J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

うれしかった夜

2010年05月23日 | ゆめ・夢

よく降る雨。
28度、29度という最高気温を記録してから、またもや20度を割るような気候変動。

動物は、自然界の変化を敏感に察知するというが、どのくらい、どのように感じるのだろう。
ここ数日、散歩していていらいらしている猫が多いなあ、と思っていた。




昨夜のこと。
夜も少々遅くなった。
しかし、日曜日は雨が終日降るといっていた。
我が家では、散歩を待ちわびたイヌが待っている。
彼は、散歩は好きだが、雨は嫌いである。
少し長めに今夜、散歩をしておきたい。

9歳になり、不整脈の診断を受け、ほかにもいくつか心配の種がある。
この子のカラダのためにも、歩けるときにはちゃんと歩かせておきたい。

リードを持って呼びかけると、目をきらきらさせ、ニコニコといそいそとやってくる。
意気揚々と、夜の散歩に出かける。

空には、朧な半月。
暑かった昼間の空気は、少し和らぎ、草むらから虫の声が聞こえている。

住宅街を進み、その中にぽつんと残ったいまや貸し農園となった畑の横の小道に差し掛かる。
畑は、道から1メートル以上下がって段差がついている。

途中までやってきたとき、いきなり、その畑から、何かが飛び上がってきた。
ネコだ。
イヌはといえば、ただ何事かと驚いて、立ちすくんだように相手を見ている。

しかし、ネコのほうは、ふううう、とうなり声を上げ、
薄暗がりの中で毛を逆立ててカラダを丸く大きくし、
威嚇しながらゆっくりとこちらに向かって歩を進めている。

まずい。

危ない、とリードを引っ張りネコから離す。

しかし、それを見てわれに勝機ありと踏んだのか、ネコが、案の定、襲い掛かってくる。




とっさのことだった。
イヌをかばってネコとの間に入る。
ネコは、目の前に来た私の足に、攻撃する。

イヌもあわてて動き、リードを引っ張る。

何かを踏んだ、ぐにゃりとした感触があった。
はっとして足を上げ、リードを引っ張る力とのバランスが崩れる。
次の瞬間、しりもちをつくように転んだ。

イヌがこの間に襲われたら、と体勢を立て直しながら見ると、
ふうう、とうなり声を上げながら、ネコが畑に下りていった。

イヌの様子を見て、明るいところまで移動し、状態を見る。
彼の後ろ足が、少し震えている。
痛いところがないか、やられていないかと、全身を触ってみる。
どうやら、攻撃はまぬかれたようだ。

大丈夫だ。
傷は負っていない。
猫の爪に、やられてはいない。

そう分かった瞬間、ほとばしるような喜びがカラダに満ちる。
自分が満面の笑みになっているのが分かる。
よかった。この子を守れた。

ひざの裏の少し下に、痛みが走っている。
パンツをたくし上げて確かめると、見事な赤いスジが三本、真横に走っている。
敵ながら、アッパレだ。
血が滴っている。

傷を負いながらも守れたことに、私は堪えられない喜びを感じていた。
なんと、晴れやかで、すがすがしく、満ち足りたことか。
足が痛んでいるにもかかわらず、ただただ歓喜に包まれていた。




まだ子犬だった頃、イヌでもネコでも出会えばみんな新しいナカマだと思うのか、
気軽に、それでいて静かに近寄り、鼻を近づけては挨拶をしていた家のイヌ。

ネコとでも、あまりの敵意のなさと気配のなさに、顔を間近につき合わせて挨拶しても、平気だった。

しかし、徐々に、悲劇が襲う。

ミニチュアダックスに挨拶をして、鼻にぶら下がられたこともあった。
ある日、門を開け放している家の前を通りかかったとき、
中から紐のついていないイヌが飛び出してきて、いきなり後ろ足に噛みつかれた。

そんな中で、気づいたことがある。
彼は、吼え返したり、噛むまねをしても、決して噛み付くことができない。
こりゃ、だめだ。。。。。

だから、もしもイヌや猫が襲ってきたら、私がこの子を守らねば、と思っていた。
申し訳ないが、来たら、蹴るよ。しかも、思いっきり行くからね。
そうしないと、自分だって危ないし。

