水曜日の在宅医療

”在宅医療”の質を上げたい!
すばらしい人生との出会いを・・・。

帰ってきた亀婆、昨日は修羅場。

2015-11-15 | さんぽ
まもなくデイから帰ってくる。今朝は5時からデイの迎えが来るまでの8時半まで泣き叫ぶ。

私の起床は4時。昨夜は0時半まで騒ぎようやく寝かしつけたモノの、耳に甲高い私への罵りや恨みつらみが残響のようで深く脳に刻まれよく寝られなかった。ワイフは早々に入眠剤を飲みベッドに入るも私と同様。散々な在宅介護デー。

昨日は朝4時頃からの15時まで騒ぎ、15時に過ぎにデイケア医処方のリントンを飲ませ散歩に連れ出し落ち着きを取り戻し夕食は完食。が21時から修羅場の後半が待っていた。
20時ベッドに入る、便秘薬を枕元に届ける。8時半になってもドアの下から明かりが漏れている。よくあるように明かりをつけて寝たのかとドアを開けると。

パジャマ姿でウロウロとしており”殺しにきたのか!?”と問う。それからが殺すな殺せの繰り返しで泣き叫ぶ。これが午前0時半まで。まいったな。
おまけに内開きのドアにはバリケードが築かれて私が自室に入れないような仕掛けがしてある。大きな衣装箱を運んできた途中らしい。今夜は殺し屋を越させないようにしたつもりらしい。

とにかく被害妄想は日に日にはげしく、妻はパニックにおちいり。私もいささか感情的で語気を強めてしまった。それが亀婆の興奮を誘いさらなる修羅場へと突き進む。廊下にパジャマでへたり込んでいるのを無理やり引きずってベッドに座らせる、力任せの介護。腰痛の再発。まいったな。

今日は地域ケアプラザの方と電話で話す、今の心境というか心痛を聞いていただきながら明日からの介護について話し合う。解決策はないのか。


今日も梅雨

2015-07-09 | さんぽ
中国バブルが弾けそう、とんだ迷惑だ。
昨日から保有株が下がる、下がる、下がる、いま大赤字に陥った。今日、大半を預けているNOM証券のIKEちゃんが来る。で聞きたいことは山ほどある。

まずはこの先の見通し。ギリシャより中国というのは最近では市場でも囁かれていた。おそらく回復には相当の年月がかかる。
引き続き、好業績企業の株を買いたい。手元の預金を何に投資するか?下がるいまがチャンス。株か投資信託か、5年は動かさないので適当なモノを推奨してほしい。

彼の訪問目的はトヨタのAA株の契約、あれこれ考えるのも面倒なんで、彼の購入の勧めに応じた。ワイフも便乗した、トヨタの好業績に期待したいところ。果たしてどうなることやら。
ついでながら今後は中国株は決して買わないゾ。いま持っている中国株もタイミングを見て売るつもり。そうそう上海株と香港株の違いもこの機会に知っておきたい。

それにしてもトヨタの女性役員に対する報道には腹が立つ。オキシコドン持ち込みと麻薬を同一視しているかのような報道、根底にマスコミの勉強不足と米国の医療を理解していない点。患者自身のセルフコントロールに対する認識や、そもそも痛みに対する処置への理解に欠ける、緩和医療にぜひとも配慮がほしい。

結果は女性役員の辞任と検察の不起訴処分!?、世間を騒がせたことが辞任の理由とか。一人の人生を大きく変えてしまったマスゴミめ!

あれから50年

2015-07-06 | さんぽ
KAM高校を卒業して50年になる。6月6日に実家のある市で同窓会があった。
今回は普通科クラスのみの同窓会。総勢250名、で参加者は70名ほど、担任の先生方をいれると80名弱、まあ盛況。

愛しいマドンナたちに会いたくて浜を5時半に出る。新東名を時速100キロ以上、チンコロでカッ飛び。一人旅は良い、iPod音楽を大音響で楽しみ唄う。
愛しのマドンナの一人RUMちゃんとKAM駅前のCHAKIで9:30待ち合わせ。悠々900に到着。帰りのGASもいれて余裕の到着である。

残念なことにCHAKIが5月より土曜日休業とかで店は休み。ここで二人で抹茶ソフトを食べる予定だったが急遽予定を変更。RUMちゃんに時刻通りに会い相談して卒業したKAM高を見に行く。
あれから50年、校庭や校舎は少し変化した。校内では現役生から度々の挨拶を受ける、今時の高校生は愛想が良い、二人で顔を見合わせ歓心する。
後で同窓会で聞いたところ「少し前は荒れていた、いまは生徒の品が良くなったとの」こと。

