何故に私はアメリカに 

人生の目標だと思ったものに向かって前進する 
その過程を通過すること自体が 実は人生の目標だった

求愛の形

2018-02-18 23:46:30 | 日記
今思えば、中学校の2年生頃には、既に”男女の愛”というものには、
時間的限界があると言う事を認識していた様に思います。
バス通をしていたバスの中吊りに「俳優のAと女優Bが別れた」と言うのがありました、
「芸能人だけじゃないでしょ」っとやけに身近に感じていました。
その後「結婚するのは人生の無駄遣い」に行き着くまで、そんなに時間は掛からなかったと思います。
中3の頃には『私は、何の為に生きればいいのか』と目標のない人生を遠くから見つめていました。

色々、いろいろ、イロイロあって、(その部分はまた後ほど、)
この頃感じていることは、
「私の人生の一部分は、過去にご縁のあった方達と再会して、いい関係を築き直す」と言うことです。

すると不思議なことに色々な人たちと出会い始めました。いえ、今迄も出会っていたんですが
意識していなかっただけです。私の「清算の路程」が始まりました。
例えば、つい最近の出会いの一つは、とある若い妻子持ちが
「あなたは自分との関係を思い出さないか、自分達は、熱烈に愛し合う恋人同士だったんだ」
と言うのです。この方も瞑想をしたり、かなり深くその道に入り込んでいる人です。
私は息子の様なこの男性に「すまない、今はまだ思い出していない」と正直に言いました。

私、肉体年齢はお婆の年ですが、この体験を基に、『どこかにソウルメイトがいるんだ!』と確信を得ました。
まあこんな具合に、次から次と、出会うは、出会うは、(出会っていたは、出会っていたは、)我々は時空を超越していますね、
さあ、明日は誰に会うのかしら⁈ 楽しみです