しばらく間が空いてしまいましたが、ひとのこ通信のコラムをお送りします。
11月14日のパリでの同時多発テロを受けて、緊迫した状態が続いています。フランスを始め、国際社会は空爆の強化へと舵を切りました。有志連合軍による空爆が当たり前のようにニュースで報じられていますが、冷静に考えると、異常な事態です。それら空爆を受けて、シリアではすでに、子どもを含む多数の民間人の死者が出ているとの報告があります。報復の連鎖を断ち切らない限り、さらに今後の状況は悪化してゆくでしょう。大変な状況の中ではありますが、私たちは自暴自棄になってしまうことなく、自分に出来ることを行ってゆくほかありません。絶望することなく、一歩一歩、共に歩みましょう。
ひとのこコラム 福島への現地研修
福島へ
先日の11月12日(木)から13日(金)にかけて、岩手の牧師会のメンバーで、福島へ現地研修に行ってきました。原発事故から4年8か月が経過しましたが、いまの福島の現状を自分たちの目で見、また現地の方々からお話を伺うための研修です。
出発の12日の朝、下ノ橋教会の松浦先生と日詰教会の井上先生が、朝5時前(!)に花巻まで迎えに来てくださいました。
井上先生が持参してくださった測定器で車内の空間放射線量の推移を確認しながら、福島の郡山市まで向かいました。車内での計測の場合、放射線量は7割ほどカットされるそうですが、花巻から高速に乗った時点での空間放射線量は0.03マイクロシーベルト/時でした。福島に近づくにつれ徐々に上昇してゆきました。同じ地域でも、場所によって線量には相違があります。郡山市内のある場所では、車内で0.36マイクロシーベルト/時ありました。場所によっては、放射線量はやはり高いということが分かります。
白水のぞみ保育園訪問
郡山駅で水沢教会の山下先生と一関教会の高橋先生と合流し、いわき市へ向かいました。白水のぞみ保育園を訪問するためです。
白水のぞみ保育園は日本キリスト教団常磐教会の関連施設です。園がある近辺は比較的線量が低く、通常は0.07~0.09マイクロシーベルト/時ほどの線量です。けれども、原発事故直後はすさまじい濃度の放射性ヨウ素やセシウムが園に降り注ぎ、事故後一年間は外遊びが出来ない状態が続いたそうです。除染に関しては行政が対応してくれないので、職員や保護者の有志で自主的に、園内の除染作業を行ってきたそうです。
園長であり常磐教会の牧師である明石義信先生が赴任した2012年から、少しずつ外遊びを増やし始めていったそうです。現在、園の庭には「竹の公園」と呼ばれる大きな竹のピラミッド型の遊具があります。
原発事故後、ボランティアや地域の方々を含め200名以上もの方々の協力を得て作られたものだそうです。子どもたちは初めは怖がっていましたが、だんだんと高い所まで上るようになり、遊び声も大きくなっていったとのことです。竹の公園での外遊びを通して、子どもたちは自信に満ちた表情を取り戻すようになったとのことでした。
震災の時赤ちゃん部屋にいた子どもたちはいまは年長になっており、元気にしていると伺うことができたことが何よりうれしいことでした。今後は特に「低線量被ばくの影響がどのように現れるか」の不安があると明石先生は述べておられます。
常磐教会・いわき食品放射能計測所「いのり」訪問
昼食をいただいた後、園長の明石先生が牧師をしている日本キリスト教団常磐教会(いわき市内郷綴町大木下10-6)を訪問しました。常磐教会は、原発事故によって双葉町などからいわき市へ移り住んできた人々の交流の場としても活用されています。
常磐教会の中には、いわき食品放射能計測所「いのり」が併設されています。食品・母乳・尿の放射線量を計測するための施設です。自分の家の庭の土壌の計測をしたいという希望も受け入れています。
特大シュークリーム(!)を切り分けていただきながら、明石先生からお話を伺いました。
明石先生は、福島に住んでいると、「一人ひとりに、毎日向かい合わねばならない“自己決定”のストレスがある」とおっしゃっていました。放射能はもちろん、目には見えません。放射能のリスクというのは、いまだはっきりとは確定できていないリスクです。そのリスクに対して、どう対処するか。福島に住むということは、毎日、各人がその“自己決定”を迫られるということです。それは大変なストレスであることと思います。放射能のリスクは「存在しない」ものとして生活しないと、とてももたないという想いも、よく理解できることです。
今後は明石先生がおっしゃるように、とりわけ「低線量被ばく」(放射線を少しずつ、長期間にわたって浴び続けること)の影響が重要な問題となってくるでしょう。放射能のリスクと日々向かい合うことは大変なストレスであり、負担です。
