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ひとのこ通信

「ひとのこ通信」のブログ版です。

ひとのこコラム ~福島への現地研修

2015年11月27日 | 日記

 しばらく間が空いてしまいましたが、ひとのこ通信のコラムをお送りします。

 11月14日のパリでの同時多発テロを受けて、緊迫した状態が続いています。フランスを始め、国際社会は空爆の強化へと舵を切りました。有志連合軍による空爆が当たり前のようにニュースで報じられていますが、冷静に考えると、異常な事態です。それら空爆を受けて、シリアではすでに、子どもを含む多数の民間人の死者が出ているとの報告があります。報復の連鎖を断ち切らない限り、さらに今後の状況は悪化してゆくでしょう。大変な状況の中ではありますが、私たちは自暴自棄になってしまうことなく、自分に出来ることを行ってゆくほかありません。絶望することなく、一歩一歩、共に歩みましょう。

 

ひとのこコラム 福島への現地研修

 

福島へ

 先日の11月12日(木)から13日(金)にかけて、岩手の牧師会のメンバーで、福島へ現地研修に行ってきました。原発事故から4年8か月が経過しましたが、いまの福島の現状を自分たちの目で見、また現地の方々からお話を伺うための研修です。

 出発の12日の朝、下ノ橋教会の松浦先生と日詰教会の井上先生が、朝5時前(!)に花巻まで迎えに来てくださいました。

 井上先生が持参してくださった測定器で車内の空間放射線量の推移を確認しながら、福島の郡山市まで向かいました。車内での計測の場合、放射線量は7割ほどカットされるそうですが、花巻から高速に乗った時点での空間放射線量は0.03マイクロシーベルト/時でした。福島に近づくにつれ徐々に上昇してゆきました。同じ地域でも、場所によって線量には相違があります。郡山市内のある場所では、車内で0.36マイクロシーベルト/時ありました。場所によっては、放射線量はやはり高いということが分かります。

 

 

白水のぞみ保育園訪問

 郡山駅で水沢教会の山下先生と一関教会の高橋先生と合流し、いわき市へ向かいました。白水のぞみ保育園を訪問するためです。

 白水のぞみ保育園は日本キリスト教団常磐教会の関連施設です。園がある近辺は比較的線量が低く、通常は0.07~0.09マイクロシーベルト/時ほどの線量です。けれども、原発事故直後はすさまじい濃度の放射性ヨウ素やセシウムが園に降り注ぎ、事故後一年間は外遊びが出来ない状態が続いたそうです。除染に関しては行政が対応してくれないので、職員や保護者の有志で自主的に、園内の除染作業を行ってきたそうです。

 園長であり常磐教会の牧師である明石義信先生が赴任した2012年から、少しずつ外遊びを増やし始めていったそうです。現在、園の庭には「竹の公園」と呼ばれる大きな竹のピラミッド型の遊具があります。

 原発事故後、ボランティアや地域の方々を含め200名以上もの方々の協力を得て作られたものだそうです。子どもたちは初めは怖がっていましたが、だんだんと高い所まで上るようになり、遊び声も大きくなっていったとのことです。竹の公園での外遊びを通して、子どもたちは自信に満ちた表情を取り戻すようになったとのことでした。

 震災の時赤ちゃん部屋にいた子どもたちはいまは年長になっており、元気にしていると伺うことができたことが何よりうれしいことでした。今後は特に「低線量被ばくの影響がどのように現れるか」の不安があると明石先生は述べておられます。

 

常磐教会・いわき食品放射能計測所「いのり」訪問

 昼食をいただいた後、園長の明石先生が牧師をしている日本キリスト教団常磐教会(いわき市内郷綴町大木下10-6)を訪問しました。常磐教会は、原発事故によって双葉町などからいわき市へ移り住んできた人々の交流の場としても活用されています。

 常磐教会の中には、いわき食品放射能計測所「いのり」が併設されています。食品・母乳・尿の放射線量を計測するための施設です。自分の家の庭の土壌の計測をしたいという希望も受け入れています。

 

 特大シュークリーム(!)を切り分けていただきながら、明石先生からお話を伺いました。

 

