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いのまっさんの日記

過去に頑張って更新していました。再開時期はきまぐれ。

「心配」の持つ性質

2006-11-04 23:27:03 | いのまっさんの日記
最近、なかなかブログを更新する気になれません。
というのも、何だか心の中が、忙しいようなのです。
常に色々と考えていて、どれも内容が深くて、考え込むのです。
そういう時って、何かを言葉で表現するのが、難しいですよね。
今まさに、そういう状況です。

そんな中、人のことを心配してばかり。
具体的にどんな人を心配しているかはさておき、
自分のことを考えるべきなのに、人のことが先に頭に浮かぶ。

人を心配している時って、不思議と自分を保てますよね。
これって不思議というか・・・自分もしんどいはずなのに。
そういうしんどさを、不思議と忘れられる。
だから、しんどい時こそ、周りに目を向けるべきなのかも。
それが、自分に与えられた、抜け道なのかもしれない。

「心配するほど大切な人たちがいる」というありがたさ。
その時点で、恵まれていて、幸せなのかもしれない。
どうでもいい人ばかりと付き合っていたら、心が貧しくなるでしょう。
でも幸い、自分はそういう付き合いをしていないと思う。
皆大事で、常に心に留めている。
だからこそ、心配するのであって・・・。
そして、心配すること自体が、自分を支えている。
これはもう、自分の性格の一部なのでしょうね。
だから、心配というものも、悪くはないのかもしれない。
大切なのは、その感情に押しつぶされないこと。冷静でいること。
それが出来れば、周りの人も、自分自身も大切に出来る。
あまり心配されたくない人もいますけどね。

今心配しているあなたは、この記事を読んでいるのでしょうか?
焦らずに、自分を見つめながら、いつか元気になってくださいね。

1周年

2006-10-29 19:38:39 | いのまっさんの日記
今日でブログ開設1周年になります
皆様の日頃の応援に、感謝致します

この1年で、たくさんの方々と、出会うことが出来ました。
ブログを初めて、本当に良かったと思う次第です。
この1年は、気付けば過ぎ去っていたようで、あっという間でした。
だけど、すごく内容が濃かったので、一生忘れられないと思います。

1年前にturtleさんからコメントを頂き、それからのコメントが1000と少し。1日に3つくらいのペースで、コメントを頂いたことになります。
ありがとうございました。

皆さん、これからもよろしくお願いします

勇気ある訴え

2006-10-27 21:13:02 | いのまっさんの日記
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で人気を博した
マイケル・J・フォックスさん。
彼は、この映画の3作目の撮影中から、ある病気を患っていました。
それは、パーキンソン病
未だ、治療法が完全に確立されていない病気らしいです。

彼は、この病気に罹りつつ、同じ病気で苦しんでいる人たち
のために活動を続けています。
その彼が、ネットの記事で取り上げられ、話題となっています。

フォックスさん病状隠さずCM出演

記事より、一部抜粋
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などで知られ、パーキンソン病を患って一線から退いている米俳優、マイケル・J・フォックスさんが、難病治療につながるとして注目されているヒト胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究支持の民主党候補への支持を訴えるCMに、全身をけいれんさせるなどの症状をあらわにして出演し、終盤にさしかかった中間選挙の選挙戦で大きな反響を呼んでいる。

普通は、自分の病気のことは、あまり知られたくないものです。
悲しいことに、知識の無い人の偏見なども、世の中にはあります。
それでも彼は、勇気を出して、このCMに出演したのです。
このCMを、YouTubeで見つけたので、皆さんも良かったら見てください。

フォックスさんのCM

このCMを見て、彼の勇気に感動しました。
そして同時に、勇気をもらったように思います。
自分の研究は医療に関わる研究ですが、こういう病気の人のために
少しでも役に立てたらいいなと思います。
自分の力なんて些細なものだけど、それでも何かをしたい。
彼の訴えにより、この世界にたくさんいる人間の一人である自分が、
大いに勇気付けられたことを、ここに記しておきます。
パーキンソン病の方は、今は大変な時期を過ごされています。
どうか、未来において、治療法が確立されることを、切に祈ります。
希望を捨てず、勇気を持ち続けて、耐えて耐えて。
そして、明るい未来を信じてもらいたいです。
自分の力・・・些細だけど、祈ろう。

