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ひとのこ通信

「ひとのこ通信」のブログ版です。

ひとのこコラム 『チェルノブイリの祈り 未来の物語』

2016年04月28日 | 日記

チェルノブイリ原発事故から30年

 4月26日に、チェルノブイリ原発事故(1986年)から30年を迎えました。30年という節目を迎えるいま、私自身改めてチェルノブイリの事故について、またチェルノブイリの現在について、理解を深めたいと思っています。

 この度はご紹介するのは、ベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチ氏の『チェルノブイリの祈り』です。昨年ノーベル文学賞を受賞したこともあり、すでにお読みになった方もいらっしゃることと思います。

スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り 未来の物語』(松本妙子訳、岩波現代文庫、2011年)

 本書には、チェルノブイリ原発事故という未曽有の経験をした人々の「声」が収められています。訳者解説によると、アレクシエービッチ氏は本書を執筆するにあたり、300名もの人々と対話を行ったそうです。アレクシエービッチ氏が聴き取りを行わなければ、誰にも聴き取られることもなかったかもしれない、たくさんの人々の「声」が収められています。

 

伝える言葉が見つからない

 原著が出版されたのは、1996年です。チェルノブイリ原発事故から10年後ということになります。

 10年経ってもなお、人々は事故の衝撃のただ中に置かれ続けていることが伝わってきます。本書にはアレクシエービッチ氏の次のような文章があります。

《取材をした人々から同じ告白を聞くことがたびたびありました。「私が見たことや体験したことを伝えることばがみつからない」「こんなことはどんな本でも読んだことがない、映画でもみたことがない」「こんなことは前にだれからも聞いたことがない」。…なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない》(31頁)。

 人類が経験したことない原発事故という未曽有の出来事に立ち会ったチェルノブイリの人々。10年経ってもなお、言葉にできないことがたくさんあるのだということが分かります。しかしそれでもなお、人々は聴き手であるアレクシエービッチ氏を前に、懸命に言葉を探し、自らの真実を語ってゆきます。

 

「個人の真実」が結び合わさって

 『チェルノブイリの祈り』に刻印されているのは、一人ひとりの固有の「声」です。本書には、一人ひとりの人間の「声」、そしてその人が確かに生きた「生の記憶」が刻まれています。

 事故を経験した一人ひとりに、固有の人生があります。語られる苦悩もその人固有のものであり、一般化することはできないものです。

 これら証言には思い込みも含まれているし、事実とは食い違っている部分もあるかもしれません。しかしそれらを含めて、語られていることはその人が事実として経験した事柄です。その意味で、本書に刻まれているのは、客観的な「事実」を超えた、個々人の「真実」であるということができます。

 この個々人の「真実」が結び合わさって初めて、チェルノブイリの全体像が浮かび上がってくるということがあるのでしょう。私も本書を読んでようやく、チェルノブイリで「一体何が起きたのか」、その全貌の一端を理解することが出来始めたような気がしました。この事故によって、直接的にまたは間接的に、どれほどの人の命と尊厳が奪われ、傷つけられ続けてきたのか。個々人の「声」の総体から浮かび上がってくる事故の規模の大きさに、私は圧倒され続けました。

 この「真実」は、科学的なレポートや統計からは決して浮かび上がってくることはないものです。たとえば私たちはインターネットで検索すれば、チェルノブイリに関してさまざまな情報を得ることができます。しかし、それら情報をどれほど収集しても、チェルノブイリで「一体、本当に何が起きたのか」を十全には理解することはできないでしょう。それらデータからは、個々人の「声」が捨象されているからです。

 先日、朝日新聞にアレクシエービッチ氏のインタビューが掲載されていました(4月15日付)。「なぜ一般の民の声にこだわるのですか」という問いに対し、アレクシエービッチ氏は次のように答えています。

《それは『個人の真実』とでも言いましょうか。私が愛するドストエフスキーの作品と同様、それぞれの登場人物が自分の真実を語ります。私も、加害者、被害者、共産主義者、民主主義者などすべてに言葉を与え、それぞれが自らの真実を語るのです。これらの『個人の真実』が集まって、時代の姿が作り出される。一人の主人公がすべてを知っているような設定は、もはやできないのです》。

