過去の今日の出来事etSETOraですヨ(=^◇^=)

過去の今日のTHE BEATLESだヨ(=^◇^=)

 

 今日映像◆[NHK放送版] The Beatles All You Need Is Love (Japanese Original Air Version on 1967)
 1967年にNHKで放送されたバージョンです。YouTubeより転載
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm18910601
 ┏━━━━━━━━━━━┓かみばやし さとる      朝日文庫
 ┃『この日のビートルズ』┃上林 格 P.288 本体680円+税 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月30日(土)第1刷発行
‡1967(昭和42)年06月25日(日) No.36 P.203「全世界へ伝えた愛のメッセージ」◎史上初の衛星生中継番組で♪All You Need Is Love♪の演奏を初披露した日◎
 ┏━━━━━━━━━━━┓ 
 ┃『この日のビートルズ』┃上林 格 P.288 714円(税込) 朝日新聞出版
 ┗━━━━━━━━━━━┛2013(平成25)年11月07日(木) 朝日文庫発行
  人類がまだ月面着陸を夢見ていた1960年代、英国出身の4人の若者が世界を席巻した。
  ポピュラー音楽史の記録を次々と塗り替えただけではなく、
  文化、思想、生活スタイル、あらゆる分野に強烈な影響を与えた。
  語り継がれる20世紀最高のファブ・フォーの「この日」にこだわってみました。
 ┌─――――――――――――┐
‡|1967(昭和42)年06月25日(日)|「史上初の衛星生中継番組『アワ・ワールド』出演」
‡|2007(平成19)年06月25日(月)|甲虫日記更新日 No.002
 └─――――――――――――┘1967年のこの日、全世界に「愛」というメッセージが届けられた。英国・BBCが企画した、全世界を網羅する史上初の衛星生中継番組「アワ・ワールド(Our World)」に英国代表としてビートルズが出演。ロンドンにあるEMIのアビー・ロード第1スタジオから、新曲「オール・ユー・ニード・イズ・ラブ(愛こそはすべて)」の演奏が初めて披露された。番組出演が決まると、どの国の視聴者にも理解できるシンプルな内容の曲づくりを依頼され、ジョンとポールは別々に着手した。自然な流れでジョンの曲に落ち着いたという。普遍的な「愛」を訴える曲のメッセージは、当時の若者が抱いていた理想を見事に写しとったと評価されている。ベトナム戦争は激しさをましていた。各地で反戦を訴える平和的な抗議運動も起きていた。「あの曲のいいところは、誤解する余地がないところだ。愛がすべてという、明快なメッセージを持った曲だから」と当時のマネジャー、ブライアン・エプスタインは語っている。ちなみに“落選”したポールの曲は「ユア・マザー・シュッド・ノウ」だった。生放送されたスタジオには、地球儀をあしらった風船や発売されたばかりのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットにあるような花が飾られ、パーティー会場のような雰囲気があった。色彩豊かなサイケ調の服を着た4人は、正装した13人編成の楽団員をバックに演奏した。コーラス・ゲストに呼ばれたミック・ジャガー、エリック・クラプトン、キース・ムーンらが彼らを囲んでいた。フランス国歌の一節から始まる曲目には、「イン・ザ・ムード」「グリーン・スリーブス」「シー・ラヴズ・ユー」などなじみの曲も織り込まれた。「愛さえあれば」にあたる言葉を数カ国語で書いたプラカードが、国と人種を超えた団結という曲のメッセージを強調した。さながら、アフリカの飢餓を救おうと英米のミュージシャンが連帯した「ライブ・エイド」(1985年)の先駆けのような番組だったのだろう。彼らの偉業は、しばしば大げさな数字で伝えられる。74年に僕が買ったレコードの解説書には「15億人がみた」とあった。地球に住む2人に1人が見たことになる。アンソロジー(映像編)の解説書には「推定4億人」とあった。「3億人」はプロデューサーのジョージ・マーティンの言葉。生中継された国の数も、日本も含めて「31カ国」「26カ国」「24カ国」など諸説ある。5大陸にまたがったことは間違いなさそうだ。僕は長い間、「ビートルズが衛星生放送番組で新曲をレコーディングした」と信じていた。レコードの解説書にそう書いてあったからだ。正しくはビートルズのレコードディング・セッションを再現したものだ。事前に別のスタジオで伴奏トラックが録音され、さらにボーカルを加えて6分に短縮されたトラックをつかい、4人が当日のライブで歌い演奏したのだった。しかし、この日のジョンの姿を映像で見ていると、彼にとってビートルズ時代、最後のハイライトシーンだったのでは、と思えてならない。ヘッドフォンを左耳にあて、チューイングガムをかみながら全世界に愛のメッセージを伝える。「史上初」という冠はいくつも経験した彼だが、頂点を極めたという達成感を強く受けるのだ。約2カ月後、4人を英国の港町から世界のスターダムへと押し上げたブライアン・エプスタインが変死体で発見される。マネジャーの死を知らされ、インタビューを受けるジョンの顔は青ざめていた。“落選”したポールが、次第にグループのリーダーを演じなければならなくなるのは、それからだ。
 ◎お知らせ「アワ・ワールド(OUR WORLD)」のおよそ1カ月前に発売された。「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(SGT. PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND )」
 1967年6月1日発売 東芝EMI 
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 https://dot.asahi.com/1satsu/tyosya/2013110700049.html
 http://doraku.asahi.com/entertainment/beatles/070625.html
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES TV Appearance Photos Quick-Reference Guide 1962-1970 ┃
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‡(sun)25 June 1967『Our World』♪All You Need Is Love♪
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 ┃ THE BEATLES on film and television  1967 ┃
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‡(sun)25 June 1967『Our World』『Our World』was one of the first international shows with a multiplicity of nations viewing and contributing. The Beatles performed 'All You Need is Love', written specially for the event. A second version was recorded for the BBC and much of the days rehearsal was also filmed. 