10分の遅れ

2006-10-23 23:56:56 | いのまっさんの日記
今日電車に乗っていた時のこと。
ある駅で止まると、しばらく電車が発進しない・・・。
あれ?と思い、アナウンスを待ってみる。
すると、

「車内で急患が出ましたので、運転を見合わせています」
・・・
「救急車が到着次第、発車予定です」

という旨のアナウンスが流れました。

このアナウンスを聞き、自分は素晴らしいことだなと感じたのです。
急患を降ろすだけで発車するのではなく、
ちゃんと救急隊員に引き継いでから発車するという姿勢。
これは、とても大事なんじゃないかなって。
発車しないことによって、車内での状況を救急隊員に伝えられるし、
どの車両かを伝えることによって、それが目印ともなる。
とにかく、時間が掛かっても、そうするべきだなと思いました。

でも、心無い人たちが、世の中にはいるのです・・・。
自分の隣りに座っていた人が、イライラして舌打ちしていました。
それは、急患の方に対して、恨みを持っているかのようでした。
「早くしろよ・・・迷惑だな」
という、その人の心の声が、自分には聞こえました。
たった10分の遅れなのに、そこに恨みが生じる恐ろしさ。
人間の心の狭さ。罪深さ・・・。
その急患の方だって、自分が苦しくなるなんて、想像もしなかったでしょう。
いわば、自分たちだって、明日は我が身かもしれないのです。
そういう時に、電車という密室にいたら、どれほど不安だろうか。
そういう場面に遭遇したら、その人を心配するのが先だと思う。
なのに、自分のことばかりを考えてしまう、人間の身勝手さ。
自分さえ良ければいいという、人間のエゴ。
いや、人のことは言えないのかもしれない。
自分の中にも、そういう心はあるのかもしれない。
そう思い、自分を戒める毎日です。

人間は、病気にならないと、病気になった人の気持ちは分からない。
もちろん、理解しようと努力している人は、別ですけどね。
安易に、患者に考えを押し付けてしまうこともあります。
人間は病気に罹ると、とても不安なものです。
そういう人は、周りが支えてあげないと。
一つの小さな優しさが、周りに伝播することだってある。
思いやりが、人を救うのです。
たとえ、自分の力が及ばなくても。
どうか、自分の身に置き換えて、考えられる優しさを。
そういう心の余裕を持てる、社会であってほしい。

10分の遅れ・・・自分には、とても貴重な時間でした。

あと半年

2006-06-30 23:24:02 | いのまっさんの日記
今年も、もう半分が終わりました。
思い返せば、激動の半年でしたね~
自分を取り巻く環境が変わった4月が、特に印象的でした。
それから、何とかやっているのか?わからぬまま月日は経ち・・・。
今こうやって、半年を振り返りながら記事を書いているのです。
今月は特に忙しい日々を送っていました。
このブログも、不定期に更新することになってしまいました。
その辺、数日前にパクにつっこまれてしまいましたが

良いことと悪いことが交互にやってくる日々。
今少しだけ、疲れています。
そのように過ごしながら、青春を送っているのかな?とも思います。
何事もない日々は楽でいいけど、何もないのはつまらない。
それなら、つらくても、頑張って今を生きるしかないじゃないか。
そんなことを思う、今日でした。

あと半年・・・精一杯頑張ろう

今日で

2006-04-29 21:23:20 | いのまっさんの日記
ブログを開設して半年が経ちました。
ふと思い立って始めたブログ。
だから、「ふと思い立ったテーマで更新していくブログ」という趣旨で、
このブログをスタートしました。
メインは缶コーヒー・・・先日、100本目紹介を達成しました。
やはり同じ趣味の人はいるもので、それを通してお友達が出来ました。
たまたま新着記事でこのブログを発見して、訪問してくれた人もいました。
たくさんあるブログの中で、たまたまこのブログを見つけて、
そして、お友達になれたという事実。
これは、ほとんど奇跡と言えるのではないでしょうか?
ここで出会わなければ、永遠に出会わなかったかもしれない。
だから、自分にとってここで出来たお友達は、特別な意味を持っています。
奇跡的に出会えたお友達・・・ずっと大切にしたい存在なのです。
後半年経って1周年を迎える時も、2周年を迎える時も、3周年を迎える時も・・・。
ずっとずっと、お友達でいてほしいと思います。
皆さん、これからもよろしくお願いしますね。