 アレクシエービッチ氏は無名の人々の「個人の真実」を結び合わることにより、事故の全体像と、そしてその時代、その歴史をも浮かびあがらせることに成功しています。

 朝日新聞の記事において、氏は次のようにも語っています。《私は決してインタビューはしません。人々に寄り添い、ただ生活について会話するのです。あらゆる声がシンフォニーのように響く、新しい形の長編小説です。ある人は5ページの語り。ある人は3、4行だけ。でも、これはとても重要です》。

 『チェルノブイリの祈り』には個々人の「声」が刻印されていますが、単なるインタビュー集ではありません。アレクシエービッチ氏自身が語るように、「個人の真実」がシンフォニーのように響きあっている一つの文学作品です。語られたことをそのまま文字に起こしただけではすぐれた文学作品とはなり得ないでしょう。アレクシエービッチ氏という誠実な聴き手・受け取り手を通してこそ、無数の証言は「個人の真実」を告げる「声」として、新しく私たちに響いてくるのだと思います。

 

放射能の悲惨さと、人間の尊厳と

 広河隆一氏は、本書においては悲惨さの中でも失われない「人間の尊厳」が語られている、と述べています。《放射能はもっとも悲惨な形で人間を死に向かわせる。驚いたことにこの過程で、リュドミーラの話す言葉、アレクシエービッチの書き記した言葉は光を放つ。もっとも非人間的な時間の描写で見えてくるのが、驚くべきことに人間の尊厳なのだ》(解説、308‐309頁)。ここに、『チェルノブイリの祈り』という作品の最大の価値があるのだと私は受け止めています。

 福島の原発事故から、5年を迎えました。朝日新聞の記事には《福島についても、『チェルノブイリの祈り』のような本は書かれているでしょうか》というアレクシエービッチ氏の問いかけも記されていました。原発事故から5年を迎えたいま、私たちは私たちの「福島の祈り」を何らかのかたちで生み出してゆかねばならないと思わされています。     (道)        

 


お知らせ ~会津放射能情報センターHP~

2016年04月22日 | 日記

 熊本地震から1週間が経ちました。いまだ断続的に大きな余震が続いています。どうぞ九州の方々の命と安全とが守られますようにと祈ります。必要な支援が行き渡りますように。

 この度の地震を受け、日本にはいかに数多くの断層帯があるかを改めて思い知らされた気がいたします。大規模な災害が発生する可能性を踏まえ、常日ごろから備えをしてゆかねばならないことを改めて痛感させられました。

 断層は全国に2000以上もあるということですが(現在分かっている範囲で)、たとえば、私が住む岩手内陸にも北上低地西縁断層帯という活断層帯があります。30年以内に発生する可能性はゼロに近いようですが、もしこの断層が活動したら、マグニチュード7.8程度の地震が発生する可能性が指摘されています。いつ大地が揺れ動くか分からない、そのような不安定な大地の上で私たち日本に住む者は昔から生きてきたのですね。だからこそ私たちは過去の歴史に学び、もしもの時のために細心の注意を払っていることが求められているのでしょう。

  私たちの社会のあり方を見つめ直してみた時、変わるべき部分はさまざまに見出すことができるように思います。たとえば、原子力発電所は、2000以上の活断層があるこの国で、稼働してゆくにはやはり無理があると思わざるを得ません。福島の原発事故の悲劇から私たちが学ぶべき最大のことは、「もう二度と絶対にこのようなことをくり返してはならない」ということです。原発事故に、2度目はあり得ません。「万が一」にでも事故が起こる可能性があるのなら、原発は決して動かしてはならないものです。

 地震によって社会が揺れ動く中、私たちはいま、変わるべきところは変わってゆくことが求められているように思います。私たちはいま、「生命と尊厳をこそ第一とする」在り方へ変わってゆくことが求められています。

 

本日はお知らせです。

会津放射能情報センター(放射能から子どものいのちを守る会)」のホームページがリニューアルされました。

 

福島の原発事故以後、「放射能から子どもたちのいのちを守りたい」という願いのもと、活動されている団体です。リニューアルに際して、この「ひとのこ通信」のブログもリンクに加えてくださいました。