さてクラス会、愛しのマドンナ4人は皆出席していた。正直なところ、ちょっと伯母さんになっていたが”美しかった人はそれなりに品を湛えていた”し、環境の激変か?ちょっと変わりすぎてすぐには名前が出てこなかった人もいた。なんでもないような素振りで話しているうちに”そうだ⚪︎⚪︎さんだ!”と思い出す。

UNちゃんは熟年離婚したそうだが、わりと元気。吹っ切ったのかナ。
YORちゃんは独居、1、2度電話でも話し合い今回の同窓会の開催日や場所の案内を教えてもらっていた。去年のクラス会でもあったよな。
YAMさんは変わらず美しい。RUMちゃんとYAMさんは着物で出席かと期待したが洋服だった。

中学時代から親友のSAKが髪が薄くなっていた。元気で会を盛り上げていた。二次会でもカラオケを歌いまくっていた。この日は同じホテルに泊まる。翌朝朝食が済み彼は京都奈良方面のUNちゃんRUMちゃんを車で最寄駅まで送るという。見送る、別れしなに後席の窓を開けたUNちゃん『hikoはCITY BOYになった』と言ってくれと。誰だ、SAKだそうだ。

同窓会に元気でこれてよかった。SAKを送った後のロビーで、出発の遅い千葉から来た別クラスの方に会う。この方は小脳梗塞で手術時に神経を傷つけられて右の視神経が異常となったそうだ。しきりに涙を流していた。それに昨夜は二次会後に締めの蕎麦をSAKと食べに行った時、私は胃ガンだった、癌研有明で胃を半分切ったとのこと。す蕎麦を慎重に啜っていた。
同窓生の中で極端に痩せている奴が何人かいる、”がん闘士”か?おそらくそうだろう。3年後のクラス会でも会えると良いが。そういえば秀才が何人か亡くなっている。特に私らのクラスは学年成績上位組、癌と戦ってあるいは中東で交通事故死、循環器疾患で突然死したクラス友達が数名いる。学年普通科全体では30名近くの物故者だそうだ。

一年で最もイベントの多い6月、株主総会、結婚記念日(息子夫婦と我々)、母の94歳の誕生日、それに観劇もある。梅雨をあまり気にせずに過ぎてしまった。

今日6日、ギリシャ・クライシス。先週に続き株価が大幅に下がる。緊縮賛成か反対か。そんなものに賛成する人は多くない、結果、反対票が60%を超える。財政難からさらなる年金カットやら緊縮策を、経済再建策のない計画ばかりで国民は辟易したんだろう。これをどうにかするのが政治家だろうに、悲しいかな経済再建策は見えない。

近々あのサントリニー島とアテネに再び行きたい、できれば今年中に。

晴れのち曇り

2015-06-21 | さんぽ
昨日は梅雨の合間で晴れ、そ日て今日くもりでうっとおしい。
西田佐知子のブルースを聞いて余計に鬱陶しい。
あのカリブ海が恋しい。空も海も底抜けに青い。海は澄み空は雲もグレーではなく白くコントラストが明快だった。

クルーズに出たい、今度は南アかアラスカか北極圏。明るい町が良い。

たらいまわしの在宅療養 10

2015-06-14 | さんぽ
いま亀婆は夏季のミドルステイに入った。おかげさまで94歳を9日に施設で迎えた。

元気!良い意味でたらい回しが功を奏しているのだろうか。車椅子を脱しいまや施設では元の歩行器で歩いている。当然のこと介護度の区分変更は行政で却下され「要介護2」のまま。

ま!いっか、というしかない。

6日に高卒50周年記念同窓会で亀山へ帰郷した。ここで中学の友人SAKと会う。で不動産処分を勧められ処分を決行することにした。まずは亀婆に8日に相談すると、あっさり「良いよ」と。
「私が死んだらあんたがいろいろ苦労するんやネ。それなら(処分)やっても良い」ときた。頭クリアだね、以前はあれほど反対し涙を流したのに。

帰り際に「アレ買ってきて」と、アレとは乳ボーロのことか?それともハッピーターンか。オセロ仲間に配りたいらしい。元気だね、94歳。

たらい回しの在宅療養 3

2015-04-18 | さんぽ
ワイフと二人でマンション玄関に止めたFIAT500に亀婆を押し込むように乗せる。
部屋が2階でよかった。エレベータも直ぐに来るし亀婆はマンション玄関まで、歩行器にすがらせることができないので2人で両脇を支えつつヨタヨタと歩いた。良かった晴れている。救急車のお世話にならずに良かった。

