
O石夫妻の手料理が食えるって事で行ったわけですが、
出来上がるまでの間10ヶ月になるご子息の面倒を見る事に。

これがまた大変。
まずどうして良いやらわからない。
ってか怖い。
笑いそうなのか泣き出しそうなのか判別が付かない。
さわって良いやらどうして良いやら・・
そして意外と重い。

つかんだものは口に運んでしまうし、
テーブルの上につかめそうな物が近くにあれば取ろうとする。
常に監視していないと非常に危険。

泣く時は何か欲求不満なんだろうけど、意図がわからない。
どうしたいのかさっぱり。

俺とありちゃんさんでどうにもならない時台所のお母さんのとこまでダッコしてくと泣き止んだりする。
やっぱり母親が居ないと不安なんだろうね。
俺も小さい頃夜中に急に一人ぼっちになる様な寂しい気持ちになって泣いた事があった事を思い出した。

O石夫妻の子供と接する姿を見ているうちに、ふと思った。

「俺の親父もこうだったんだろうか?」
「こんなに大変な思いをして親父も俺を育ててくれたんだろうか?」
「親父は俺にどんな未来を見たのだろうか?」
「俺は親父に答えられているだろうか?」
「俺は親不孝ではないのか?」

すげー涙がこみ上げてきた。
本当にごめんって思った。
きっと俺の親父もO石兄さんみたいに笑ってたんだ。
きっと母さんも同じように微笑んでたんだ。

子供を育てるって事は本当にどうしようもなく大変で、半端な気持ちじゃ到底出来なくて、愛しているからこそ育てる苦しみを乗り越えられて

俺はあまり親父や母さんとは連絡を取らない。
つまんない事ばかり聞いて来るし
はっきりいって面倒くさいと思っていた。
俺は最低だ。
こんな思いで育ててくれたのに最低だ。

俺の人生は俺だけのものじゃなかった。
親父と母さんの思いで俺はここにいた。
親父達もその親達もまたその親達も同じなんだ。
今の俺はこんなに優しい気持ちの連鎖で存在していた。

俺は生きる。
いつか胸張って「ありがとう」って言う為に。

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