ひとのこ通信

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ひとのこコラム ~鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

2015年12月30日 | 日記

 2015年ももうすぐ終わろうとしています。今年は、一月に起こったISによる日本人人質事件の衝撃から年が明けました。世界中を恐れ、悲しみが駆け巡った一年であったように思います。私たちの社会にはいま、課題が山積みの状態ですが、一つひとつの課題に落ち着いて取り組んでゆくほか、現状をより良くしてゆく道はないのでしょう。来年は少しでも、恐れや悲しみがやわらぐ年になりますように願います。

 

 ひとのこコラム ~鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

 

 鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン』

 先日の11月21日(土)に、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画『小さき声のカノン――選択する人々』の上映・監督講演を盛岡と紫波で行いました。私と妻も、実行委員として参加いたしました。

 

『小さき声のカノン』 2014年/119分 ©ぶんぶんフィルムズ

 

 『小さき声のカノン』は原発事故以後、「子どもたちを被ばくから守りたい」という願いのもとで撮られた作品です。鎌仲ひとみ監督は原発事故が起こる以前から、〝核をめぐる三部作〟として『ヒバクシャ』、『六ヶ所村ラプソディー』、『ミツバチの羽音と地球の回転』を発表してこられました。

 『小さき声のカノン』に登場するのは子どもたちを放射能の影響から懸命に守ろうとするお母さんたちです。悩みながら、時に涙を流しながら、しかし希望を失うことなく、子どもたちを守る道を模索する人々の姿が描かれてゆきます。

 福島にとどまりつつ、子どもたちを守る道を模索しているお母さんたち。また、子どもたちを守るために福島から自主避難することを決意するお母さんたち。どのような「選択」をするかを人それぞれですが、共通しているのは、映画に登場する人々が「子どもたちを守るために、自分にできることを始めている」点です。これからどう生きてゆくかを自分の意思によって選択し(それは国が何もしてくれないから、ということでもありますが)、その道を、勇気をもって歩み始めてゆく人々の姿がここにはあります。

 また映画の中では、チェルノブイリ原発事故(1986年)を経験したベラルーシの人々の現在が描かれてゆきます。ベラルーシにおいてなされている子どもたちを被ばくから守る取り組みが取材されています。

 鎌仲監督はこの作品を通して「子どもたちを被ばくから守りたい」という願いのみならず、実際に「子どもたちを被ばくから守ることができる」のだということを伝えています。

《…今回の『小さきの声のカノン』をどうしても作らなくてはならない、と私を突き動かしたもの。それは「子どもたちを被ばくから守ることができる」ことを伝えたい、という抜き差しならぬ思いです》(『小さき声のカノン』パンフレットより

 では子どもたちを被ばくから守る具体的な方法とは何か。その重要な方法の一つとして示されているのが「保養」です。

 

「保養」の重要性 ~ベラルーシの取組み

 「保養」とは、子どもたちが、放射能の影響が少ない地域で、一定期間過ごすプログラムのことを言います。心身をリラックスするのみならず、「子どもたちの被ばくを軽減し、体内の放射性物質を下げる」ことを目的としています。

 チェルノブイリ事故後、子どもたちにとって保養が有効であるということが分かり始めてきました。体内の放射性物質を排出するために必要な期間は、最低「21日」と言われています。21日間保養することにより、内部被ばくの数値が2分の1以下になることが実証されています。

 映画の中では、チェルノブイリ事故により甚大な被害を受けたベラルーシにおいて、現在子どもたちにどのような保養プログラムを実施しているのかが紹介されています。日本と大きく異なっている点は、ベラルーシでは保養プログラムを「国の政策として」行っているというところです。

《子どもたちは汚染されていない地域で、安心な食べ物を食べてゆったり過ごしてリフレッシュします。慢性の病気を持っている子どもたちは、サナトリウムで療養することができます。国営の施設は以前は無料で使用できましたが、ベラルーシの経済状態が悪いため、最近は有料のところも増えてきました。けれども、汚染地区に住んでいる子どもたちの保養にかかる費用は今も国が負担していますし、内部被ばく検査で特に高い値が出てしまった子どもだけが優先して行ける無料の保養施設もあります。それ以外の場合の、保養にかかる費用は、多くの海外のNGOの支援などによってなりたっています(『小さき声のカノン』パンフレットより)

 ベラルーシでは汚染地区に住んでいる子どもたちは毎年一か月の保養に出かけます。ベラルーシ全体で、年間4万5000人の子どもたちが国費で保養を受けているそうです。

 小児科医であり、慈善団体「チェルノブイリの子供を救おう」代表のヴァレンチナ・スモルニコワさんは、映画の中で「保養により、体内の放射性物質はゼロにはならないけれど、確かに少なくなる。そうすれば病気になるリスクはずっと少なくなる」のだと語っています。《私たちの任務は数値をできるだけ下げることです。そうすれば病気になるリスクはずっと少なくなるんです》(『小さき声のカノン』パンフレットより)

 チェルノブイリでは事故から29年がたとうとする今も、ベラルーシの人々はさまざまな健康被害に悩まされています。甲状腺ガンの増加の他だけではなく(チェルノブイリでは事故の5年目に甲状腺ガンが一気に増加しました)、放射能との因果関係ははっきりと証明されていないものの、さまざまな体の不調が表れています。白血病や消化器系、生殖器系、呼吸器系のがんの増加や、低出生体重児、先天性の異常の増加なども報告されています。可能性として考えられる要因の一つは、低線量の汚染地に長期間生活していることによる健康被害です。