 明石先生は、福島に住んでいると、「一人ひとりに、毎日向かい合わねばならない“自己決定”のストレスがある」とおっしゃっていました。放射能はもちろん、目には見えません。放射能のリスクというのは、いまだはっきりとは確定できていないリスクです。そのリスクに対して、どう対処するか。福島に住むということは、毎日、各人がその“自己決定”を迫られるということです。それは大変なストレスであることと思います。放射能のリスクは「存在しない」ものとして生活しないと、とてももたないという想いも、よく理解できることです。

 今後は明石先生がおっしゃるように、とりわけ「低線量被ばく」(放射線を少しずつ、長期間にわたって浴び続けること)の影響が重要な問題となってくるでしょう。放射能のリスクと日々向かい合うことは大変なストレスであり、負担です。

 それは福島に生きる方々のみならず、原発事故後の日本を生きる私たち一人ひとりにとっても、同様でしょう。すでに日本は、特に東日本は広範囲にわたって放射能によって汚染されてしまっています。空気も土壌も水も、です。

 私たち自身の身体も、事故直後に被ばくをしていますし、日々の生活において、食品に含まれる放射性セシウムの摂取による内部被ばくのリスクにさらされています。私たちはこの現実にこれから一生涯、直面し続けてゆくことになります。私たちも、私たちの次の世代も、そのまた次の世代も――。

 その負担を思うとまさに暗澹たる気持ちになります。かつてはSFであった世界が、いまや現実となってしまいました。しかし、私たちは命を守るために、この重荷を担い続けてゆかねばなりません。

 特に、子どもたちの命を放射能から守るための取り組みが重要となります。この点については、次回のコラムで取り上げたいと思います。

 

富岡町「夜の森」へ

 教会を出発し、明石先生のお車で富岡町を案内していただきました。富岡町に入ると、至るところで除染作業が行われており、黒い除染袋が積み上げられていました。

 

 明石先生は原発事故による「分断」を象徴する場所として、夜の森地区を案内してくださいました。夜の森は事故前までは、桜の名所として親しまれていた場所です。

 夜の森地区では、通りをはさんで、「帰還困難区域」と「居住制限区域」に区分けされていました。帰還困難区域はバリケードで封鎖され、人が居住することはもちろん、一般の人も車も通ることはできません。二度と住民が戻ることができない区域です。対して、居住制限区域は現在は無人ですが、将来的には人が居住することを想定している区域です。

 

 計測器で測ってみると、確かに帰還困難区域の方が数値は高かったものの、居住制限区域の方も、人が住むことができないほどの高い放射線量を示していました。道端の土壌に測定器を近づけると、さらに高い放射線量を示しました。

 帰還困難区域の人々はもう二度と我が家に戻れない。その大きな悲しみがあります。一方で、居住制限区域の人々は、これほど汚染されてしまった家に近い将来「戻るように」と行政から呼びかけられています。通りを挟んだ向かいのご近所さんの家は帰還困難区域で封鎖されているにも関わらず、です。このような場所に、いったい誰が戻りたいと思うでしょうか。どちらの区域の方にとっても、これは本当に辛い現実です。

 

国道6号線

 夜の森を後にして、国道の6号線に向かいました。6号線は福島第一原子力発電所の入り口付近を通っており、一部の区間が高い放射線量となっています。事故後は夜の森から浪江町までの区間が通行を規制されていましたが、昨年の9月から、車のみ通行が再開されることになりました(バイクでの通行はいまだ規制されています)。

 車内で最も高い放射線量を記録したのは大熊町の交差点から長者原の信号にかけての区域で、5.14マイクロシーベルト/時ありました。車内でこれなので、外に出るとさらに高い数値になるでしょう。

 これほど放射線量が高い区間ですから、車の通行であっても、出来るだけこの区間は通行しないほうがよいと思います(通行する場合、窓をしめてエアコンは内気循環にするように呼びかけられています)。

 明石先生と別れて、仙台に戻り、一日目の研修は終了しました。長い時間を割いて案内してくださった明石先生に心より感謝いたします。

 