それは福島に生きる方々のみならず、原発事故後の日本を生きる私たち一人ひとりにとっても、同様でしょう。すでに日本は、特に東日本は広範囲にわたって放射能によって汚染されてしまっています。空気も土壌も水も、です。
私たち自身の身体も、事故直後に被ばくをしていますし、日々の生活において、食品に含まれる放射性セシウムの摂取による内部被ばくのリスクにさらされています。私たちはこの現実にこれから一生涯、直面し続けてゆくことになります。私たちも、私たちの次の世代も、そのまた次の世代も――。
その負担を思うとまさに暗澹たる気持ちになります。かつてはSFであった世界が、いまや現実となってしまいました。しかし、私たちは命を守るために、この重荷を担い続けてゆかねばなりません。
特に、子どもたちの命を放射能から守るための取り組みが重要となります。この点については、次回のコラムで取り上げたいと思います。
富岡町「夜の森」へ
教会を出発し、明石先生のお車で富岡町を案内していただきました。富岡町に入ると、至るところで除染作業が行われており、黒い除染袋が積み上げられていました。
明石先生は原発事故による「分断」を象徴する場所として、夜の森地区を案内してくださいました。夜の森は事故前までは、桜の名所として親しまれていた場所です。
夜の森地区では、通りをはさんで、「帰還困難区域」と「居住制限区域」に区分けされていました。帰還困難区域はバリケードで封鎖され、人が居住することはもちろん、一般の人も車も通ることはできません。二度と住民が戻ることができない区域です。対して、居住制限区域は現在は無人ですが、将来的には人が居住することを想定している区域です。
計測器で測ってみると、確かに帰還困難区域の方が数値は高かったものの、居住制限区域の方も、人が住むことができないほどの高い放射線量を示していました。道端の土壌に測定器を近づけると、さらに高い放射線量を示しました。
帰還困難区域の人々はもう二度と我が家に戻れない。その大きな悲しみがあります。一方で、居住制限区域の人々は、これほど汚染されてしまった家に近い将来「戻るように」と行政から呼びかけられています。通りを挟んだ向かいのご近所さんの家は帰還困難区域で封鎖されているにも関わらず、です。このような場所に、いったい誰が戻りたいと思うでしょうか。どちらの区域の方にとっても、これは本当に辛い現実です。
国道6号線
夜の森を後にして、国道の6号線に向かいました。6号線は福島第一原子力発電所の入り口付近を通っており、一部の区間が高い放射線量となっています。事故後は夜の森から浪江町までの区間が通行を規制されていましたが、昨年の9月から、車のみ通行が再開されることになりました(バイクでの通行はいまだ規制されています)。
車内で最も高い放射線量を記録したのは大熊町の交差点から長者原の信号にかけての区域で、5.14マイクロシーベルト/時ありました。車内でこれなので、外に出るとさらに高い数値になるでしょう。
これほど放射線量が高い区間ですから、車の通行であっても、出来るだけこの区間は通行しないほうがよいと思います(通行する場合、窓をしめてエアコンは内気循環にするように呼びかけられています)。
明石先生と別れて、仙台に戻り、一日目の研修は終了しました。長い時間を割いて案内してくださった明石先生に心より感謝いたします。
放射能問題支援対策室いずみ訪問
二日目は、「日本キリスト教団 東北教区放射能問題支援対策室いずみ」(仙台市青葉区錦町1‐13‐6)を訪問しました。「いずみ」で千厩教会の柳沼先生と合流。「いずみ」はいわき食品放射能計測所「いのり」とも連動している施設で、明石先生も運営委員として関わっておられます。
仙台の「いずみ」では、子どもたちを中心とした甲状腺検査を行っています。2013年12月から始まった甲状腺のエコー検査は、宮城では民間で初めての試みでした。現在も月に一度、希望者に検査が行われています。一回あたり50名前後の検査が行われているそうです。また、定期的に医師による健康相談が開催されています。
もう一つ「いずみ」の重要な活動として保養プログラムの取り組みがあります。長距離のものとしては北海道や沖縄への1週間から10日の保養、短距離のものとしては県内での1泊2日の保養があります。放射能のリスクから子どもたちを守る上で、保養は非常に重要な働きを果たすと言われています。
甲状腺検査も、保養プログラムも、継続的な、息の長い活動であることが求められています。宜しければ、ご一緒に「いのり」や「いずみ」の働きをサポートをしてゆければと願っております。 (道)
~ご案内~
放射能問題支援対策室いずみ
志ある方は、ごいっしょにサポートをよろしくお願いいたします。
~維持会員年会費~
正会員 一口3,000円
賛助会員 一口1,000円
団体正会員 一口5,000円