
1,単線電車 b/w 旅の終わるとき/伊東憲二 (クラウン) 45'S
否応なしに「俺たちの旅」とかのシリーズ、一連の中村雅俊のヒット曲を思い起こさせる一枚。勿論知らない人ですし知らない曲なのですが、そんな郷愁を思い起こさせてくれ思わず購入。
帰って歌詞を見れば予想通りの「江ノ電」ものでした。
2,恋は風に乗って b/w 悲しい街角/五つの赤い風船 (ビクター) 45's
ビクターのSFシリーズの10番。71年10月発売盤。ただ、"恋は..."は69年に"遠い世界に"のB面で出たものの再発。その"遠い世界に"はSFシリーズの11番で再発されています。
両面曲共に当時の西岡たかしの楽曲を代表するようなものですね。

3,秋の扉 b/w 旅の童話/日暮し (ビクター) 45's
ムサイ男2人にまったくそぐわない清純そうな女性が写ったコロンビアから出ていたファースト・アルバムが妙に印象に残っているこのグループ。リーダーの武田清一がRCサクセションの前身バンドで忌野清志郎と一緒に活動していたという情報も当時から知られていました。
ただ 肝心のその音楽のほうはアルバムを聴いてもピンとこず、殆ど記憶には残っていません。調べてみれば73年から79年まで活動していて当初のコロンビアから77年にビクターに移籍、そこで唯一のスマッシュヒット"い・に・し・え"が生まれています。その清純そうな女性は後にソロになって"サンセット・メモリー"をヒットさせる杉村尚美。
で 本盤はビクターに移っての4枚目のシングル、78年9月の発売。プロデュースとアレンジは星勝。ギターに高中正義が参加。当時の所属事務所の(株)りぼんにはRCサクセションもいたはず。
なんと昨年、コロンビア時代のアルバム3枚がCD復刻されていました。

4,ともだちがかわるとき b/w もし僕が結婚したら/ザ・ムッシュ (キング) 45's

5,泣き虫ロポポ b/w あなたんpすべてを/ザ・ムッシュ (キング) 45's
72年と73年発売のシングル。たとえば上記の日暮しがそうであるようにこの時代のこの手のグループはたいていが記憶にあるのですが、このザ・ムッシュはなんとなくLPは見たことがあるかな、くらいの記憶。今回調べてみたら関西を中心に活動していたグループのようですね。
あの時代を代表するようなホノボノ系青春フォークですね。

否応なしに「俺たちの旅」とかのシリーズ、一連の中村雅俊のヒット曲を思い起こさせる一枚。勿論知らない人ですし知らない曲なのですが、そんな郷愁を思い起こさせてくれ思わず購入。
帰って歌詞を見れば予想通りの「江ノ電」ものでした。
2,恋は風に乗って b/w 悲しい街角/五つの赤い風船 (ビクター) 45's
ビクターのSFシリーズの10番。71年10月発売盤。ただ、"恋は..."は69年に"遠い世界に"のB面で出たものの再発。その"遠い世界に"はSFシリーズの11番で再発されています。
両面曲共に当時の西岡たかしの楽曲を代表するようなものですね。

3,秋の扉 b/w 旅の童話/日暮し (ビクター) 45's
ムサイ男2人にまったくそぐわない清純そうな女性が写ったコロンビアから出ていたファースト・アルバムが妙に印象に残っているこのグループ。リーダーの武田清一がRCサクセションの前身バンドで忌野清志郎と一緒に活動していたという情報も当時から知られていました。
ただ 肝心のその音楽のほうはアルバムを聴いてもピンとこず、殆ど記憶には残っていません。調べてみれば73年から79年まで活動していて当初のコロンビアから77年にビクターに移籍、そこで唯一のスマッシュヒット"い・に・し・え"が生まれています。その清純そうな女性は後にソロになって"サンセット・メモリー"をヒットさせる杉村尚美。
で 本盤はビクターに移っての4枚目のシングル、78年9月の発売。プロデュースとアレンジは星勝。ギターに高中正義が参加。当時の所属事務所の(株)りぼんにはRCサクセションもいたはず。
なんと昨年、コロンビア時代のアルバム3枚がCD復刻されていました。

4,ともだちがかわるとき b/w もし僕が結婚したら/ザ・ムッシュ (キング) 45's

5,泣き虫ロポポ b/w あなたんpすべてを/ザ・ムッシュ (キング) 45's
72年と73年発売のシングル。たとえば上記の日暮しがそうであるようにこの時代のこの手のグループはたいていが記憶にあるのですが、このザ・ムッシュはなんとなくLPは見たことがあるかな、くらいの記憶。今回調べてみたら関西を中心に活動していたグループのようですね。
あの時代を代表するようなホノボノ系青春フォークですね。

とはいえ個人的には、メロディーの綺麗な曲はあるものの今ひとつ垢抜けない印象のグループでした。
このような「ニュー・ミュージック」の人たちって、GSのグループと同じくらい出てきたんじゃないでしょうかね。いやそれ以上の数ともっと長く続いて、ただあまり「社会現象」にならなかっただけの話で。
キーワード:
「やさしさ(表面的かどうかは別として)」
「四畳半」
「同棲」
「ベルボトムのジーンズ」
「長髪」
「ベッタリとした土着性」
「コーラスとハーモニー」
「脱都会~洗練を否定」
「スタジオ・ミュージシャンによるバッキング」
「アメリカン・スタイル」
いい、わるいは別として、日本独自のものだと思います。
70年代のこの手のグループって長い間無視されてきましたね(いや、グループによっては今も)、昨年アルバムが3枚もCD復刻されていたと知ってびっくりしました。「喫茶ロック」は知らない世代に確かに新たな目を見開かせたコンピだったのかも。銀河鉄道の再評価もそうでしたね。
>Graさん
「お涙頂戴四畳半叙情派フォーク」。
挙げていただいたキーワードから即想起したのは「神田川」。このあたりから「なごり雪」あたりまでは確かに日本独自の音楽文化ですね。
しかし、ここでいつも思うのが、荒井由美。そんな時代にそんなフォークを全否定して出てきた人。好き嫌いはべつにして明確な新しい時代を感じさせてくれた初めての人でした。
一方でかって芸能人長者番付でよく一位を取ってい「たイルカ」なんてのも、フォークで稼いていた超人でした。もちろん現在では最初にあげた二人の方が絶対的に知名度や存在感がありますが(40年以上.....)。
70年代も後半ともなると従来歌謡曲と呼ばれていた音楽との垣根は極めて曖昧なものになっていきます。中島みゆきやイルカもまさにそうでした。音楽がビッグビシネスとして成立する時代がやってきたのを感じましたね。
確かにとうようさんも平岡さんも所謂「ニューミュージック」はまったく認めていませんでしたね、平岡さんは「山口百恵は菩薩である」と云い放っておられました、この人の文章は大好きでした。
>t-izuさん
情報ありがとうございます。なるほど、やはりそういうことだったのですね。確かに80年代に入ると誤解を生んでもおかしくないほどに「ニューミュージック」なる言葉はその手の日本の音楽を指す言葉になっていましたものね。