気象庁などによると、29日午前0時以降の1時間の雨量は、愛知県岡崎市で全国での観測史上7番目の大雨となる146・5ミリを記録。同市は一時、約14万世帯に避難勧告を出し、県を通じて自衛隊に災害派遣要請した。
同市では河川が氾濫(はんらん)、無職、黒柳鈴江さん(76)が浸水した家屋の中から遺体で発見された。市内の伊賀川が増水し近くの民家の一部が流され、この家に住む女性(80)の行方が分からなくなったほか、散歩に出かけた79歳と73歳の男性2人が行方不明。同県一宮市では、店員、上野正明さん(58)が用水路に転落し、意識不明の重体となった。
首都圏では、29日朝にかけての豪雨で東京都町田市が約150世帯に、神奈川県相模原市が約350世帯に避難勧告した。
同日夜には落雷が原因とみられる停電も相次いだ。東京電力によると、同日午後8時27分ごろ、横浜市港北区で約100世帯が停電。このほか東京都世田谷区や埼玉県熊谷市、川崎市中原区など計約2500世帯で停電した。
また、東海道新幹線は29日午後9時ごろ、横浜市港北区の雨量計が規制値に達したため、品川-小田原間の上下線で一時運転を取りやめた。
新日石によると、ドバイ原油など8月の指標価格は、7月比で1バレルあたり約18ドル下落。円安が若干コストを押し上げたものの、原油価格の大幅な下落により、調達コストは1リットルあたり10・1円下がった。調達コスト、卸価格とも下げ幅は平成2年の価格開示以来、過去最大となった。
同日、石油情報センターが発表したレギュラーガソリンの全国平均小売価格(25日時点)は、前週比1・5円安の1リットル=181・7円と3週連続で下落した。石油情報センターは「価格高騰で需要が大きく落ち込んでおり、集客のために値下げを余儀なくされている」と指摘する。
初のソロカレンダーに「自分しか写っていないカレンダーって変な感じ~」と照れる一方、「最近凝っている」という芸人の物まねを披露。まずは、にしおかすみこ(33)の声色で「にしおか~すみこだよ~」と笑わせ、続けてエド・はるみ(年齢非公表)のように親指を立て「いま、ハッピング~」。最後は安田大サーカスのクロちゃん(31)の甲高い声で「クロちゃんです」と連発で繰り出し、集まった報道陣を笑わせた。
「WE ARE SAS FAMILY!」
アンコールでメンバーが再登場する直前、スタンドに人文字が浮かび上がった。スタッフとファンが、メンバーに内緒で感謝の気持ちを表した。
「素敵な文字まで作ってくれて、泣かせるな。素敵な雨だな…」
心憎い演出に、桑田はうれし涙が止まらなかった。激しい雨を一身に浴びながら、あふれる涙を雨と一緒に何度もぬぐった。隣で、妻でキーボードの原由子(51)も、他のメンバーも、全員泣いていた。「30年前生まれてなかった人もいるでしょ。何世代も楽しめるサザンで本当に幸せです」。30年間の思いが、桑田の脳裏に走馬燈のように駆けめぐった。
デビュー以来、日本のロックを一身に背負ってきたサザンらしいステージだった。生ギターをかき鳴らしながら「YOU」を熱唱すると、オープニングからボルテージは最高潮に。「きょうでしばらく会えなくなるので、まぶたに焼き付けてもらいます」と呼びかけ、4曲目の「女呼んでブギ」から約50分、ノンストップで21曲をメドレー形式で畳みかけた。
冷たい雨がスタジアムを濡らしたが、総立ちの7万人は、かっぱ姿で何度も何度もステージに向けてこぶしをあげた。その熱気は、大粒の雨を吹き飛ばす勢いでメンバーたちを奮い立たせた。
腰痛で休養していたパーカッションの野沢“毛ガニ”秀行(53)も新曲「I AM YOUR SINGER」から途中参戦。「エロティカ・セブン」「マンピーのG★SPOT」では、露出度たっぷりのダンサーと桑田が戯れる、お約束のお色気演出で大いに沸かせた。デビュー以来30年間貫いた遊び心満載のこれぞエンターテインメントを見せつけた。
サザン史上最多の全46曲、3時間。最後の宴は、音楽の神様がサザンとの別れを惜しむかのような涙雨にも思えた。活動休止宣言の際、桑田は「皆さんにウソをついてもしようがない。これからはやりたいときに喜んでやらせてもらう」と正直な胸の内を明かした。