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 http://www.beatlesource.com/TV/index.html
 http://www.tvtalkin.esy.es/fab4tv/1967.htm
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  ┛THE BEATLES 1967 Recording Sessions ┛Studio 1
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 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓takes 48-50; BBC rehearsal
 ┃ ♪All You Need Is Love (愛こそはすべて)♪  ┃takes 01-03;
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛takes 51-53;
         (58 being live BBC broadcast) takes 54-58;overdub onto take 58
  No.5 ■レコラス(ト)?■放送開始までビートルズはアビイ・ロード第1スタジオにこもり、入念なリハーサルを繰り返す。カメラ・リハーサルやレコーディング機器の調子を見る為もあり、実に第48~第57テイクの録音もされた。本番。カメラが回って中継スタート。これが第58テイクとなる。混乱を避けるためにビートルズは第10テイクを流しながら録音に挑んだ。実際、この日にライブレコーディングされたのはジョンのヴォーカル、ポールのベース、ジョージのギターソロ部分、リンゴのドラム、そして13人のオーケストラであった。このオーケストラの中には「ペニー・レイン」でピッコロトランペットを吹いたデビット・メイスンもいた。(全く同じピッコロトランペットをこの時に使用している)このスタジオ内にはエリック・クラプトン、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル、そしてキース・ムーン等々蒼々たるメンバーが顔を連ねており、エンディングのコーラスを歌っている。興奮の中継セッションが終わった夜中。その第58テイクにリンゴのドラムロール(イントロ)とジョンのヴォーカルを一部録音しなおした。そして、これがそのままリミックスされて1967年7月7日に発売されたのである
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush/Martin Benge
 ‡1967(昭和42)年6月25日(sun)
  Recording of snare drum roll and re-done John vocal for ♪All You Need Is Love♪
  Visits at the studio: Mick Jagger, Marianne Faithfull, Keith Richard, Keith Moon, Eric Clapton, Patti Harrison, Jane Asher, Mike McCartney, Graham Nash and wife, Gary Leeds, Hunter Davies
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 ┃ ♪All You Need Is Love♪『THE BEATLES 1』 ┃25 June 1967
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  Derek Burrell Davis Magical Mystery Tour From Our World (25 June 1967)[A]
  Recorded live-to-air in Studio 1, EMI Studios 
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 https://beatlesdata.info/9/11_allyouneedislove.html
 https://en.wikipedia.org/wiki/All_You_Need_Is_Love
 https://en.wikipedia.org/wiki/1_(Beatles_album)
 https://en.wikipedia.org/wiki/The_Beatles_discography#Music_videos
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 ┛THE BEATLES 1968 Stereo mixing ┛Studio 2 (control room only)
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①┃ ♪Revolution ①♪  ┃remixes 8-12, from take 22
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    ┛THE BEATLES 1968 Editing ┛Studio 2 (control room only)
    ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:00-8:00pm
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⑨┃ ♪Revolution ⑨♪  ┃of remix stereo 2
 ┗━━━━━━━━━━━┛この曲は9分5秒から若干削られて8分23秒弱になった。
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 ┛ THE BEATLES 1968 Tape copying ┛Studio 2 (control room only)
 ┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛┛2:00-8:00pm
 ┏━━━━━━━━━━━┓
①┃ ♪Revolution ①♪  ┃of remix stereo 12
⑨┃ ♪Revolution ⑨♪  ┃of edit of remix stereo 2
 ┗━━━━━━━━━━━┛この曲は9分5秒から若干削られて8分23秒弱になった。
  Producer: George Martin
  Engineer: Geoff Emerick
  2nd Engineer: Richard Lush
  Copies of ♪Revolution 1♪ and ♪Revolution 9♪ for John and Apple Corps.