放射能問題支援対策室いずみ訪問

 二日目は、「日本キリスト教団 東北教区放射能問題支援対策室いずみ」(仙台市青葉区錦町1‐13‐6)を訪問しました。「いずみ」で千厩教会の柳沼先生と合流。「いずみ」はいわき食品放射能計測所「いのり」とも連動している施設で、明石先生も運営委員として関わっておられます。

 仙台の「いずみ」では、子どもたちを中心とした甲状腺検査を行っています。2013年12月から始まった甲状腺のエコー検査は、宮城では民間で初めての試みでした。現在も月に一度、希望者に検査が行われています。一回あたり50名前後の検査が行われているそうです。また、定期的に医師による健康相談が開催されています。

 もう一つ「いずみ」の重要な活動として保養プログラムの取り組みがあります。長距離のものとしては北海道や沖縄への1週間から10日の保養、短距離のものとしては県内での1泊2日の保養があります。放射能のリスクから子どもたちを守る上で、保養は非常に重要な働きを果たすと言われています。

 甲状腺検査も、保養プログラムも、継続的な、息の長い活動であることが求められています。宜しければ、ご一緒に「いのり」や「いずみ」の働きをサポートをしてゆければと願っております。     (道)

 

  ~ご案内~

  放射能問題支援対策室いずみ

  いずみの会

 

 志ある方は、ごいっしょにサポートをよろしくお願いいたします。

 

 ~維持会員年会費~

  正会員 一口3,000円

  賛助会員 一口1,000円

  団体正会員 一口5,000円


~お知らせ~

2015年11月19日 | 日記

鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン―選択する人々』上映・監督講演会

日時:11月21日(土)

一回目上映:10:00~/鎌仲ひとみ監督講演 12:45~/2回目上映:14:30~

会場:奥羽キリスト教センター(盛岡市大沢川原3-2-27)

3回目上映:18:00~

会場:認定こども園ひかりの子2F(紫波町日詰字下丸森130)

主催:小さき声のカノン上映・監督講演実行委員会in岩手

 

~福島―チェルノブイリ

国境を越えて

「被ばく」から子どもたちを守る

母たちのドキュメンタリー~

 

私と妻も実行委員になって関わっております。ご都合よろしい方はぜひお出で下さい。


ひとのこ歌集 

2015年10月05日 | 日記

ひとのこ歌集 ~「この悲しみの道の上に」

 

前回に引き続き、曲を一曲ご紹介したいと思います。

『この悲しみの道の上に』という曲です。作ったのはもう今から14年も前になります。

私が高校3年生の時でした。

曲が生まれるきっかけとなったのは、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでした。

当時高校生であった私も、世界貿易センタービルに飛行機がぶつかる映像、ビルが崩れ落ちる映像をテレビ中継で見て、大変な衝撃を受けました。

言葉にはできない悲しみが自分の内に生じているのを感じながら、

ちょうど二か月後の2001年11月11日に作ったのがこの曲です。

 

タイトルの「悲しみの道」というのは、イエス・キリストが処刑場まで十字架を背負って歩いていった道のことを言います。

曲を作りながら、私は、「悲しみ」が自分の心をまっすぐに貫いているように感じました。

そして、私個人のみならず、私たち人間の歴史を、一つの「悲しみ」が貫いているように感じました。

 

この曲を作ってから14年が経ちましたが、残念ながら、「悲しみの道」はいまも続いています。

悲しみの連鎖は断ち切られず、現在に至っています。

ISISの台頭、シリアへの空爆、深刻化する難民の問題……。

私たちの国においては、憲法違反の集団的自衛権容認による、日米同盟軍のさらなる強化。

そのアメリカ軍は一昨日3日、アフガニスタンのNGO「国境なき医師団」の病院を空爆するという、ゆるしがたい戦争犯罪を犯しました。

また同日には、バングラデシュ在住の日本人男性がISISによって殺害された(かもしれない)とのニュースが報じられました。

私たちのいま生きる世界の情勢はさらに複雑化し、悪化しているように思えます。

 

この悲しみの道の上にうずくまりそうになりながら、

それでも、悲しみがいつか喜びへと変わることへの希望を失わないでいたいと思います。

「僕らの こころに あの朝日のような希望を」――。

 

