勇往敵愾
1906(明治39)年建立
1950年再建・追加
題額の「勇往敵愾」や「明治三十九年天長節」など碑の形状から、同じく楠町内の南御見束神社と同様の経緯で建立されたものと思われますが、題額の下に刻まれた名前についての説明はなく、慰霊碑というよりは従軍記念の碑と考えられます。
『楠町史』(1978年)によると、戦後の一時期「戦後処理で、合同庁舎前に埋められ」ていたとのことです。碑の裏面の説明によると、この碑は楠小学校の校庭にあったもので、1950年3月8日、発起人2名と遺族によって来教寺に移され、住職によって「昭和之役戦没者」18名の名前が刻まれました。