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  ┛THE BEATLES 1968 Recording Sessions ┛Studio 3
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②┃ ♪Sour Milk Sea♪  ┃George produces and plays guitar on Jackie Lomax session, 
 ┗━━━━━━━━━━━┛recording ♪Sour Milk Sea♪
 ‡1968(昭和43)年6月25日(tue)
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 ①https://beatlesdata.info/11/08_revolution1.html
 ①https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_(Beatles_song)
 ⑨https://beatlesdata.info/11/12_revolution9.html
 ⑨https://en.wikipedia.org/wiki/Revolution_9
 ②https://en.wikipedia.org/wiki/Sour_Milk_Sea
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 ┃ A-side      ♪sour milk sea♪  ┃JACKIE LOMAX
 ┃ B-side ♪THE EAGLE LAUGHS AT YOU♪  ┃  Writer(s) George Harrison
 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛Producer(s) George Harrison 
  Released (mon)26 August 1968 https://en.wikipedia.org/wiki/Sour_Milk_Sea
  Recorded (mon)24  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London
 ‡Recorded (tue)25  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London
  Recorded (wed)26  June 1968 EMI Studios, London; Trident Studios, London

 ビートルズがやって来た―来日50周年に振り返る4人の素顔
‡2016(平成28)年06月25日(土)のインタビューを基にニッポンドットコム編集部が構成
 2016(平成28)年07月07日(木) 文化 星加 ルミ子【Profile】私とビートルズの出会いは東京オリンピック大会の翌年の1965年6月。生まれて初めて飛行機に乗って、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオ(EMIスタジオ)で4人に単独取材をした。ビートルズの武道館での来日公演はそれから1年後のことだ。ジョン・レノンと同年生まれの私は、65年の独占取材に始まり、70年の解散に至るまで、毎年ビートルズを取材して同世代の4人の素顔に触れることができた。来日50周年を期に、あらためて音楽記者としてのビートルズとの関わりと、当時の日本を振り返る。
 1966(昭和41)年06月30日(木)バナー写真◆日本武道館で演奏するビートルズ(時事通信フォト)
 写真◆1965年ロンドンのEMIスタジオでビートルズを単独取材した会見記を掲載した「ミュージック・ライフ」の表紙。中央が星加ルミ子氏。
■25歳で「編集長」就任、いざロンドンへ■ビートルズの名前を意識するようになったのは、短大を卒業して、「ミュージック・ライフ」の編集者として数年の経験を積んでいた頃だ。アメリカのロック、R&B、エルヴィス・プレスリーが好きで、それが理由で音楽出版社に入ったようなものだったので、最初はビートルズにすごく関心があったわけではなかった。1963年頃から、米国の業界紙によくその名前が登場するようになった。64年の北米ツアーでは、彼らの行く先々で何万という熱狂的なファンが埋め尽くしているというニュースが日本のメディアにも届いた。同年半ば頃には、「ミュージック・ライフ」編集部にも、学校帰りの女学生が訪ねてきては、何かビートルズの新しいニュースや写真はないかなどと聞いてくるようになっていた。少女たちに、どうしてそんなにビートルズの曲をいろいろ知っているのかと尋ねると、「FEN(米軍の極東放送)で朝から晩まで曲が流れてる」「深夜ラジオでもよく聴いている」との返事。日本で最初にリリースしたシングル「抱きしめたい (I Want to Hold Your Hand )」も売れていたが、50年代のロックンロールを聞いていた私には、ビートルズのサウンドはまったく異質なものだったので、その人気も一過性のものだと思っていた。とはいえ、若い人に人気があるのだから、音楽雑誌としては関連記事を掲載したい。当時は写真1枚に何万円も払って通信社から買わなければならなかった。「ミュージック・ライフ」初代編集長の草野昌一さんから、実際にロンドンに行って取材してきなさいとこともなげに告げられ、国内外のあらゆる伝手(つて)を駆使して、ビートルズに会うための戦略を練った。