平和之礎1980年 野田親睦会
裏に1943~1947年に戦死した「大東亜戦争戦死者」12名の名前が、記されています。題字は四日市市遺族会会長。
平和之礎 1955年10月 三重県知事田中覚 書
表忠碑 1906(明治39)年8月
故陸軍輜重輸卒古市平吉君碑 1907(明治40)年3月 大字軍人・区民一同
1905(明治38)年7月27日、清国において溺死した旨が記されています。
(表忠碑) 1918年 川島村
「日露従軍者」「大正七年一月建之 川島村」
碑は傷みが激しく、読み取りが難しいのですが、『ふるさと散策“川島町のむかし”』(川島町連合自治会 1975年)に掲載された「佐々木神社跡にある表忠碑」の写真では、「表忠碑」「第三師団」「大庭二郎」の文字が見えます。沙々貴神社旧跡は、歴明寺横にあります。
故陸軍歩兵上等兵勲八等功七級加藤金兵衛之碑 1906(明治39)年7月
1905(明治38)年7月に戦死したことが記されています。
報恩碑 1948年10月 水谷潔書 「戦没者芳名」として1940年10月から1945年3月までに戦死した17名の名前が刻まれています。
平和之礎 1962年10月
故陸軍一等卒北川栄吉君碑 1905(明治38)年1月
表忠碑 1953年12月
陸軍大将侯爵山縣有朋書
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