というわけで、スクランブル発生の場合は、私が戦うつもりでいた。

しかし、蹴れるかな。
いや、蹴るしかない。ほかに、私だって何の武器もない。
たとえ小さなイヌであっても、悪いけど、リードなしで襲ってきたら、
ボールを遠くへ飛ばすように、絶対蹴らなければいけない。
それしか、方法はない。

一応、そんな風に日ごろから覚悟は決めていた。

前に飼っていたイヌのときには、散歩中にリードを離されたイヌに襲われ、
守ろうとして自分が噛まれて病院で点滴受けたし。
うちの子も噛まれて流血したが。

つまり、相手がリードから離れていたら、
イヌでもネコでもたいていこちらに勝ち目はないのだから。

もしものときには、迷わずにやるんだぞ、と自分に言い聞かせていた。

功を奏したのか、どうか。




犠牲というのは、必ずしも受動的で悲痛なものではない、と体感する。
能動的な犠牲は、あるいは、積極的な犠牲は、時として喜びと誇りをもたらす。
もうそれは、決して犠牲ではない。本人においては。

事件の後しばらくの間、散歩を続けながら、襲ってきた猫に対しても、感謝の心持があることに気づいていた。
喜びをもたらした、一方の存在でもあるからだ。
それほど、その行為を私という存在全体が喜んでいた。

宗教的な犠牲というのは、こういう感覚なのかもしれない。
または、殿を身を挺して守った、忠義の武士も。

そして、第三者には理解が及ばない行為であっても、
それを悲劇と決めては見えるものが見えなくなるのだと、カラダが言う。

子どもを、親を、大事な命を守るために、何の悔いもなく行動することが、なぜ、人にはできるのか。

利己的な遺伝子の中では、DNAの乗り物としての個人が、
種全体への犠牲を払うことで種のDNAを守るという点において、
選択肢として刻まれている行動だと解説があったように記憶している。
イヌを守ることは、その擬似行為で、同じような喜びがもたらされたと解釈することもできる。

ここしばらく、ヒトの命の意味、行為の意味を考えていて、
その中で、犠牲についても思考していた。

そういうときに、このような事件が起こるのは、思考を体験から鑑みる機会としてはもってこいだ。

さて、また下手な考えを続けてみることにしよう。

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2 コメント

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母性本能 (ねこ)
2010-05-24 01:13:46
JSさんは痛い思いしちゃったけどワンちゃん無事で良かったですね。
求愛の季節も過ぎ、出産の時期なのかしら?
子猫を守る母性本能?ネコにもネコ事情があるのかな…
昨年、私の勤め先で警備しているヒトがカラスに襲われた、制帽の上から頭をつつかれたのをきっかけに、出勤時スーツ姿でも彼を見るや襲いかかった…警備は何人ものヒトが居る中でカラスは彼しか襲わない。頭良いのね…感心してる場合じゃなかったけど…。。
カラスも何故、彼を敵だ!と思ったか!?誰も分からない。ただ巣を守っているんじゃないか?とダケ…今はそのカラスも目にしなくなりましたが。
イヌも飼い主がリードを離す、家の子は大丈夫!きっと、そう思っているんだろうなぁ…
家の子は大丈夫…ヒトの子と同じ…ただの親バカに過ぎないのに…
結局、迷惑かけるハメになる。。

襲う子は何を思って敵だ!と思うのかな?摩訶不思議…????


子供もペットも各動物達すべてが…自分の子と同等な弱いものには無償の愛情かけて、守る!だから敵と思えるものに襲いかかる。コレ母性本能なのかもしれないね。
親バカにならない程度で可愛がって、守ってあげたい。
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ありがと。 (本人)
2010-05-24 23:57:57
>ネコにもネコ事情があるのかな…
きっと、そうですよね。気に入らないことがあったんだと思います。
ぐにゃりと踏んだのが、どうやら家のイヌではなくネコの法だったようなので、
私の体重が乗って大丈夫だったのか、どこだったのか、気になってます。

カラスの話し、すごいね。
カラスはそのヒトの何が気になったんだろう。
何しろ、生き物のやることは、誠に面白いです、良いにつけ、悪いにつけ。

ねこさんちのネコさんも、元気かな。
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