マネージャーのブライアン・エプスタインにはもちろん、取材依頼の手紙を出したが、“Absolutely not” という返事が戻ってきた。世界中のマスコミから取材依頼が寄せられ、机の上に山のように積み重なっているとのことだった。結局、英国EMIの伝手から助言をもらって、65年6月、とにかくロンドンに向かうことになった。6月一杯『ヘルプ!』のレコーディングで4人がロンドンにいるので、会うには絶好のチャンスということだった。出発の1週間前には、突然、草野さんから編集長を引き継ぐことになった。エプスタインに面会の約束は取りつけてはいたが、もちろんビートルズ会見の承諾は得ていない。今では考えられないが、彼へのギフトに日本刀を持っていた。1本だとかえって目立つからと念のために偽物も4本買って、紙袋に入れて機内持ち込みの手荷物として持参した。ロンドンに行く前に、取材でドイツのハンブルグ、パリをまわったが、税関で厳しくとがめられることはなかった。
■アビイ・ロード・スタジオでの3時間■日本のことは良く知らなくても、日本の音楽市場が急成長しているということは知っていたエプスタインだが、世界からの山のような取材依頼に、特別扱いはできないという方針だったのだろう。だが、はるばる極東の国からやって来た私の熱意と、刀が気に入ってくれたのか(黒澤明の『七人の侍』のことは知っていた)、最終的にビートルズとの会見をかなえてくれた。
 1965(昭和40)年06月15日(火)写真◆ロンドンのEMIスタジオでビートルズを単独取材。ジョン・レノン(手前)とポール・マッカートニーに挟まれて。
 写真◆星加氏が持参した「ミュージック・ライフ」を手にしたビートルズのメンバーとプロデューサーのジョージ・マーティン(後方、左から2人目)。
 ビートルズがレコーディング中のEMIスタジオに向かったのは
 1965(昭和40)年06月15日(火)の午後5時すぎ。第2スタジオ1階のミキシングルームでプロデューサーのジョージ・マーティンが迎えてくれた。地階のレコーディングスタジオにいる4人は、着物を着ている私を珍しがって、おしゃべりをやめて上を見上げている。ポール・マッカートニーが、あそこに階段があるから降りて来いと手招きをした。どこかから記者が来るとは聞いていたが、私のように小さな(身長150センチ)女の子が着物姿で現れるとは思ってもみなかったのだろう。ジョージ・ハリスンは飛んできて、どうしてこんな大きなベルトをしているのか、スリーブが長いのはどうしてかと聞いてきた。着物を着てきたことは、会話の良いきっかけを与えてくれた。年齢も同じぐらいで英語は片言、小さくて危害を加えそうもない私を見て、安心したのだろう。すぐにうちとけて、ざっくばらんな感じになった。最初は30分だけと言われたのに、結局3時間一緒にいた。4人に「ミュージック・ライフ」読者から応募した質問を10問ほどタイプした紙をポールに渡すと、君の英語だと明日の朝までかかるからと他のメンバーへの質問表を受け取って、ジョージ、ジョン・レノン、リンゴ・スターに渡してくれた。みんな一生懸命質問への答えを記入し始めた。4人の中では、最初は人見知りの印象を受けたジョンは、慣れてくると冗談を言ったりして、一番冗舌になった。彼は日本のことを知っていて、日本に行ったら“スモーレスラー”に会いたいという。美術学校の友人が日本の写真集を持っていて、その中に “beautiful” な力士の写真が載っていたのだそうだ。「僕は日本語を知っているんだ」と、イントネーションだけ真似をした「日本語もどき」をしゃべってみせたりもした。その後、ロンドンから米国に飛んで1カ月間取材をして帰国した時には、ビートルズ会見記を掲載した「ミュージック・ライフ」はすでに発売されていた。通常は5?7万部しか発行していなかった雑誌を25万部刷って、ほぼ完売だった。
  ⇒ 次ページ: ロンドン単独取材から1年後の来日
 https://www.nippon.com/ja/column/g00378/
■ロンドン単独取材から1年後の来日■ビートルズが来日するという話を耳にしたのは、1966年の年明けだった。協同企画(現・キョードー東京)の永島達司さんに会った時に、ビートルズはどういう人たちだったかと聞かれた。いい人たちだけど、マネージャーのエプスタインは手ごわいなどと、雑談を交わした。ビートルズ来日の話が決まったのは、それからしばらくしてからだ。来日公演の主催は、協同企画と読売新聞、中部日本放送との相乗りになった。6月30日から7月2日までの5公演で、コンサートのチケットを入手するには、読売新聞に往復はがきで応募、ライオン歯磨きや東芝音楽工業(ビートルズのレコードの発売元)など協賛企業の懸賞に応募、日本航空の往復航空券を買って応募などの方法で、抽選に当たるしかなかった。チケット欲しさに、全部に応募したという子もたくさんいた。若者の熱狂ぶりの一方で、大人たちの中には、ビートルズの髪型を含めて、反感を持つ人たちも多かった。彼らが受け入れるのは、ブラザース・フォアのように髪を七三に分けてカレッジフォークを歌うバンドだった。来日は
 1966(昭和41)年06月29日(水)未明。
 1966(昭和41)年06月28日(火)到着の予定が、台風の影響で遅れたのだ。同日の午後には記者会見が開かれた。舞台の上にビートルズの4人が並び、3名の代表記者しか質問できない取り決めだった。代表質問者がおもむろに巻物のような紙を広げて質問を始めたので、記者席にいた私は「何アレ」、と思わず笑ってしまった。こんな堅苦しいプレスインタビューとは思っていなかっただろうが、4人とも質問をウィットではぐらかすのがうまかった。