♪「この悲しみの道の上に

 

 


ひとのこ歌集

2015年09月27日 | 日記

ひとのこ歌集 ~「プシュケーの歌 ~私は私自身を取り戻す」

 

前回の更新から、また私たちの国では大きな出来事がありました。

安保法案が9月19日の未明、参議院本会議で可決されました。

この度の安保法制の問題性についてまた私なりに取り上げたいと思いますが、これからもこの法制に反対する声を上げ続けてゆきたいと思います。

前々回、前回と連載した「キリスト教と戦争責任」についてももう少し継続して記したいと思っています。

 

本日の記事は「ひとのこコラム」ではなく、「ひとのこ歌集」というタイトルをつけました。

最近作って録音した曲をご紹介したいと思って記事を書いています。「プシュケーの歌 ~私は私自身を取り戻す」という曲です。

新しい曲を作ったのはまことに久しぶり、8年ぶりくらいになります。

先日の7月15日に安保法制の衆議院での強行採決がニュースで報じられる中、自らの内から強い要請を受ける気持ちで作りました。

さまざまな人にも聴いていただきたいという思いが生じましたので、9月21日に地元の大阪に帰省した折、親友の寺田くんと片山くんの協力を得て、音楽スタジオで録音をしてきました。

聴いていただければ幸いです。

♪「プシュケーの歌 ~私は私自身を取り戻す

 


ひとのこ通信vol.11 キリスト教と戦争責任(2)~戦時下の日本基督教団

2015年09月11日 | 日記

 10日から11日にかけての記録的な豪雨と河川の決壊・氾濫による甚大な被害がニュースで報じられています。栃木県と茨城県の被害の様子がだんだんと明らかになってきていますが、いまだ全容はつかめていない状況のようです。岩手県は被害があったことは聞いていませんが、東北では宮城県が大きな被害が出ているということで、心配です。

 

ひとのこコラム キリスト教と戦争責任(2)~戦時下の日本基督教団

 

キリスト教と戦争責任

 前回のコラムで、「キリスト教と戦争責任」というテーマを取り上げました。投稿後、さまざまな方から感想をいただきました。中には、私と同様に、祖父が牧師であったという方々もいらっしゃいました。また、クリスチャンではない友人からも、「今までのコラムの中で一番面白かった(興味深かった)」との感想をもらいました。自分と関わりのある分野において、たとえ限定的であっても戦時下の歴史を取り上げることは意義のあることなのだということを改めて思わされました。

 前回のコラムでは、私が所属する日本基督(キリスト)教団の成立について取り上げました。日本基督教団の成立には、国が定めた「宗教団体法」という法律が深く関わっているということを述べました。今回のコラムからは教団が成立して以降、どのような歩みをたどったかを簡単にですが振り返ってゆきたいと思います。

 その際、日本基督教団が戦時中に発行していた機関紙『教団時報』を資料として参照したいと思います。『教団時報』は1941年8月から、1944年5月まで、計34号発行されたものです。1944年5月の第33・34合併号をもって廃刊になり、もう一つの機関紙『日本基督教新報』と統合し、『教団新報』となって現在に至っています。

 戦時中の『教団時報』を参照することができるのは、日本基督教団 二戸教会の小友睦先生のご厚意によります。小友先生は教会にて『教団時報』が全号保存してあったのを発見し、それを一枚一枚スキャンしてデータ化されました。そのデータが入ったCD-Rを私にも下さいましたので、今回その貴重な資料を参照することができました。小友先生にこの場を借りて感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。 

  『教団時報』第1号(1面)

 

教団成立時の組織体制

 1941年6月、34の諸教派が合同し、日本基督教団が成立しました。教団のトップに置かれたのは「教団統理者」という役職でした。「統理」とは「統一しておさめること」を意味する言葉ですが、その名のとおり、統理者には教団のあらゆることを総括する権限が賦されていました(戦後の宗教団体法の廃止に伴い、統理という役職は廃止されています)。教団の代表者である総会議長は実質的には教団を総括する権限は与えられてはいませんでした。

