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共産主義の行方

2021-04-22 10:54:27 | 日記
共産主義革命は、資本主義が国家資本を巻き込む国家独占資本主義を経て最終段階を迎えた資本主義が階級闘争を先鋭化しプロレタリア革命が蜂起するはずであした。そして資本主義は終焉を迎え共産主義へと移行するはずでした。その頃、ふっと疑問に感じたのは、先進国家には革命が起きていないということでした。その疑問は、今になって、マルクス主義哲学には同調できても、マルクス経済学には、疑問を感じます。
確かに、〝フォイエルバッハ論“、〝ヘーゲル哲学批判”から始まった史的唯物論は今も生き生きと存在するのに比較して、剰余価値学説、再生産理論、労働価値学説等は色あせて見えるような気がします。
けれど、1960年台~70年台の共産主義活動家にとって、共産主義とは、何だったのかと、振り返る日々が多くなりました。カストロ兄弟、ゲバラが起こしたキューバ革命や、チリのアジェンデ政権以外は
労働者を豊かにするという理念は打ち捨てられ官僚主義に陥った正にファッシズムを見ます(僅かな情報による独善的な見解かもしれませんが)。
習近平、金正恩、プーチンの姿に、ヒットラー、ムッソリーニが重なります。
中国の社会体制も、ロシアもその体制を、マルクス・エンゲルスが「ゴータ綱領批判」で言ったプロレタリア独裁とは少し違うような気がしました。
マルクス・エンゲルスには共感したもののレーニンの「帝国主義論」を読んだ時、訳の分からない違和感を感じました。まだ幼い共産主義活動家ですから「少し違うな」と感じながらもそれが何なのか解明できませんでした。
スターリンの言う「一国共産主義」か、世界共産主義か
それは、レーニンの「帝国主義論」で言う『資本主義の最高の段階としての帝国主義(帝国主義論)』と特にそれを顕著に感じたのは、トロツキーとスターリンの論争からです。
一国社会主義と世界共産主義、いまだに解のない所で留まっているのですが、一つに解として私が信じるのは、階級社会からのプロレタリアートの解放です。そこには平等があり、豊かさが近づいてくるように見えました、
共産主義は1960年の活動家にとって、ユートピアでした。
当時の、ソ連も、金日成率いる北朝鮮も日本の貧しい労働者にとって夢の国でした。
しかし今、中国やロシアの社会体制を見て、共産主義を選択する先進国はどこにもありません。
日本においても、プロレタリア革命を起こそうとする貧しい労働者はほんの一部となり、革命はもう起きません。
いわゆる、ケインズの大きな政府の勝利です。
ですが、何時か「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」社会体制政が来ることを信じます。
私たちが、求めた「共産主義」は決してやって来ることないユートピアだったのだろうかと嘆くのは私一人でしょうか。
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