■ジョン・レノンの奇妙な「乾杯」■来日中の4人に会ったのは
 1966(昭和41)年07月02日(土)の午後だ。彼らが滞在していた東京ヒルトンホテルの10階プレジデンシャル・スイートに、記者として正式に招かれたのは私だけだった。ただ、部屋は人の出入りが激しくて、一問一答の取材をする雰囲気ではなかった。4人は外出が許されなかったので、空き時間にはファンクラブに頼まれた絵を描いたり、主催者からプレゼントされた民謡などのレコードを聞いたりして過ごしていた。私が部屋に入った時には、カメラ屋や、着物、帯などを売る土産業者が品物を広げていた。4人は特にカメラに興味があり、私と同行した長谷部宏カメラマンに、どれがいいんだと聞いたりしていた。
 1966(昭和41)年07月02日(土)写真◆東京ヒルトンホテルで。ジョン・レノンから「日本のキッズの間で流行っていることは?」と聞かれ、『おそ松くん』の“シェーッ!”を伝授。早速やってみせるジョンと、興味を示すリンゴ・スター。リンゴもポーズを取ったそうだが、写真は残っていない。ジョンは部屋を出たり入ったりしていたが、突然テーブルの上のオレンジジュースのグラスを高々と上げて、 何か叫んだ。私には “The Beatles will fade out” と言ったように聞こえた。みんなは冗談だと思って笑ったが、そばにいたリンゴが、「ブライアン」とエプスタインを指さして、言った。「こんなにたくさん稼いだのに、僕たちは一歩も外に出られない。どこで使えばいいのさ?」その後、エプスタンがスーッと私のそばに寄ってきて、指を口に当て、「今のジョンの発言は書いてはダメだよ」とささやいた。彼は真剣だった。私が聴いた来日コンサートは、初日と最終日の7月2日の夜だ。彼らが歌っている間、嬌声(きょうせい)はすごいものの、歌声はちゃんと聞こえた。また、「イエスタデイ」を歌うときは、女の子たちが、「シーっ、静かにしましょうよ」とお互いに注意しあって、水を打ったように静かになったのを覚えている。
■ジョンとポールのコラボ場面に居合わせた幸運■ビートルズ来日前と後では、日本社会のビートルズの受容が全く違う。来日前には、武道の“聖地”武道館を英国の長髪のロッカーなんかに使わせるなという反対運動もあり、“来日反対”の右翼の街宣車も出没していた。それがたった5日間足らずの来日で、ビートルズを認めざるを得ないと、世間の空気が変わっていく。来日を境にレコードも発売枚数が桁外れに増え、あれやこれや書きたてていたマスコミも、好意的なトーンに変わった。ビートルズの音楽に無関心だった大人たちの間でも、聞いてみたらいい曲じゃない、という認識が広がったと思う。そして、ビートルズ以降、大きなコンサートは武道館で開催されることが普通になっていった。いろいろな面で若者に対するプレッシャーが緩やかになった気がする。
 写真◆来日公演から半世紀を経ても、日本人のビートルズへの熱い思いは消えない。ビートルズを何度も取材した星加氏はトーク・イベントで引っ張りだこだ。
 私自身は来日公演後の「最後のライブ・ツアー」となる1966年8月の北米ツアーの同行もオファーされて取材、以降、1970年の解散まで毎年ビートルズと顔を合わせることになった。その間、ビートルズの歴史の中で貴重な場面や、歴史的瞬間にも立ち会っている。そういえば、66年北米ツアーのシカゴでのオープニングコンサートの時には、リハーサルの合間に、シャワーを浴びたジョンが素っ裸で私の前に現れ、「ルミ、その椅子にかかっているタオルを投げてくれ」とニコリともしないで声をかけてきた。ジョークのつもりだったらしい。1967年9月にはEMIスタジオで、ポールとジョンが一緒に「フール・オン・ザ・ヒル」の歌詞を仕上げながら、4人でレコーディングする場面にも居合わせた。ちなみに、この時にスタジオの隅っこに座っていた日本人女性が、この年の暮れにジョンと結婚することになるオノ・ヨーコだった。1969年1月、今や伝説の「ルーフトップ・コンサート」にも偶然居合わせた。ビートルズとは関係のない仕事でロンドンに行ったのだが、彼らが設立したアップル社のスタッフから、屋上でビートルズが演奏するから来てみたらと言われて行ってみた。ビートルズの気まぐれで4人が久しぶりに集まったからやってみようぐらいのノリかなと思っていたのだが、その後アルバム『Let It Be』がリリース、映画も公開されて驚いた。
■日本人にとってビートルズの思い出は宝物■1970年、ビートルズ解散のニュースには、残念だとは思っても、驚きはしなかった。68年ごろからアップル社はうまくいっていなかったし、4人も「ルーフトップ・コンサート」以外は、ほとんど会社に寄りつかなかった。「フール・オン・ザ・ヒル」ではジョンとポールが仲良く歌詞を作っていたけれど、『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』(1968年)を聞くと、2人の方向性がはっきりと違うのがわかる。やがては別々の道を行くのだろうと思っていた。来日から50年経っても、ビートルズのことをまだ語っているとは、夢にも思わなかった。もちろん、彼らの曲にはいつの時代にどこで、どんな人が聞いても素直に心に入ってくる普遍性がある。ただ、来日何十周年というように、なにかにつけてビートルズ関連の大々的なイベントをするのは日本だけ。いつまでもビートルズの思い出を宝物のように大切にしているファンが日本には特に多いのかもしれない。
 本文中写真提供:シンコーミュージック
 https://www.nippon.com/ja/column/g00378/?pnum=2

