Isseyの絵画ブログ

一日一枚のペースで風景画を載せていきます。
以前イラストを描いていましたが30年ぐらい前から描いています。

なんで、帰って来るかなー・・・

2017-07-11 22:01:59 | 風景画
東京の思い出は・・・これといってない。


ま、3人で・・・渋谷・新宿・・・歩行者天国ぐらいは・・・行った。

今、うまい店とか・・・いろいろあるが、僕らのころはひどかった。

渋谷で、食事したとき・・・焼きめし頼んだ。

皿に・・・米1粒ずつを並べたような、茶碗に集めたら・・・半分ぐらい、

良く、並べたもんだ・・・感心した。いくらしたか覚えてない・・・。

近くの、定食屋はマーマーだった。



余り、酒も飲んでない・・・中野がチョクチョク飲んで帰ってた。

その頃の夏・・・窓全開で、寝てた。虫も来ない・・・

クーラーなんかないから、   それでも・・・平気で過ごせた・・・。

あの頃の夏は、・・・何度だったのだろう・・・・。


旗の台ボウル・・・日曜、早朝ボーリング・・・一人で行っていた。

1日・・・17ゲーム投げていた。1ゲーム100円・・・。

ガランとして、ボーリング屋の店員・・・面白いやっちゃなと、

思っていたと思う。平均スコア・・・180

安部さん・小松みどりが帰り・・・なんか気が抜けた。

中野とは、連絡取らず・・・大分帰省を決めた。


布団袋、段ボール箱・・・2個、簡単なものだ。


親に・・・連絡し、就職先・・・決定。

毎日広告社・・・宇部営業所、

そこにいたのが・・・あの、キザなデッサンをする・・・高木恒俊


こいつ・・・1年年上だから、マズイ高木さん・・・



一気に・・・・生活が一変する・・・・。


高木さん家・・・2回ぐらい泊ったことがある。

日宣美の 西本万寿夫先生のお気に入り・・・私たち2人で良く呼ばれた。

日宣美とは、日本宣伝美術協会と言い・・・そこの審査員だった、15人ぐらいしかいなかった。

デザイナー・イラストレーターの登竜門だ。

横尾忠則なども目標にしている団体だった。

私が・・・1年の時、解散した。

その前の年・・・高木さんが、出品・・・九州地区まで選ばれたそうだ・・・。


もう1人・・・○○先生から呼ばれた。

そこの弟子に呆れた・・・カレンダーの数字を書いていた。

インスタントレタリングなど・・・あったのだが、もったいないから書く。

早い・・・狂いがない、すごい…月給が1万円ぐらいに呆れた。

東京に行く決意したのは・・・・その時だ。


毎日・・・あの作業、職人だ・・・私は、無理だ。


宇部営業所での・・・・愉快、痛快、   悶絶の日々へと続く・・・・。






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