J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

たむ 2/2

2006年01月11日 | 人にぞっこん
大相撲初場所が面白い。
4日目の今日は、岩木山が内無双で時天空に勝った。
その前は、行司が俵に足がかかり、転げるハプニングを見た。
黒海が魁皇を下して受けたインタビューでは、声の少年らしさにびっくり。

しかし、彼らの鍛えられた体躯はすごい。
そして、相撲のしきたりの厳しさも。

相撲史を紐解けば、

「相撲節」として神事に歴史を持つといわれる所以は、
「「相撲節会」とは国家安泰と五穀豊穣を祈った大規模な平安時代の天覧相撲」

なのだそうで、

「朝廷行事としての相撲節の源流は、
 農耕儀礼と服属儀礼の二つの側面に求められるのが常である」
(相撲の歴史:新田一郎著)

力自慢が相撲をとるのみならず、精霊と、つまりは見えない相手に相撲をとる神事もあるし、
赤子や子供が、土俵に上がる神事も多い。

静岡市駿河区の八幡神社には、境内に土俵があり、ここから角界へスカウトされる少年もいる。

ここでの神事の様子を、民芸張子人形師の太刀川進が制作した。
神社の依頼で出来上がったその人形は、伊勢神宮に奉納された。





太刀川進は、会社員として転勤した福島で三春人形と運命の出会いをする。
もとはといえば、中学の修学旅行で、土産に三春駒や人形の本を買う子だった。
素地があるところへ、本場での巡り合わせ。
仕事の傍ら、人形つくりを始める。

民芸と名づけられているとはいえ、三春の殿様が江戸から呼び寄せた名人形師が、
数多くの名作を生む。
そして、各地への手土産に、人形を贈った。
しかし、紙とにかわが材料、ねずみの格好の餌食になり、あまり残されてはいない。
手にとって遊べるところもまた、残らない理由なのだろう。
そして、歴史のできごとにより、一時期は、失われていたのだが、
残された木型と関西のコレクターによって、復活となる大きな物語がある。

その物語を抱えながら、太刀川進は、52歳で退職し、人形師の道を選ぶ。



張子の人形に使われるのは、勿論和紙だ。
湿らせて、引っ張りながら、風合いのよさを残して、人形の型にしてゆく。
繊維が長く丈夫な、襖の内張り用の和紙が、長年用いられていた。
江戸時代の通い帳なども、好んで張子師が使っていた。

しかし、いまや、ない。

手漉きの和紙の原材料も、その8割が輸入に頼るのだという。
さらに、技術の後継者がいない。
最近増えてきているのでは、と尋ねると、次には、
紙漉きの道具つくりや、修繕のできる職人がいない。

もともと張子を作るための道具は、自身で作り出している。
紙漉き道具も、自分で覚えなきゃだめかもしれない、と笑う。

地元静岡市には、清沢和紙が残っていることを知った。
わずかしか漉けないが、地で取れるこうぞ、みつまた、トロロアオイをお使い、
なんとも気品のある昔ながらの上質な和紙。

土地の清沢小学校では、体験学習をしている。
「1月11日(水)今日はこうぞをさらに精製するために、
 表面の黒い皮を取り除く作業を4年生以上で行います。
 これも冷たい仕事ですが、清沢和紙作りには欠かせない作業です。」

できるだけ、手に入る和紙を手に入れて、ストックしている。
清沢和紙には、胡粉を塗らない。
そのまま、地色に植物染料で絵付けをする。

静岡に残る張子との違いは、この染料にある。
泥絵の具で、はっきりとした色使いの人形に仕上げるのが、静岡張子。
太刀川進の張子は、蘇芳(すおう)や槐(えんじゅ)で表情がつく。





「実はね、張子っていっても通じないことが多いんですよ」
太刀川進が言った。

だって、張子の虎、とか張りぼてとか、今も使うじゃないですか。

「それでも、ね。」

彼は、創作民芸張子を作る。
クリスマスには、とぼけたトナカイやサンタ、キュートな兎など、今様も多い。
型を用意して、人形つくりの教室も担当する。

張子のよさ、楽しさを一緒にわかりあいたいから。



彼は、人形の題材を、私達の歴史と共に息づいてきた様々なものに見ている。
歌舞伎や芸能、信仰や縁起、風俗、歴史、説話が閉じ込められた、大津絵。。。
物語のある題材から、物語を背負った人形が生み出されてゆく。

静岡出身の人間国宝芹沢介も蒐集した三春人形の流れを汲みながら、
新たに太刀川進の息吹が込められたタム人形が誕生していく。

大きなライフワークの一つに、静岡の民俗芸能の張子を作ることがある。
取材に出かけてゆき、民俗芸能を味わい、土地の人に話を聞き、人形を作る。

日長、工房に座り続けて、出歩くことのないのが人形作家かと思ったが、
まったく違う日々の暮らし方を聞いて驚いた。

作業の間には、地域社会の一員としての活動もこなしている。

活動的で、とても幸せそうな、人形師なのだ。



上は、日本髪である島田髷の発祥地、島田市に伝わる帯まつり。

下の佐久間の花の舞いは、太刀川進のお気に入りの人形だ。
榊を煮える湯に浸しては、そのしぶきを浴びる湯立神事に伴う、湯立神楽。
お囃子のない、今の祭礼の原型が、そのまま伝えられた子供たちの踊り。





そして、雛。



*全編のたむ 1/2はこちら


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2 コメント

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芹沢介といえば (guonb)
2006-01-13 16:19:11
安倍川餅の店にもお殿様(今川義元公?)らしき人形がおいてあった気がします。

芹沢介と関係あるのかなぁ。
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guonbさん (本人)
2006-01-14 13:43:47
あ、どうなんだろね。

それより、焼け落ちてしまった茶店、残念でした。
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