 音源◆The Beatles - Magical Mystery Tour Outtakes Medley https://youtu.be/YA78vYmkKfE
‡1967(昭和42)年06月25日(sun) EMI Studios & Chappell Recording Studio, London
 1967(昭和42)年09月25日(mon) EMI Studios & Chappell Recording Studio, London
 01. All You Need Is Love (Warmup Take- Excerpt) [0:00]
 02. All You Need Is Love (Unknown Take) [1:29]
 03. All You Need Is Love (Unknown Take) [1:55]
 04. Your Mother Should Know (Take 8- Excerpt) [2:08]
 05. I Am The Walrus (Unknown Take) [2:36]
 06. The Fool On The Hill (Demo Take Excerpt) [4:04]
 07. Your Mother Should Know (Take 27- Excerpt) [4:29]
 08. The Fool On The Hill (Take 3) [4:51]
 09. The Fool On The Hill (Take 4- Excerpt) [5:00]
 1967(昭和42)年06月14日(wed) The Beatles began recording All You Need Is Love on 14 June 1967, at Olympic Sound Studios in Barnes, London. On 23 and 24 June they made last minute rehearsals and additional recording, including an orchestral overdub. There was also a press call on the morning of 24 June, which saw more than 100 journalists and photographers enter Abbey Road. 25 June was the day of the Our World broadcast. Most of the day was spent rehearsing with the BBC camera crew. Your Mother Should Know was begun in Chappell Recording Studios in Maddox Street, London, as Abbey Road was booked for other artists. On the first day, 22 August 1967, they recorded eight takes of the rhythm track. The following day - their last session at Chappell - they recorded overdubs for the song. This was also Brian Epstein's last-ever visit to a Beatles recording session. The Beatles began recording I Am The Walrus on 5 September 1967, just nine days after the death of Brian Epstein. Sixteen takes were recorded on that first day, just five of them complete. John Lennon played a pianet electric piano, Paul McCartney played bass on the initial takes and later switched to tambourine, while George Harrison was on electric guitar and Ringo Starr played drums. On 6 September 1967 McCartney recorded a solo demo of The Fool On The Hill in a single take. He played the piano and sang, with no other Beatles appearing on the tape. On 16 September they began a remake of Your Mother Should Know, recording 11 more takes. The arrangement was harmonium, piano, vocals and drums, with a military-style snare rhythm. Recording of The Fool On The Hill with the full group began on 25 September. The Beatles recorded three takes of the rhythm track, with Lennon and Harrison playing harmonicas. Over the third take they overdubbed McCartney's recorder and lead vocals and Starr's drums. 
 