 統理者は教区に意志を伝達し、教区は支教区に意志を伝達し、支教区は各個教会に意志を伝達します。そのように徹底した「上位下達(トップダウン)」方式の組織が造られてゆきました。戦時下の統理者に就任したのは富田満という牧師です。統理者をはじめとする教団の指導者たちは文部省と密接なる関わりをもっていました。

 指導者たちが教団の第一の命題にしたのは《国家が要求する政策、具体的には国家総動員体制のもとで、いかに戦争遂行のために国民を動員するか、しうるか》ということでした(原誠『国家を超えられなかった教会 15年戦争下の日本プロテスタント教会』日本キリスト教団出版局、2005年、109頁)

 宗教団体法はそもそも、宗教団体が「国家に忠実である」ことを条件としているものでした。その基準を満たす団体のみ、文部大臣によって「認可」されました(宗教団体法第三条)。もしその宗教行為が「安寧秩序を妨げ又は臣民たるの義務に背くときは」、認可を取り消されることになっていました(第一六条)(参照:キリスト教史学会編『戦時下のキリスト教 宗教団体法をめぐって』、教文館、2015年、20、180、184頁)。宗教団体法の性質上、宗教団体はそもそも国家に忠実であるほか、法人として存立の仕様がなかったことが分かります。

 

「伝道」と「報国」

『教団時報』の第一号(1941年8月15日)の一面に、富田統理が「教団の使命」という一文を寄せています。戦時下の教団がいかに国家に忠実なることを志向していたかが端的に現れています。

《基督の福音は一貫して吾等に伝道を命ずる。之は基督の最後の御言葉である。今日伝道の業が衰え勝ちなる時、合同した二十五万の信徒は一団となって伝道戦線に奮起すべきである。/実に教会の職域奉公は伝道をおいてはない。伝道報国こそ教団に負わされた使命である。今や吾等は大合同を機として伝道に専念したい。神の言を以てこの非常時突破に処し得るよう国民を導くために献身せねばならぬ。福音に生きる事が最も君に忠、国に忠なる道なる事を信じて、この時局に於て吾等日本基督教団の信徒は捨身になって奉公して行くのである》(※読みやすくするため、漢字表記を旧漢字から新漢字に、旧かなづかいを現代かなづかいに修整しています)

 富田統理は、教団の使命としてまず第一に「伝道」を挙げています。「伝道」とは、「キリスト教固有の信仰を人々に伝えること」であるとしますと、宗教団体が第一の使命としてこれを挙げることは当然のことであると思われますが、ではその「伝道」が、一体どのようなものとして捉えられているのかが問題となります。

 文中に《伝道報国》という言葉が出て来ていますが、この言葉がその内実を端的に表わしているということができるでしょう。「伝道」と「報国(国に尽くすこと)」が一体となっているのが、当時の教団指導者たちの「伝道」の捉え方であったようです。つまり、ただキリスト教信仰を言葉で伝えるのが「伝道」ではない。この《非常時》において、キリスト者が率先して「国に《献身する》こと(=報国)」がすなわち「伝道」であるとの考えが見いだされます。国のために《捨身になって奉公》するキリスト者の実践的な「行動」が、キリスト教信仰を周囲に知らしめて行く、という考えでありましょう。それが日本国民によい感化を与え、そして国家を戦争の勝利へ導いてゆくであろう。

 

犠牲の論理

 これら「滅私奉公」の勧めを正当化するものとして考えられているのが、イエス・キリストの「犠牲」の行為です。イエス・キリストが私たちのために《捨身になって奉公》し、その「命」まで捨てて下さったのだから、私たちもまた国のために《捨身になって奉公》しよう、という論理がそこにはあります。このような「犠牲の論理」というのはその後、『教団時報』においても繰り返し述べられてゆきます(『犠牲の論理』については、高橋哲哉氏『国家と犠牲』という書で詳しく考察されています)。