そして、この日改めて「また、自信作を作って聴かせられるときが絶対に来る。懐かしい曲がもっと楽しくやれるときがくる」と自分に言い聞かせるように語った。続けて「サザンの屋号を一旦みんなに預けます。預かってちょうだい」と最後は笑顔で手をふり、ステージを降りた。大型スクリーンに「つづく…」という文字を残して。
9 アンダーからスタートした石川は、5番、6番で連続バーディを奪うが、9番でボギーを叩き前半は1アンダーの「35」。清田は5番でティショットを左サイドのOBでこのホールダブルボギー。前半に優勝争いから一歩後退してしまった。一方の池田は前半を2アンダー、後半に入り10番でもバーディを奪い8アンダーまでスコアを伸ばした。
後半は石川と池田の優勝争い、12番で石川がボギーを叩きその差は2つに縮まった。その後は両者譲らず、15番では石川が先にバーディを奪うと、池田も入れ返す。勝負が決まったのは17番パー3だった。ピン横10mのバーディパットを2メートル残した池田は、これを外し3パットのボギー。対する石川はピン手前3mのバーディパットをねじ込んだ。
最終ホールを4打差で迎えた石川は、ティショットを右サイドのラフに入れるが、2打目でグリーン右サイドに2オン。11mのバーディパットは大きく左に切れるラインをほぼ読みきった。ボールはカップの手前3センチで止まった。タップインするか迷う石川に「プロ初優勝は1回しかないから、取っておきなよ」と池田がアドバイス。マークをした石川は改めて最後にパッティングを行い、カップインした瞬間「ヤッター!」と雄叫びを上げた。
「最強の24人」と自信を持って選出したメンバーの投打が最後までかみ合わなかった。星野監督は「五輪そのものというよりも野球そのものが不思議でしょうがない。申し訳ないの一言です」と目を真っ赤にすると、アテネ大会に続き主将を務めた宮本慎也は「2大会連続メダル(金メダル)を逃し責任を感じている。本当に申し訳ありませんでした」と言葉に詰まりながら謝罪した。
この日は五輪8戦で防御率1.93と安定していた投手陣が3本塁打を喫した。先制点をもらった2回に先発の和田がラポルタに1ストライク3ボールとカウントを悪くして、甘く入ったストレートをライトスタンドに運ばれた。3点リードした直後の4回にはG.G.佐藤のレフトフライエラーの不運があったとはいえ、四球で走者をためると、ブラウンに3ランを浴びて追いつかれた。2番手の川上は5回に2死一、三塁からティーガーデンに勝ち越しタイムリー二塁打を許すと、ドナルドにレフトスタンドへの2ランを打たれた。
コントロールのいい日本投手陣だが、この日は審判の判定がバラバラだった。追い込んでからの際どいコースがボールと判断されて苦しくなり、真ん中にボールが集まったところを米国打線につかまった。
1次リーグとは違って序盤から投手陣を援護した打線だったが、勝ち越された6回以降は自分たちで精神的に追い込んでしまったのか途端にスイングが鈍くなった。伏兵・荒木が先制のソロ本塁打。同点の3回には青木が勝ち越し3ランを放った。しかし、6回以降は凡打の山。9回には先頭打者・青木が11球粘って四球で出塁と“らしさ”を発揮するも、得点には結びつかなかった。大会前から「優勝が義務」と言われ続けたプレッシャーに、最後まで打線は押しつぶされてしまった。宮本主将は「プレッシャーを感じながらも結果を出さないといけないことは僕たちはプロの選手として重々承知している」と言い訳はしなかった。また、左足のケガから川崎宗則がスタメンを外れたことによって、つながりの欠けるオーダーになったことには、星野監督は「われわれが選んだ選手。ケガは野球につきものですから」と言葉少なだった。
塚原からバトンを受けた末続慎吾は「みんなの力を合わせて、と思って挑んだ。日本短距離の先輩方が培った歴史をやっと結果にできた。日本短距離の勝利。(走っているときは)夢の中だった」と話した。
第3走者の高平慎士は「言葉にならないくらい、うれしい気持ち。朝原さんと同じ舞台で走るのも、最後かもしれないと思って、気持ちよく走ってもらいたかった。それができてよかった。メダルを目指してきた。夢がかなうことが証明できた」。
アンカーの朝原宣治は「9万人の中で走りたいという気持ちだった。夢のようだった。自分の体がどこまで持つのか不安もあったけど、絶対いけるという気持ちもあった。これまで一緒に走ってきた、すべてのメンバーに感謝したい。その積み重ねの結果のメダル」と汗をぬぐった。