どうぞHPをご覧いただき、ご一緒に会津放射能情報センターのお働きを支えていただけると幸いです。

 


~お知らせ~

2016年04月10日 | 日記

諸事情により間が空いてしまいましたが、久しぶりの更新です。

前回の更新から、またさまざまなことがありました。

自分が考えていること、感じていることを、また少しずつ通信として発信してゆけたらと思います。

 

この度は、映画上映会のお知らせです。

映画の上映のお手伝いをさせていただくことになりました。

 

三上智恵監督『戦場ぬ止み(いくさばぬ とぅどぅみ)

《2014年8月14日辺野古沖は「包囲」された。沖縄は再び戦場(いくさば)になった――。》

 ◎『戦場ぬ止み』公式サイト

 

前作『標的の村』に引き続き、沖縄で現在起こっていることが記録されたドキュメンタリー映画です。

チケットもお預かりしていますので、ご希望の方は私までお知らせください。

盛岡近郊の方は、ぜひ観に来ていただけたら嬉しいです。

 

6月4日(土)ふれあいランド岩手(ふれあいホール)

(岩手県盛岡市三本柳8-1−3)

上映時間:129分

1回目 14:00~ /2回目 18:00~

大人500円(当日600円)

高校生以下無料

主催:「戦場ぬ止み」上映実行委員会

 


ひとのこコラム 高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』

2016年01月29日 | 日記

 2016年が始まり1か月が経ちました。皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年1年もどうぞよろしくお願いいたします。本日は、最近読んだ本についてご紹介したいと思います。

 

ひとのこコラム 高橋哲哉『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』

 

 「県外移設」とは

 年の初めに読んで以来、ずっと考えさせられ続けている本が高橋哲哉氏著の『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)です。哲学者の高橋哲哉氏が沖縄の米軍基地について自身の考察を述べたものです。書名のサブタイトルにありますように、「県外移設」に焦点を当てて考察がなされています。

 

 ここでの「県外移設」とは、沖縄の「県外」に米軍基地を移設するということですが、「国外」に移設するということは含まれていません。本書の「県外移設」は、米軍基地を沖縄から『本土』※に「引き受ける」ということを意味しています。高橋氏は本書において一貫して、「県外移設」の必要性を主張しています。現在、沖縄に不平等なかたち(0.6%の土地に74%の米軍基地があります)で押し付けている基地を、「本土」が責任をもって「引き取る」べきだという主張です(※「本土」という語は「植民地主義的」考えに基づく表現で、問題を含む語です。本稿では沖縄県以外の地域を、カッコ付きで『本土』と記しています)

 翁長現知事もこれまで、一貫して県外移設を要求しています。本書は、沖縄からの県外移設要求に対する、「本土」からの「応答」という意味合いをもっています。昨年の6月に出版されてから、本書は沖縄では大きな議論を呼んでいるそうですが、「本土」においてはいまだほとんど本格的な議論には至っていません。

 

「平和」問題ではなく、「差別」問題として

 高橋哲哉氏は震災後に出版された『犠牲のシステム 福島・沖縄(集英社新書、2012年)において、福島の原発の問題と共に、沖縄の基地問題をすでに取り上げています。前著では「県外移設」はその妥当性を示唆するにとどまっていましたが、本書ではそれが主題として展開されています。

 高橋氏は前著で、私たちの社会に内在する「構造的な差別」を《犠牲のシステム》と呼んでいました。私たちの社会には、一部の人々の犠牲によって他の人々の利益が維持されているという《犠牲のシステム》がある。3・11を機に、私たちの社会に内在するそれら病理が可視化された。その端的な例が福島の原発であり、沖縄の米軍基地であると高橋氏は述べています。

 この《犠牲のシステム》という視点から基地問題を問い直してゆくと、「県外移設」という判断に至るのは高橋氏においては当然の帰結であったことでしょう。犠牲を一部の人々・地域に押し付け続けるという「構造的な差別」を解消するためには、全国で「平等に負担する」という判断に至るのは当然のことであるからです。論理的に当然の帰結であると同時に、それは大きな決意を伴うものであったことと思います。覚悟をもって高橋氏は本書を記しているであろうことを感じました。