「死」と向き合う時

2006-03-31 01:33:51 | いのまっさんの日記
たまには真面目な話をしてみよう。
今から書くことに関しては色んな受け取り方があるだろうけど、
自分の中で考えに変化があったので書こうと思いました。

自分は日常生活で、「死」について考えることがあります。
今までで一番深く考えたのは、2年前祖父が亡くなった時。
あれだけ元気で、仲良く触れ合っていた祖父が逝ってしまった。
さすがにショックは大きかった。
生かされているとはどういうことなんだろうと深く考えた。
祖父のお葬式に参列して下さった、多くの方。
これだけ多くの人に見送られるために、人は生きるのだろうか。
そもそも、人が死ぬことによって、何か意味づけされるものはあるのだろうか?
その人の人生、人徳、後に残される人たちの運命。
特に祖父は、死んでから「あの人は良い人だった」と言われることが多い。
そのことによって、後に残された自分達はとても誇り高く生きられる。
その時の結論はこうだった。
死に価値を見出そうとすることは、やはり間違っている。
価値が見出せるのは、その人の「生きてきた過程」なのだと。

今自分が考えていることは、「自殺」についてです。
最近良く、ニュースで自殺が取り上げられています。
その度に、人事ながら心が切り裂かれる思いです。
何で死んでいったんだろう・・・もっと生きればいいこともあっただろうに・・・。
どちらかというと今までの自分は、自殺で死んでいった死者に対して、
とても冷たい視線を送っていたと思う。
彼らは許しがたい罪を犯したのだと。
しかし、今の自分は少し変わった。
彼らのした自殺という行為は、確かに罪深いものだ。
でも・・・彼らはとても辛かったんだろうなと思う。
自分は彼らの辛さに、全く目を向けていなかった。
どうして彼らが辛かったことを理解出来なかったんだろうって。
それは若さが故かな?
人の死をどうしても受け入れたくないから。
そして、死というものに甘さを感じる人間にはなりたくなかったから。
今もその姿勢は変わらないが、死んでいった彼らを今はとても気の毒に思う。
最近では、姉歯元建築士の奥様が亡くなられましたね。
とてもショックでした。
ご冥福をお祈りしたいと思います。

人間は、生きてきた過程が大事。
そして死んだ時に、どうやって生きてきたのかを見てもらうことが大事。
死に方一つでもそうだろう。
皆に惜しまれながら、精一杯生きてきたねと言われること程、美しいものはない。
自らを殺める形で、人生に幕を下ろしてはならないのだ。
だから精一杯生きよう。
どんなに辛くても、明るく前向きに生きていこう。
そして、充実した人生を送っていこう。
頑張って生きていこう。
心からそう思うのでした。

どこかまとまりに欠ける文章だけど・・・魂を込めて投稿!
これを読んだ皆さんも、精一杯生きてくださいね

発言の重み

2006-03-10 02:13:54 | いのまっさんの日記
最近、発言の重みと、それに伴う責任について深く考えが及びました。

ネットでも私生活でも、発言には細心の注意を払っているつもりです。
ただ、いくら慎重になっていても、たまに失敗することだってありますよね。

例えば、その発言を撤回したところで、そう易々と受け入れてもらえるものでしょうか?
やはりそれには、その後のその人の言動や態度が関係してきますよね。
そのことについて悩み、反省し、次に同じ過ちを繰り返さないという態度で挑めば、相手に通じる思いはきっとあるはずです。
逆に、その場限りの謝罪をし、同じことを何度も何度も繰り返している人に、反省の色など一切見られない。
そういう人に謝罪されると、むしろ相手は嫌悪感を感じるかもしれない。
後者の人間は、自分の発言を撤回すればそれで済むと思っている人間です。
簡単に問題から逃げられると思っている人間です。
そして、逃げてきた人間です。
自分自身と、しっかり向き合えていない人間です。
悲しい人間です・・・。

自分は失敗をすれば、真剣に悩み、苦しみます。
そして、次に繋げるための心構えを決めるのです。
なぜなら、その態度をもってしか、失敗は消えないと思っているからです。
いや、むしろ失敗は一生消えないものと言った方が良いのかもしれない。
でも、その失敗を通して、大切なものを手に入れられることだってあります。
それを手に入れられるかは、その時の自分の態度次第なのです。

・・・何が言いたいのだか良くわからないでしょうけど、
このことは日記に記しておこうと思いました。
これはあくまで「いのまっさんの日記」なので、どうかご了承くださいませ