近道を通って労災病院へ。亀婆は眠っているのか、それともぐったりしているのか助手席の背にもたれかかっている。15分ほどで着く。玄関前に車を止め車椅子を借りに行く。
車椅子に乗せる、1番の窓口へ。診療券に保険証、それに医療費減額認定証を出す。初診扱い紹介状なしで5400円を請求と念押しされる。紹介状代わりに老健医師の申送り状を手渡すと、これがあれば5400円は必要ないといわれる。で救急窓口へ誘導される。トリアージの注意書きを職員より手渡される。重症患者さんを優先的に診るとのこと。当然だ、自家用車で窓口へ来る高齢者は後回し・・・。

病院に4時ごろにつき検査やら診察やらを終えて救急室3番へ入室が許されたのが5時半。救急総合診療科の医師より説明を受ける。
「すいません、勤務交代で夜勤医師にお母様の病状は引き継ぎました。その先生から説明をうけてください、恐らく入院になると思います。血液検査の結果は炎症反応が高いぐらいで他は異常が無いよう・・・。ご高齢で40℃という熱があり弱っています。酸素飽和度が低く点滴をしております。尿路系も今は検査中です」
hiko:「ありがとうございます」
「すいません、変らせていただきます。」で、それから約1時間後夜勤の医師が来る。

「お母さまは熱で体力に消耗がある、いま入院ベッドを探しているんでちょっとお待ちください」と言い置き隣室へ。代わりに看護師が入ってくる。
「ごめんね、先生から説明があったと思うけど7時ごろにはお部屋へ移れます。料金のかからない大部屋と、冷蔵庫と新聞が読める2000円ほどかかる4人部屋があるの。どちらが良いかしら」
ワイフ:「歳をとって新聞も読めないし冷蔵庫に入れるモノもありません。大部屋でお願いします」

とういうことで7回の4人部屋。ただしここは消化器内科の部屋らしく、総合診療科の部屋が3階にあり、ここが空き次第に移動していただくと念押しされる。
入院手続きの書類やら、病衣レンタルの契約書やら一般的な入院の注意に関しての書類をいただく。とりあえず慌ただしく15日はここで終わり。8時半、帰宅。

明る16日病院へ。入院手続きやら病室へ見舞い。亀婆は乳酸リンゲルの点滴やら酸素補給を受けていた。看護師より説明を受ける。朝食も完食で少し元気になったカナ。
母に問う「どう!?」
亀婆「昨日のことはさっぱり覚えていない。あんた来てくれたんか?ここは病院か?」



フロリダで働く日本人 2.

2015-04-12 | さんぽ
クルーズの最終日、船は予定時刻にフロリダ港に入港。今日はエバーグレース観光の予定、10:00に出口ゲートで待ち合わせと、乗船時に観光会社と約束した。
が前日夕方、船内新聞で我々の集合時刻は10:30、上陸時刻は11:00と知らされた。慌ててレセプション・デスクに行きネゴする。

「明日10時に出口ゲートにて送迎のアポがある、従って上陸のためのミーティング時刻を9:00にして欲しい」と伝える。
上陸は予めグループごとに色別されており集合時刻と場所それに入国検査を経て港へ上陸するので、その時間は大凡1時間と見てネゴした。簡単にグループ替えができ9:00集合の色シールを入手した。

少々の遅れがあったが入国審査も無事に終え予定時刻10:00に出入国ゲート付近に出ることができた。そこで出会ったのが30歳前後の日本人男性。

ワイフ:「今日の観光は私たち2人だけですか?」
「ハイ、この船の方はお2人だけ。別(ロイヤル・カリビアン)の船の方がお待ちのホテルまで移動していただきます。そこで合流しエバーグレースまでご案内いたします」
と送迎のRV車に案内してくれた。車中フロリダの観光事情を聞く。到着時に知ったことが多いので、話はなんとなく彼のプロフィールを聞くこととなる。
「こちら(米国・フロリダ)は長いんですか?」
「いいえ。まだ2年ほどです」と彼。
彼は鹿児島出身でテキサスにきて英語学校で英語を学んだ後に私立大学に入学し、卒業。卒業後はテキサスに仕事がなく、知人にフロリダに誘われて今の観光会社を紹介されパートタイマーで働いているという。本職は食品の貿易会社勤務だそうだ。
「貿易の仕事だけでは食べていけないんです。それで土日は観光の手伝いをして稼いでいます」とのこと。