 高橋氏は代表的な県外移設論者である野村浩也氏の『無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人』(2005年)や、知念ウシ氏の『シランフーナー(知らんふり)の暴力 知念ウシ政治発言集』(2013年)などの著書を繰り返し参照しています。これら著書が問いかける内容は、「本土」で生活する私たちにとって「耳の痛い」話です。私たち「本土」の人間の姿勢の根幹には、沖縄に対する「差別」、意識的・無意識的な「植民地主義」が横たわっていることが指摘されているからです。もちろん、多くの人々にとって「自分が沖縄を差別している」という意識はないことでしょう。しかしその差別とは、私たちが意識する・しないに関わらず、私たちが「本土」の人間が沖縄の米軍基地に無知または無関心でいる限り生じてしまっている「構造的な差別」であるのです。

 本書はその「構造的な差別」を問題としています。安保を廃棄し基地を撤廃させるという「平和」問題ももちろん重要ですが、その目標と同時進行で――言い換えるとより喫緊の課題として、沖縄の人々に今現に強いている「差別」的扱いを止めるべきことが訴えられているのが本書です。

 

従来の反戦平和運動・護憲運動に対する問いかけ

 これまでの反戦平和運動が第一の命題としてきたのは、「安保廃棄」であり「全基地の撤廃」でした。しかしその懸命なる努力にも関わらず、沖縄の基地問題は解決されることなく、数十年が経過してしまいました。解決されることなく今日にまで来てしまったのは、一体どこに問題があったのでしょうか。

 本書を読んで気が付かされることは、沖縄の基地問題が今まで解決されてこなかったのは、その本質に「差別」の問題があったからではないか、ということです。日本政府の姿勢の根幹に、また私たち「本土」の国民の意識の根幹に、沖縄に対する「差別」がある。意識的・無意識的なその「差別」の構造に気が付かない限り、沖縄への基地の「押し付け」という問題は解決しないのではないか。

 高橋氏は、「基地は沖縄にも本土にもいらない」という従来の反戦平和運動の主張が、「沖縄からの基地の県外移設を拒否する」論理になってきたことを率直に指摘しています(本書第3章参照)。「安保廃棄・基地即時撤去」と唱え続けることが、むしろ県外移設に「反対する」立場に人々を立たせていたという現実。これまでの運動は今根本的な見直しを求められていると高橋氏は述べています。

 反戦平和運動が主張する「安保廃棄、全基地撤去」という約束は、何十年経っても果たされていない。今後もしそれが実現するとして、奇跡的に早く進んでも、それは数十年はかかるであろう(ダグラス・ラミス氏の指摘。本書101頁参照)。沖縄の人々からすると、「いつまで待たせるのか」、「もう待てない」というのが率直な想いなのではないか(と高橋氏は受け止めています)。

 また沖縄という地は、「反戦平和」のためにあるのではない。《沖縄の人びとは、二度と沖縄戦のような悲惨な戦場にされないために、生き延びるために、基地のない沖縄でただ平穏な生活を送りたいために、自分たちを脅かすものに対してやむを得ず抗議の声を上げているのである(109頁)

「安保解消」を主張する人々は、基地を沖縄に置いたまままでそれをするのではなく、「本土」に引き取った上で、それを目指すべきだというのが本書の主張です。それが「本土」に住む私たちの責任である。でないと、「本土」の私たちは結果的に沖縄に依存し続けることになってしまうのではないか。

 高橋氏の批判的な問いかけは、これまでの護憲運動にも向けられています。憲法九条が日米安保条約と「セット」で存在してきたことはすでに自明の事実となっています。そして憲法九条と日米安保体制は、沖縄を「犠牲」にすることによって成り立って来たものです。高橋氏は、沖縄の基地問題に関して言えば、「憲法九条を守り続けるだけではまったく解決に至らない」のだということを率直に指摘しています(23頁)

 高橋氏自身も立場としては護憲であるし、日米安保体制もやがて解消されるべきという考えをもっています。不条理な日米地位協定を解消し、日本からの米軍基地の撤廃を目指して私たちは、取り組んでゆかねばならない。それが目標であることは橋氏にとっても変わりはありません。