 映像◆(Synced) The Beatles - Live At The Palazzo Dello Sport https://youtu.be/SbkyJOwAG9c
‡June 25th, 1965 (Evening Performance) Genova, Italy Speed correct from what it seems to be an 8mm film from the evening performance of the poorly sold concert. Order of the cuts was corrected too, and it's synced with audio from the performance at the Teatro Adriano on June 27th.
 00:00 She's A Woman (Possibly)
 00:02 I'm A Loser (Possibly)
 00:07 Can't Buy Me Love
 00:36 I Wanna Be Your Man
 00:55 Everybody's Trying To Be My Baby (Possibly)
 
 映像◆(Synced) The Beatles - Live At The Essen Grugahalle - June 25th, 1966 https://youtu.be/EnhniEVPTL0
 
 音源◆(Synced) The Beatles - Live At The Palazzo Dello Sport  https://youtu.be/2jj5TJiRt2w
‡June 25th, 1965 (Afternoon Performance) Essen, Germany
 00:00 Intro
 01:25 Rock And Roll Music
 03:00 She's A Woman
 06:25 If I Needed Someone
 09:07 Day Tripper 
 12:04 Baby's In Black
 14:38 I Feel Fine
 17:18 Yesterday
 19:48 I Wanna Be Your Man
 22:21 Nowhere Man
 24:59 Paperback Writerda
 27:47 I'm Down
 
 音源◆(Synced) The Beatles - Live At The Palazzo Dello Sport https://youtu.be/cnt9jh1pbZg 
‡June 25th, 1965 (Evening Performance)  Grugahalle, Essen, 25 June 1966
 In the morning The Beatles were driven in a fleet of Mercedes cars, flanked by police on motorcycles, to Munich railway station. From there a special train took The Beatles from Munich to Essen for two shows at the Grugahalle. Between the two shows The Beatles held a press conference and enjoyed a meal in their dressing room. Following their second performance at the Grugahalle they boarded the train once more to travel to Hamburg, arriving at around 2am.
 01. Paperback Writer [0:00]
 
 音源◆The Beatles - Live At Grugahalle, June 25 1966 (Afternoon Show) https://youtu.be/pY7Hq5R8Rsk
‡25 June 1966 Grugahalle, Essen,  In the morning The Beatles were driven in a fleet of Mercedes cars, flanked by police on motorcycles, to Munich railway station. From there a special train took The Beatles from Munich to Essen for two shows at the Grugahalle. Between the two shows The Beatles held a press conference and enjoyed a meal in their dressing room. Following their second performance at the Grugahalle they boarded the train once more to travel to Hamburg, arriving at around 2am.