 例として一つ文章を引用します。当時、教団の教務局長であった鈴木浩二氏の文章です。

《戦時下の今日の時代に於て要求さるるものが何かと云うに、そは生命を喜んで国家の為に捧げることである。国家の大なる使命達成の為に生命を差出す心構えである、耶蘇(注:キリスト)の処世哲学にはこの精神が最も力強く現われている。犠牲献身を人生の根本原理として教える宗教は耶蘇のそれである。而してこれが戦時下日本に於て最も要求さるるものでないか》(『教団時報』第5号、1941年12月15日、鈴木浩二氏『戦時下に耶蘇を仰ぐ』より)

 戦時下の日本において最も要求されているのは「生命」をもすすんで献げる《犠牲献身》であり、キリスト教はそれを《人生の根本原理》として教えている、と述べられています。キリストの名によって、国家のために犠牲になることが「正当化」されてしまっていることが分かります。

 

巧みな「すり替え」

 引用した文章が掲載されている『教団時報』第5号の日付に注目していただくと、「1941年12月15日」となっています。12月8日に太平洋戦争が始まって一週間後のことです。鈴木浩二氏の文章の冒頭には、開戦にあたっての文部大臣からの「文部省訓令」が記されています。米英との開戦に際し国民により一層の「滅私奉公」を求める訓令です。その文部大臣からの訓令を踏まえた上で、鈴木氏は諸教会へのメッセージを記しています。まず第一に国からの「訓令」があり、それを「補完」し「正当化」するかたちでキリスト教のメッセージが述べられていることが分かります。これらの様子からも、日本基督教団とは徹頭徹尾「報国(国に尽くす)」のために成立した教団なのであり、残念ながら、「伝道」というものはそれをキリスト教式に言い換えたものに過ぎないことが分かります。

 しかし、このように聖書の言葉を持ち出されると、教会の一般の信徒たちは反論のしようがなかったでしょう。たとえ内心違和感を覚えたとしても、では「どこに自分が違和感を感じているか」を言語化するのは困難であったのではないかと想像します。国が強要する「滅私奉公」の精神と、キリスト教信仰とが非常に巧みに融合されてしまっているからです。現代の私たちが客観的に分析すると、奉仕する対象が「神と隣人」から「天皇と国家」にすり替えられていることが分かりますが、当時の「空気」の中で冷静な分析をすることは難しかったことと思います。以上のような巧みな「すり替え」がなされる中、国に尽くさない者は「非国民」となり、また「不信仰者」とされてしまうという二重の統制が信徒たちに課されてゆきました。

 教団の指導者たちがこのような「すり替え」を作為的に行っていたのか、もしくは半ば無自覚にそれを行い、自分たちもその論理に拘束されていってしまったのか。おそらく実態は後者であったと思われますが、その分析は今後の課題としたいと思います。  (道)

 

 

~お知らせ~

9・12岩手県民集会

日時:9月12日(土)10:30~11:30 終了後デモ行進(雨天決行)

会場:盛岡城跡公園 多目的広場

安保法制に反対する集会・デモが行われます。岩手の中では最も大規模な集会となると予想されます。

わたしも参加いたします。

 

岩手地区音楽講習会「平和と賛美~いま平和を祈り、平和をうたう」

日時:10月3日(土)午前11時~午後3時

講師:竹佐古真希氏(弘前学院大学オルガニスト)

会場:日本キリスト教団 花巻教会(花巻市仲町5-4)

参加費:無料、お弁当代(希望者)

主催:日本キリスト教団 奥羽教区 岩手地区教育委員会

 

賛美歌から平和のメッセージを学び、共に賛美をする時をもちます。

岩手の教会を対象とした講習会ですが、教会外の方でも参加ご希望の方はぜひお知らせください。

 

鎌仲ひとみ監督『小さき声のカノン―選択する人々』上映・監督講演会

日時:11月21日(土)

一回目上映:10:00~/鎌仲ひとみ監督講演 12:45~/2回目上映:14:30~

会場:奥羽キリスト教センター(盛岡市大沢川原3-2-27)

3回目上映:18:00~

会場:認定こども園ひかりの子2F(紫波町日詰字下丸森130)

主催:小さき声のカノン上映・監督講演実行委員会in岩手

 

私と妻も実行委員になって関わっております。ご都合よろしい方はぜひお出で下さい。