 ただし、それら基地撤廃に向けての「長期的な」取組みと、県外移設とは両立し得るのだというのが高橋氏の考えです。安保解消に向けてのいわば「段階的な」取り組みとして、県外移設は必要である。

 私なりに整理すると、「安保解消・全基地撤廃」は長期的な「平和」の問題を問うており、「県外移設」は「差別」の問題を問うている、ということになります。その二つは両立し得るのであるし、まず「差別」問題に取り組むことこそが喫緊の課題であるというのが高橋氏の主張ということになるでしょう。沖縄への基地の押し付けを「現状維持」させているのは「本土」の人間による沖縄への「差別」であるからです。本書が問題にしているのは、将来的な「平和」の実現ではなく、その前段階としての、今現にそこにある沖縄の人々への「差別」(人権侵害)の解消です。

 

「本土」の国民の責任の所在

 現在、圧倒的多数の「本土」の国民は、現在の日米安保体制を支持しているそうです(『朝日新聞』の世論調査では約8割が支持。本書84頁参照)。であるとすると、沖縄にある米軍基地は本来、「本土」の責任において引き受けるべきものであると高橋氏は述べます。「本土」の国民こそが、日米安保体制の当事者なのです。しかし「本土」はその責任を自覚していないし、果たしていない。「本土」の国民の多くは、沖縄に強いる「犠牲」には無自覚なまま、その利益だけを享受しているというのが現状です。県外移設の実現を拒んでいるのは、他ならぬ「本土」の私たち国民自身なのではないかとは高橋氏は問いかけます。

「県外移設」という問題を「本土」で受け止めることによって初めて、国民のうちに当事者意識も生まれるのではないか。日米安保体制を、その負担とリスクを含めて、本格的に議論できるようになるのではないかと高橋氏は述べています。氏は本書において、「本土」の国民の責任の所在をはっきりと問うています。

 実際、いまだ小規模ではありますが、沖縄の米軍基地の「引き取り」運動が市民の中から生まれてきているそうです。たとえば大阪では市民によって「引き取る行動・大阪(沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動)」が立ち上げられ、福岡では「FIRBO(本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会)」が立ち上げられています。

 

県外移設は「犠牲の移転」か?

 以上述べてきた「県外移設」という選択肢について、それは犠牲を沖縄から「本土」に移すだけで《犠牲のシステム》の解消にはならないのではないかという意見があります。その意見に対し、高橋氏はあらかじめ本書において反論を試みています(119‐125頁)県外移設はあくまで今まで沖縄に負担を押し付けていたものの「引き取り」であり、「犠牲の移転」ではない、というのが高橋氏の捉え方です。《「本土」の国民にとって米軍基地負担は、自らの政治的選択の結果として、本来引き受けるべき責任と言うべきものではなかろうか。もしも県外移設によって米軍が沖縄から「本土」に移転し、それによって耐え難い犠牲を生じるというのであれば、それは「本土」は自らの責任で除去すべきものではないのか(120頁)

  高橋氏のこれら論理はまっとうであると同時に、或る「厳しさ」を含むものです。基地を「引き取る」ということが実現したとしたら、その地域の人々はもはや、今までどおりの生活をすることはできなくなるでしょう。基地が間近に存在する負担とリスクを日々引き受けて生活をしなければならなくなるでしょう。その時初めて、今までいかに自分たちが沖縄の人々に負担を強いていたかを身をもって理解するということは、確かにあるでしょう。また、高橋氏の言うように、沖縄の人々に今まで敷いてきた圧倒的負担に比べれば、「本土」が全国で引き受けるそれら負担は「犠牲」とは呼べないほど軽微なものであるのかもしれません。しかし、県外移設によって、新たに負担が強いられる人々が生じるというのもまた確かなことです。

 私はこれら高橋氏の考え方の中に、「自己処罰」のニュアンスを感じています。ここでの「処罰」とは、あくまで、高橋氏自身を含めた「本土」の人間が自身に課す「処罰」であるわけですが、果たして私たちはその「自己処罰」を他者に強要できるでしょうか。たとえば、自分の住む花巻市で米軍基地を「引き受ける」運動をしたとして、私自身は移設に「賛成」であるとしても、その意思のない近隣の人々に強要することが果たしてできるでしょうか。

