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【成人期の先輩を訪ねて】さをり織作家・講師、そしてダンサー 杉本明子さん(39歳)

2015年06月01日 | 取材報告

 

(写真:大阪市北区のSAORI豊崎長屋で  撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

織っていると図柄のイメージが「ぽっ、ぽっ、ふわっ、ふわっ、バーンッ!」と浮かんできます。音楽を奏でるように感じるまま。「これっ!」と思う糸を手に取り、どんどん、どんどん紡きます。最初に指導してくださった城英二さん(さをりひろば代表)から、思いのままに織る楽しさを教わりました。沢山、褒めてくれて、作品が仕上がるごとに教室の皆がともに喜んでくれました。

楽しくて夢中になり、一緒に習い始めた母・美子さん(69)をあっという間に突きぬけ、今ではさをり織作家として、また講師として活動の場が広がっています。

 

寄り添うように声をかけます

上から教えるのではなく、様子を見ながら寄り添うように声を掛けます。教室の生徒さんからも「アドバイスが的確」「迷った時にすかさず声を掛けてくれる」と頼りにされる存在です。

「明子さんは周囲にすっと溶け込んでいくので、ゆったりした優しさに包まれる」とさをりひろば事務局長の城哲也さん。

明子さんが大阪府立成城高校で講師をしていた時もそれは同じ。最初は女子高校生の前で緊張しましたが、いつものように「ふわっ、ふわっと自由にね」とアドバイス。誰かの真似ではなく、自分自身の感じるままに。最初は戸惑っていた生徒さんたちも次第に明子さんの意図を理解し、自分たちなりの個性的な作品を仕上げていきました。

 

(写真:さをり織り仲間の堀佐知子さんと  撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

集中して織っている堀さんからは「エネルギーがブワ~ッ!と出ています」という明子さん。お互いに認め合う仲です。

 

(写真:織った作品は裁断して、こうなります。 撮影・江藤恵美 2014年10月9日)

「それが欲しい!」と言われることも。けれど、全く同じものは出来ないのです。その瞬間、瞬間の思いを糸に託しているからです。明子さんの作品を通して人柄にも魅了されるファンが沢山います。お手紙をもらうこともあるんですよ。

養護学校卒業後はすし店に勤務。赤だしを作ったり食器を洗ったり立ったままの仕事。夜遅くなることもありましたが一度も「しんどい」と言うことなく、休むこともありませんでした。しかし、閉店に伴う退職後、次の職を決める面接では「もう、ゆっくりしたいです」と口にしました。次に通うことになった作業所では「背もたれのある椅子に座っていられるところがいい」と伝えました。「勤めていたころは何も言わないから大丈夫だと思っていたけど本当は疲れていたし頑張りすぎていたのかもしれない」とお母さんの美子さんは、この頃を振り返ります。ただ、このことが きっかけで大阪市立中央授産場のミシン科に通い、一緒になった友人の「さをりは楽しいよ」との誘いから、12年前、27歳の時、さをり織と出会いました。

 

(写真:「とっておきのさをり展」のステージで 撮影・江藤恵美 2014年11月16日)


ダンスと太鼓とタンバリン!

さをり織を通してトルコ、アメリカなどにも交流の輪が広がりました。浮かんだことを即、表現するのはダンスも同じ。交流会では音楽にのせて思わずダンス!めいいっぱい表現している姿をカメラがとらえ、大型スクリーンにドーンッ!と映し出されました。あまりの弾けっぷりに、こんな一面も表現できたらと、支えている人のアイデアでダンスチーム「カラフルズ&カロリズム」が結成されました。定期的にステージも開いています。ほかにも趣味で始めた「大阪チャチャチャバンド」で太鼓、タンバリンを担当と、日々を楽しんでいます。これからも、どんどんどんどん!のびのびと自由に。表現したい思いは尽きません。

 

(写真:さをり広場事務局長の城哲也さん<右>、母・美子さん<左>と。大阪市北区のSAORI豊崎長屋で 撮影・江藤恵美 2014年10月9日)


「さをり織りを通じての成長を感じます」

「明子さんは周囲にすっと溶け込んでいくので、ゆったりした優しさに包まれる」と、さをり広場事務局長の城哲也さん。母・美子さんは「家ではほとんど話さないけど、ここに来ると話しているし、電車に一人で乗り、通うようにもなった」と言います。「しめつけないように のびのびと 自然体で。これからは特に私はなるべく後ろへ隠れていようと思います」。

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《プロフィール》1975年9月大阪市生まれ。地域の公立小学校・中学校に通う。小学校3年生から養護学級へ。大阪市立生野養護学校高等部卒。大阪市立中央授産場ミシン科を経て、さをり織り室。大阪府立成城高校での講師の後、現在は手織適塾「SAORI豊崎長屋」(大阪市)で講師。

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記事=周藤裕子(JDS大阪支部 『ダウン症ニュースWeb』編集部)/江藤恵美