「この国で稼ぐのは厳しいんです」

フロリダで働く日本人

2015-04-10 | さんぽ
カリブ海クルーズでは船中よりクルーズの基地フロリダで働く日本人が印象に残った。
フロリダで会った最初の日本人はHさん。のんびり屋さんではあるが根っからのカインドリーな人。往路のアメリカン・エアラインが3時間ほど遅れてフロリダ空港に到着。旅行会社の日程表では、空港での出待ち時間が1時間を超えると客自身でホテルへ移動してくださいと注意されていた。が、彼はフロリダ空港で3時間以上も我々夫婦を待っていた。今回は添乗員なしの旅行なので、慣れない英語でタクシーに乗りホテルまで移動か、それにチップの小銭も用意しなければ・・・。こんなストレスも空港で彼の頭上に掲げるボードを見て吹っ飛んだ。これが外国人なら待ってはくれない。

3時間の待ちには原因がある。成田(NRT)よりダラス・フォトワース(DFW)空港を経由しフロリダ便に乗換える。入国審査を受けたのだが、最近は電子認証許可(ESTA)を渡米前に申請。瞳の色やら5本の指の指紋やらを空港で登録しようやく審査を終えホッとして国内便に乗換える。後は時刻通りに出発、フロリダには16時前に到着。ところが、国内便に乗換えるために乗ったトラムからだだっ広い空港を見渡すと天候は下り坂、雪がチラチラ。ダラスでは稀なこと(後日に船内で聞いた話ではニューヨーク経由の日本人旅客はフロリダ到着が深夜となった)らしいが、時刻通りに乗り込んだAAフロリダ便は滑走路の手前で待機。滑走路の除雪と待機中に翼に降り積もった除雪で3時間ほど待機することに。

旅行会社の言伝もあり畿内よりフロリダの連携旅行社に電話。雪の影響で到着が1時間ほど遅れることを伝える。ようやくDFW空港を飛び立ったのは予定より3時間遅れ。

半ば諦めもあったが到着したフロリダ空港でバゲージを受け取りゲートへ。頭上に旅行会社のサインボードを掲げた日本人を見たときはホッとした。思わずワイフに囁いた。
”良かった”

空港に迎えに来ていただいていた日本人、ホテルまでの4、50分間の車中ではhikoとズーと話す。彼は日系3世風、一度の来日経験もない。会話から想像するに恐らく南米からの米国移民ではないか。真っ先にフロリダの観光業の良さを教えてくれた。まず”年中暖かい”こと、確かに熱い!冬はニューヨークやカナダ、欧州の北の国からのリッチな人が避寒で泳ぎに来る。夏は中南米のリッチな人が来る。中米は四季が逆転するのでやはり避寒目的らしい。観光資源がフロリダは多いこと、いわゆる国籍問わず老若男女の憧れの地でもあり遊ぶところとしてはぴったり、だそうだ。その影響で最近は地価が上がりコンドミニアムがmillion以上に急上昇しているらしい。特にウォーターフロントの物件、フロリダ海岸や市内のダウンタウンの近辺の運河沿いは入手できなくなっているらしい。

彼が犬好きで大型犬を飼っていることや、ネイティブと結婚し中学生の子供がいることなどなど。楽しい会話が続きホテルへの到着時間が短く感じた。ホテル到着時にはチェックインの手伝い、明朝のアポ時刻と送迎の人のプロフィールやさらには近所の食事処までの行き方まで親切に教えてくれる。

予定どうりかどうか不明だが、帰国時の早朝、6時にホテル玄関に待っていたのも彼。やはり空港まで楽しく話をさせてもらったので空港ではチップを渡す。
チップは送迎費に含まれているのでと、彼は辞退するが「わんちゃんのあやつ代にして・・・」と渡した。ここで頑張って”おもてなし”してくださいと。


新体験@カリブ海 爬虫類が好き

2015-04-04 | さんぽ
お母さんは爬虫類が好き。なんということでしょう、マヤ遺跡でも追っかけをやったそうだ。

メキシコはユカタン半島、トゥルムのマヤ遺跡見学でのこと。ゲート付近からイグアナがうようよといた。お母さんはそれをiPadで撮ろうと必死で追っかける。旦さんが怒る。
グループツアーなんだから遅れないで、この遺跡中にいっぱいおるでー、どこへ行っても撮れるから。先を急ごう。

その言葉通り、ゲートを越えた森の中にも遺跡のある広場にも、遺跡の一つテンプルの跡地にもその日陰でイグアナが休んでいる、いるいる!どこにでも。

こんな身近でイグアナを見たことがないもんだからお母さんはiPadを持って追っかける。クルーズのグループ・ツアーの現地解散後もイグアナを撮りたいと母さん旦さんに言う。

”それじゃ記念撮影でもするか”と旦さん。間も無くバスへの帰路の途中の遺跡の柱の陰でイグアナを見つける。

パシャパシャと連写、最後のショットはセルフィーで自撮りを旦さんに迫る。

私のiPadは重いの、だから貴方のiPhoneで撮って!