 また、全国で平等に基地を「引き取る」と言っても、基地に隣接する地域とそうではない地域には不平等が必ず生じます。米軍基地を全国で引き取るとしても、そこに完全な「公平さ」を実現するというのは難しいことでしょう。

 そもそも、「県外移設」だけが唯一の選択肢なのでしょうか。いまだ私自身も、はっきりとした答えが出ていません。

 

「現状維持」からの脱却

 私自身、本書の提示する問いの前で、いまだ考え続けている状態ですが、一つ言えることは、私たちはこれからこの「県外移設」の議論を避けて通れないし、大々的に問い続けてゆかねばならないということです。少なくとも、私たちは「現状維持」に甘んじている状態からは脱却するべきでしょう。私たちがこれからどのような選択をするにしても、沖縄の人々に対して「差別者」であり続けることをやめる決意をせねばなりません。現在の社会の構造を根本から見直し、私たち自身が「変わってゆく」ことが求められています。その際、何らかの痛みは伴わざるを得ないのかもしれません。

 喫緊の問題として、私たちの目の前には辺野古への新基地建設の問題があります。最後に、辺野古問題についての高橋氏の意見を紹介して終わります。皆さんはどうお考えになるでしょうか。

《「本土」の私たちは、日米安保条約を即刻終了させるという見通しが立たないならば、辺野古の工事の即時中止を要求するだけでなく、「では普天間を固定化するのか」という脅しに対して、「県外移設」の選択肢を提示すること、政府に「県外移設」の可能性を徹底的に追求するよう要求することをもって、応えるべきだ》(『ポリタス』「特集:沖縄・辺野古――わたしたちと基地問題」、高橋哲哉氏の論考『「本土」のわたしたちは「県外移設」を受け入れるべきだ』、2015年6月30日 より)

 


ひとのこコラム ~鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

2015年12月30日 | 日記

 2015年ももうすぐ終わろうとしています。今年は、一月に起こったISによる日本人人質事件の衝撃から年が明けました。世界中を恐れ、悲しみが駆け巡った一年であったように思います。私たちの社会にはいま、課題が山積みの状態ですが、一つひとつの課題に落ち着いて取り組んでゆくほか、現状をより良くしてゆく道はないのでしょう。来年は少しでも、恐れや悲しみがやわらぐ年になりますように願います。

 

 ひとのこコラム ~鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

 

 鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

 先日の11月21日(土)に、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画『小さき声のカノン――選択する人々』の上映・監督講演を盛岡と紫波で行いました。私と妻も、実行委員として参加いたしました。

 

『小さき声のカノン』 2014年/119分 ©ぶんぶんフィルムズ

 

 『小さき声のカノン』は原発事故以後、「子どもたちを被ばくから守りたい」という願いのもとで撮られた作品です。鎌仲ひとみ監督は原発事故が起こる以前から、〝核をめぐる三部作〟として『ヒバクシャ』、『六ヶ所村ラプソディー』、『ミツバチの羽音と地球の回転』を発表してこられました。

 『小さき声のカノン』に登場するのは子どもたちを放射能の影響から懸命に守ろうとするお母さんたちです。悩みながら、時に涙を流しながら、しかし希望を失うことなく、子どもたちを守る道を模索する人々の姿が描かれてゆきます。

 福島にとどまりつつ、子どもたちを守る道を模索しているお母さんたち。また、子どもたちを守るために福島から自主避難することを決意するお母さんたち。どのような「選択」をするかを人それぞれですが、共通しているのは、映画に登場する人々が「子どもたちを守るために、自分にできることを始めている」点です。これからどう生きてゆくかを自分の意思によって選択し(それは国が何もしてくれないから、ということでもありますが)、その道を、勇気をもって歩み始めてゆく人々の姿がここにはあります。

 また映画の中では、チェルノブイリ原発事故(1986年)を経験したベラルーシの人々の現在が描かれてゆきます。ベラルーシにおいてなされている子どもたちを被ばくから守る取り組みが取材されています。