 それら病気の他にも、はっきりとは病名がつかない体調不良も報告されています。免疫機能の低下、抵抗力の低下などです。ベラルーシでは異常な疲れやすさ、風邪の引きやすさ・治りにくさ、貧血の増加などの症状が見られるそうです。これら原因不明の不調は「チェルノブイリ・エイズ」とも呼ばれることがあります(医学的な正式な名称ではありません)。エイズのように抵抗力が落ちる症状が見られるからです。学校によっては、子どもたちの体力が低下していることにより、授業時間を短縮する場合があるそうです。

 このように慢性的な免疫機能低下の疾患を抱えている子どもたちにとって、とりわけ「保養」が重要となります。保養に出ると、元気がなかった子どもたちも再び元気を取り戻してゆくそうです。体内の放射性物質の数値も、実際に下がってゆきます。ゼロにはならないとしても、保養を通して数値をできるだけ下げることによって、発病するリスクを下げることができるのです。

 

日本の取組みの現状

 私自身、この度『小さき声のカノン』を通して、保養が子どもたちにとってどれほど重要であるかを初めて知りました。原発事故後に生きる私たちは緊急に保養についての認識を深め、またそれを多くの人々と共有してゆかねばならないと痛感しています。

 残念ながら日本ではいまだ保養活動を広がっているとは言い難い現状があります。国が放射能の対策に関して消極的な態度を取り続けているからです。よって民間団体が自主的に保養の拠り組みを行っているという状態です。民間の活動であるので、必要な21日という期間を確保するのもなかなか難しいということがあります。

 映画の中では、日本における保養の取組みも紹介されています。「NPO法人チェルノブイリへのかけはし」の取り組みです。2010年まではベラルーシから保養に来た子どもたちを受け入れてきましたが、原発事故後は、関東圏の子どもたちを対象に保養の取組みを再開したそうです。

 代表の野呂美加さんは「子どもには潜在的な自然治癒力がある」と語ります。「被ばくして終わりではなくて、子どもには潜在的な自然治癒力、未来を体験したいというエネルギーがある」。

 と同時に、このように保養の取組みをし子どもたちの体の中から放射能を出すことがいかに大変な努力が必要とすることかも、映画を通して伝わってきます。

 

自主上映・監督講演会

 この度の『小さき声のカノン』の自主上映会では監督講演も鎌仲ひとみ監督にお願いしていました。当日のお昼前に監督が盛岡駅に到着、私が車でお迎えに行きました。鎌仲監督はとても気さくに、移動中や昼食の際も、さまざまなお話をしてくださいました。

 午前中の一回目上映の後、監督講演をお願いしました。90分という長時間でお願いしていましたが、スライドを用いながら、熱心にお話をしてくださいました。その後二回目の上映、そして会場を移して紫波町の認定こども園ひかりの子にて三回目の上映会を行いました。当初の予定にはなかったにも関わらず、監督は紫波町での三回目の上映まで同行してくださいました。

 また合間の時間に精力的にサイン会を開いてくださり、並んだ一人ひとりに、丁寧にあいさつをしてくださいました。私もパンフレットにサインをしていただきましたが、サインに付されたハート形のスマイル・マークと「心つなげて!」という一文に監督の想いを感じました。かき消されそうな「小さな声」に互いに耳を澄ましあい、またその声を結び合わせてゆきたいと願います。

 

『小さき声のカノン』は現在全国で自主上映会が行われていますが、岩手ではこれが初めての上映でした。このコラムを読んでくださっている皆さんも、お近くで上映会が企画されていたら、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

お忙しい中、遠方の岩手まで来てくださり、出会った一人ひとりに心をこめて接して下さった鎌仲監督に心より感謝申し上げます。

 

 自暴自棄にならずにいかに生きてゆくか

 控室で鎌仲監督と昼食をいただいているとき、「福島で生活する若者たちは自暴自棄にならざるを得ないような状況にある」とポツリとおっしゃいました。言い換えれば、若い人々のうちに「怨念」のような想いが生じ始めている。それは、人としての尊厳を傷つけられ続けていることからくる怨念でしょう。監督の一言は私の心に残り続けています。震災以後、私たちが経験し続けているのはまさに尊厳がないがしろにされている状況です。このような状況の中で、それでも「自暴自棄にならないでいかに生きてゆくことができるか」。それが私たちにとって重要な課題であると改めて感じています。

 私たちの心のどこかに自暴自棄な投げやりな気持ちがあると、そもそも、放射能の危険性も「まあ、いいか」と思って受け流してしまうことになるかもしれません。一人ひとりが「自分を大切にする」姿勢をもってこそ、放射能の問題に向かい合い続けてゆくことができるのだと思います。私は牧師でありますが、子どもたちの内に自尊心を育むために、これから宗教にできることがあるのではないかと思っています。同様の役割は芸術にもあるでしょう。

「尊厳」への感受性を取戻し、育んでゆくという課題もまた、事故後を生きる私たちにとって喫緊の課題であるように思います。  (道)

 

◎『小さき声のカノン』の今後の上映のスケジュールはこちら