パシャ!

新体験@カリブ海 焼けた!

2015-03-29 | さんぽ
旦さんお母さん、生まれて初めてシーカヤックに乗る。

7泊8日のクルーズ、最後の寄港地はバハマのプライベート・アイランド、グレート・ストラップケイ。前夜のディナーでもご一緒したAlan・Sherrillさんの活動的な楽しみ方に大いに刺激され、お母さんの発案で最後の寄港地でシーカャックに乗ることになった。ディナーの後エクスカーション・デスクに行き申し込む。受付、チケット入手。すでにエクスカーション受付は明後日から航海のクルーズの準備中、で説明もイタリアン風というかカリビアン風でエエ~加減。集合場所はストラップケイの浜辺と説明を受ける。

翌日クルーズ船は島の沖合に錨を下ろす。クルーズ船からテンダーボートで島に上陸。アポイント場所の浜辺まで2、3分ほど歩く。真夏!浜辺がアッチッチ。拙い英語力でそれらしいクルーの人に聞く。先の海岸と示す。いわゆる”Over the There"とエエ加減な方角指示。暑い!数分ほど浜辺をひたすら歩く・・・。それらしい集合場所はない。キャビンがある、それらしいクルーを捕まえる。

良かった、この人はフレンドリー。ハンディ・トーキーで現場事務所とやりとりをし、巡回のトロリーに案内してくれさらに集合場所まで引率。なんのことはない島の船着場から1分ほどのところにあるエクスカーション案内所。さっき通ったところじゃないか!?で、そこの裏手に案内される。トレーナー2人が旦さんたちを迎えてくれゲストの名前を確認。時刻を少々遅れたが集合場所にようようたどり着く。

シーカヤックの出発地まで5分ほど歩く。炎天下。もちろんこの日の二人のファッションは軽装。
旦さんはTシャツに半ズボン、ツバ広の帽子にサングラス、足にはビーチ・サンダル。お母さんもTシャツに半ズボン、ツバ広の帽子にサングラス、足はサンダル。典型的なリゾート・ファッション。

旦さん等を含めてゲストはペア4組8名、トレーナー2人を加えて総勢10名。荷物を預け救命胴着を身につけカヤックの漕ぎ方のレクチャーを受ける。
カヤックは2人1組で漕ぐ。ペダルを交互に漕げばカヤックは進む。トレーナーが「経験者はいますか?」と問う。旦さん等2人を除いて全員が手を挙げる。

で目指す先は出発地より遥か彼方の1マイル先のビーチ。海岸沿いにカヤックを進めて欲しい、運が良ければスティングレイ(エイ)や海亀に出会えるという。

少々ぐらつきながらも前にお母さん、後ろに旦さん。前を進む人を参考に”ボンボヤージュ”

前のペアにどんどん離される、旦さん等のカヤックはまるで酔っ払い運転のジグザグ走行。旦さんは後ろから「右!左!右!!左!!」とお母さんに掛け声。
前のペアにさらにどんどん離される。後ろからトレーナーが付いてきてはくれるものの直進しない。暑い!焦る!「右!左!右!!左!!」と夫婦相和せず。

「ここが中間ポイント、左手の丘の上に白い灯台が見えますよ。ほら亀がいます。」と後走のトレーナーから言われても海を覗く余裕がない。
遥か彼方の上陸地には先発ペアがすでに辿り着いている。

遅れること30分。ここで到着?後は陸伝いに帰るだけ?
ではなかった!元の海路を辿るとのこと。ドヒャー!

ビーチでトレーナーからヒトデやシェルのレクチャーを受け、さらに素晴らしく美しい海岸へと案内される。先発のペアは旦さん等の遅さに退屈したのか海に入り泳ぐ。
カリビアンブルーの水は澄み肌ざわり良く夫婦で足を波間に遊ばせる、ここまでの疲れが吹っ飛ぶ。夫婦相和してだネ。

さて帰路。トレーナーが囁いてきた、「後ろから搬送します、安心して」と。
2番手の出発、トレーナーの心配無し。カヤックはスイス~イと進む。まっすぐ進む。ハーフ・ポイントの灯台付近もスイス~イと通過。波穏やか。水が澄んでいる。
スティングレイはいるか!なんて冗談を言いながら波間を見る、余裕で海岸沿いを進み出発地に到着。

拍手。

この日の勲章は二人の足、真っ赤に日焼けした足。シャワーに入るのも痛い。焼けた!