 鎌仲監督はこの作品を通して「子どもたちを被ばくから守りたい」という願いのみならず、実際に「子どもたちを被ばくから守ることができる」のだということを伝えています。

《…今回の『小さきの声のカノン』をどうしても作らなくてはならない、と私を突き動かしたもの。それは「子どもたちを被ばくから守ることができる」ことを伝えたい、という抜き差しならぬ思いです》(『小さき声のカノン』パンフレットより

 では子どもたちを被ばくから守る具体的な方法とは何か。その重要な方法の一つとして示されているのが「保養」です。

 

「保養」の重要性 ~ベラルーシの取組み

 「保養」とは、子どもたちが、放射能の影響が少ない地域で、一定期間過ごすプログラムのことを言います。心身をリラックスするのみならず、「子どもたちの被ばくを軽減し、体内の放射性物質を下げる」ことを目的としています。

 チェルノブイリ事故後、子どもたちにとって保養が有効であるということが分かり始めてきました。体内の放射性物質を排出するために必要な期間は、最低「21日」と言われています。21日間保養することにより、内部被ばくの数値が2分の1以下になることが実証されています。

 映画の中では、チェルノブイリ事故により甚大な被害を受けたベラルーシにおいて、現在子どもたちにどのような保養プログラムを実施しているのかが紹介されています。日本と大きく異なっている点は、ベラルーシでは保養プログラムを「国の政策として」行っているというところです。

《子どもたちは汚染されていない地域で、安心な食べ物を食べてゆったり過ごしてリフレッシュします。慢性の病気を持っている子どもたちは、サナトリウムで療養することができます。国営の施設は以前は無料で使用できましたが、ベラルーシの経済状態が悪いため、最近は有料のところも増えてきました。けれども、汚染地区に住んでいる子どもたちの保養にかかる費用は今も国が負担していますし、内部被ばく検査で特に高い値が出てしまった子どもだけが優先して行ける無料の保養施設もあります。それ以外の場合の、保養にかかる費用は、多くの海外のNGOの支援などによってなりたっています(『小さき声のカノン』パンフレットより)

 ベラルーシでは汚染地区に住んでいる子どもたちは毎年一か月の保養に出かけます。ベラルーシ全体で、年間4万5000人の子どもたちが国費で保養を受けているそうです。

 小児科医であり、慈善団体「チェルノブイリの子供を救おう」代表のヴァレンチナ・スモルニコワさんは、映画の中で「保養により、体内の放射性物質はゼロにはならないけれど、確かに少なくなる。そうすれば病気になるリスクはずっと少なくなる」のだと語っています。《私たちの任務は数値をできるだけ下げることです。そうすれば病気になるリスクはずっと少なくなるんです》(『小さき声のカノン』パンフレットより)

 チェルノブイリでは事故から29年がたとうとする今も、ベラルーシの人々はさまざまな健康被害に悩まされています。甲状腺ガンの増加の他だけではなく(チェルノブイリでは事故の5年目に甲状腺ガンが一気に増加しました)、放射能との因果関係ははっきりと証明されていないものの、さまざまな体の不調が表れています。白血病や消化器系、生殖器系、呼吸器系のがんの増加や、低出生体重児、先天性の異常の増加なども報告されています。可能性として考えられる要因の一つは、低線量の汚染地に長期間生活していることによる健康被害です。

 それら病気の他にも、はっきりとは病名がつかない体調不良も報告されています。免疫機能の低下、抵抗力の低下などです。ベラルーシでは異常な疲れやすさ、風邪の引きやすさ・治りにくさ、貧血の増加などの症状が見られるそうです。これら原因不明の不調は「チェルノブイリ・エイズ」とも呼ばれることがあります(医学的な正式な名称ではありません)。エイズのように抵抗力が落ちる症状が見られるからです。学校によっては、子どもたちの体力が低下していることにより、授業時間を短縮する場合があるそうです。

 このように慢性的な免疫機能低下の疾患を抱えている子どもたちにとって、とりわけ「保養」が重要となります。保養に出ると、元気がなかった子どもたちも再び元気を取り戻してゆくそうです。体内の放射性物質の数値も、実際に下がってゆきます。ゼロにはならないとしても、保養を通して数値をできるだけ下げることによって、発病するリスクを下げることができるのです。