 01. Intro [0:00]
 02. Rock And Roll Music [1:26]
 03. She's A Woman [3:02]
 04. If I Needed Someone [6:25]
 05. Day Tripper [9:06]
 06. Baby's In Black [12:05]
 07. I Feel Fine [14:37]
 08. Yesterday [17:18]
 09. I Wanna Be Your Man [19:48]
 10. Nowhere Man [22:24]
 11. Paperback Writer [25:00]
 12. I'm Down [27:49]
 
 ┏━━━━━━━━━━━━━┓
 ┃ THE BEATLES INTERVIEW   ┃  DM's Beatles site
 ┗━━━━━━━━━━━━━┛by Dmitry Murashev
 ┌─――――――――――――――――――――┐
 |Beatles Press Conference in Essen, Germany|No.48
 └─――――――――――――――――――――┘
‡1966(昭和41)年06月25日(sat) June 25
 Q: "Would you be so kind as to tell us something about your impressions in Munich and here in Essen?"
 John: (jokingly) "NO! Umm, yeah."
 (laughter)
 Paul: "It's bigger here."
 John: "It's very nice. We only saw the hotels and that."
 Q: "What's your opinion about your listeners here in Essen?"
 Paul: "Good audience."
 Ringo: "Yeah... The best audience."
 John: "Louder audience than Munich."
 Q: (female voice) "Do you like the German girls?"
 Paul: "Yes."
 (laughter)
 John: "Yes, great."
 Q: "Do you think it's very exciting and nice to be here as you are today, or would you rather be in Hamburg again?"
 Paul: "No, it's just wonderful. As you can see, we enjoy it."
 Q: "What do you think of a lot of noise at Beat concerts?"
 Paul: "Umm, yes. Just about as much as at a football match."
 (laughter)
 Q: "What's the difference between German fans, English fans and American fans?"
 Ringo: "They're all the same."
 Q: "There's an old German song that says 'Why is it so beautiful on the Rhine?' You've travelled along the Rhine, what are your impressions of it?"
 John: "We were asleep!"
 Ringo: "I slept, you know."
 (laughter)
 Q: "What about an appearance in Canada?"
 John: "We've been there."
 Ringo: "We go there in August."
 George: "We've been there three times."
 Q: "Are you never homesick?"
 Paul: "Yes, always."
 Q: "John, what's the time?"
 John: "I don't know."
 (laughter)
 Q: "George?"
 George: "Yeah."
 Q: "What's the time?"
 George: (pause) "Five 'til eight, on my watch."
 Ringo: "Time you were in bed!"
 (laughter)
 Q: "Are you afraid of your trip to Tokyo?"
 John: "Why?"
 Q: "Because they said they would cut your hair over there."
 Paul: "No, they won't."
 John: "They'd just imitate us."
 Q: "Do the Beatles plan in the near future to make another film?"
 John: (exaggerated German accent) "YA!"
 (laughter)
 Q: "Do you have any idea what it's going to be like?"
 John: "No. We have no script."
 Q: "Do you sing for music or for money?"
 Paul: "Both."
 John: "Well, when they don't pay you, you do it for music."
 (laughter)
 Q: "Do you do it for love or for money?"
 Paul: "Both."
 Q: "Is it possible that you will make a film without music?"
 Paul: "Umm, no. Not likely. It's possible though, but it's not likely."
 Q: "If you would have to buy a ticket for your own performance, how much would you pay for it?"
 John: "We know the manager, so we get in free."
 (laughter)
 Q: "Do the Beatles write their arrangements for their songs all by themselves?"
 Paul: "Yes."
 Q: "Who wrote the arrangement for 'Michelle'?
 John: "We did."
 George: "Leonard Bernstein."
 (laughter)
 Paul: "We did, all together. We do them all together."
 Q: What do you think about people who have written about you? Do you think they have intelligence or not?"
 George: "We don't think..."
 John: "Some are intelligent, some are stupid. Some are silly, some are stupid... the same in any crowd. They're not all the same. Ein is clever... Ein is soft."
 (laughter)
 Q: "What do you think of the questions you are getting asked here?"
 John: "They're a bit stupid."
 (laughter, followed by applause)
 Source: Audio recording of press conference
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 http://www.dmbeatles.com/interviews.php?interview=48
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