 

日本の取組みの現状

 私自身、この度『小さき声のカノン』を通して、保養が子どもたちにとってどれほど重要であるかを初めて知りました。原発事故後に生きる私たちは緊急に保養についての認識を深め、またそれを多くの人々と共有してゆかねばならないと痛感しています。

 残念ながら日本ではいまだ保養活動を広がっているとは言い難い現状があります。国が放射能の対策に関して消極的な態度を取り続けているからです。よって民間団体が自主的に保養の拠り組みを行っているという状態です。民間の活動であるので、必要な21日という期間を確保するのもなかなか難しいということがあります。

 映画の中では、日本における保養の取組みも紹介されています。「NPO法人チェルノブイリへのかけはし」の取り組みです。2010年まではベラルーシから保養に来た子どもたちを受け入れてきましたが、原発事故後は、関東圏の子どもたちを対象に保養の取組みを再開したそうです。

 代表の野呂美加さんは「子どもには潜在的な自然治癒力がある」と語ります。「被ばくして終わりではなくて、子どもには潜在的な自然治癒力、未来を体験したいというエネルギーがある」。

 と同時に、このように保養の取組みをし子どもたちの体の中から放射能を出すことがいかに大変な努力が必要とすることかも、映画を通して伝わってきます。

 

自主上映・監督講演会

 この度の『小さき声のカノン』の自主上映会では監督講演も鎌仲ひとみ監督にお願いしていました。当日のお昼前に監督が盛岡駅に到着、私が車でお迎えに行きました。鎌仲監督はとても気さくに、移動中や昼食の際も、さまざまなお話をしてくださいました。

 午前中の一回目上映の後、監督講演をお願いしました。90分という長時間でお願いしていましたが、スライドを用いながら、熱心にお話をしてくださいました。その後二回目の上映、そして会場を移して紫波町の認定こども園ひかりの子にて三回目の上映会を行いました。当初の予定にはなかったにも関わらず、監督は紫波町での三回目の上映まで同行してくださいました。

 また合間の時間に精力的にサイン会を開いてくださり、並んだ一人ひとりに、丁寧にあいさつをしてくださいました。私もパンフレットにサインをしていただきましたが、サインに付されたハート形のスマイル・マークと「心つなげて!」という一文に監督の想いを感じました。かき消されそうな「小さな声」に互いに耳を澄ましあい、またその声を結び合わせてゆきたいと願います。

 

『小さき声のカノン』は現在全国で自主上映会が行われていますが、岩手ではこれが初めての上映でした。このコラムを読んでくださっている皆さんも、お近くで上映会が企画されていたら、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

お忙しい中、遠方の岩手まで来てくださり、出会った一人ひとりに心をこめて接して下さった鎌仲監督に心より感謝申し上げます。

 

 自暴自棄にならずにいかに生きてゆくか

 控室で鎌仲監督と昼食をいただいているとき、「福島で生活する若者たちは自暴自棄にならざるを得ないような状況にある」とポツリとおっしゃいました。言い換えれば、若い人々のうちに「怨念」のような想いが生じ始めている。それは、人としての尊厳を傷つけられ続けていることからくる怨念でしょう。監督の一言は私の心に残り続けています。震災以後、私たちが経験し続けているのはまさに尊厳がないがしろにされている状況です。このような状況の中で、それでも「自暴自棄にならないでいかに生きてゆくことができるか」。それが私たちにとって重要な課題であると改めて感じています。

 私たちの心のどこかに自暴自棄な投げやりな気持ちがあると、そもそも、放射能の危険性も「まあ、いいか」と思って受け流してしまうことになるかもしれません。一人ひとりが「自分を大切にする」姿勢をもってこそ、放射能の問題に向かい合い続けてゆくことができるのだと思います。私は牧師でありますが、子どもたちの内に自尊心を育むために、これから宗教にできることがあるのではないかと思っています。同様の役割は芸術にもあるでしょう。

「尊厳」への感受性を取戻し、育んでゆくという課題もまた、事故後を生きる私たちにとって喫緊の課題であるように思います。  (道)

 

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