帰国日の朝
最後の朝食なのでテラスで食べよう
と
テラス席に座ったのはいいですが、朝から暑い
強烈な日差しを浴びながら
食べることになってしまいました
テラスからの景色

眼下には広場が見えます
空港行きのバスは左前方の道路の右手にある道を
歩いて降りていくとバス停があるんです。
このホテル立地もいいわ~
マルタ最後の観光は騎士団長の宮殿
の前にマルタで一番お気に入り
アッパーバラッカガーデンからの景色を見に行きます
やっぱりここからの景色は最高
右手にはセングレアの監視塔 左手にはヴィットリオーザの聖アンジェロ砦
海も空も朝日もとっても美しく輝いています

真下を見ると大砲が並んでいます
毎日昼12時に兵士が大砲を発射するそうなんですが・・・
今日は12時前に空港行きのバスに乗るので
見ることが出来なくて残念

スリーシティーズの一つ一番左の街はコスピークワ
こちらの海もキッラキラ

そして城壁の街ヴァレッタに建ち並ぶ建物です
優しい色の建物が太陽の日差しを浴びて美しい~

マルタに来て良かった~と感動しながら
騎士団長の宮殿に向かいます
リパブリック通りにある「騎士団長の宮殿」
今は大統領府や政府機関に使われているので
一部のみ一般公開されているそうです

入口の両脇には兵士が微動だにせず立ってる~
奥にはネプチューン像が見えます

でも、観光客用の入口はここではないようで・・・
少し戻ったこちらが私達の入口でした

中に入って先ほどのネプチューン像を左手に見ながら
一番奥に向かうとチケット売場があって・・・
ガーン
館内工事中のため入場料が
本当は10ユーロのところ7ユーロになってました
確かに工事中で、ちゃんと見れた部屋は2つほどでした
ちょっと残念でしたが仕方ないですね
見学はエレベーターで2階に上がってからです
赤い色で飾られた別名「赤の間」は
「大使の間」だそうです

こちらは「最高審議の間」入口
通路の天井画と壁上部の絵がとっても素晴らしいです
この通路を騎士団の人達が甲冑を着て歩いていたんですね~

そして「最高審議の間」

この椅子が騎士団長が座っていた玉座だそうです
(ちょっと小さくないか
)

「最高審議の間」壁の上部には12枚の
1565年の「トルコ軍大包囲戦」の様子が描かれています
マルタ騎士団とトルコ軍の戦いはこの時2回目
この二つの戦いのお話は塩野七生さんの「ロードス島攻防記」に
書いてあったのでちょっと解説
もともと騎士団は1310年ロードス島を本拠地とし
対イスラムの最前線として戦っていたキリスト戦士達
ヨーロッパの裕福な家の次男以下の男子で
聖ヨハネ騎士団と呼ばれていました。
ところが、1522年トルコ軍に攻め落とされ
トルコのスルタン、後の大帝スレイマンにより
騎士団はロードス島を追放されてしまいました
そこから騎士団は紆余曲折彷徨い、神聖ローマ帝国皇帝カルロスにより
マルタ島を与えられ、1530年本拠地とすることになったのです
このマルタの地で騎士団は湾の多い地形を利用し要塞化していき
ヴァレッタの先端に聖エルモ砦を造っていました
そして1565年トルコ軍大包囲戦が始まるのですが
それは「最高審議の間」の絵を見ながら・・
1565年5月18日 トルコ軍は大小合わせて2000隻でやってきました
(絵の上にたくさんの船が描かれてます)

5月20日マルサシュロックに停泊していたトルコ軍が上陸
(絵の右側がマルサシュロックで続々上陸してきています)

5月27日 ヴァレッタの先聖エルモ砦をトルコ軍の大砲が包囲してます

6月23日 遂に聖エルモ砦は陥落してしまいます

6月27日 次にトルコ軍はセングレアの聖ミケーレ砦を包囲します
(隣のヴィットリオーザと橋で繋がっていて歩いてる騎士団の人が描かれてます)

(左)9月7日 当時スペイン支配下にあったシチリアのフェリペⅡ世が派遣した
8000人の援軍が到着
(右)トルコ軍は多くの兵を失い、戦意も喪失しており翌日撤退しマルタの勝利となりました

1522年ロードス島の戦いで騎士団を全員殺してしまわずに
ロードス島から追放するにとどめたことを
大帝スレイマンは後悔していたんでしょうかね~
この部屋の絵がとっても良く描かれていたので面白かったです
廊下の壁にあったこれは何?
穴が開いてるからダストシュート?
当時のものかわからないけど気になる~

最後は1階に降りて兵器庫を見学します

今見たら、こんなので命掛けて戦えたのかな?と
思ってしまう甲冑?(胸の周りしか守れてない)ですよね

お~ これは・・・
カラヴァッジョの絵に登場していた
ヴィニャクール騎士団長の甲冑です
なんて、お洒落で格好いいんでしょう~

隣の部屋は武器庫
大砲がいっぱい並んでいます

そこで発見 大砲の上にある持ち手?装飾?が
とっても可愛いんです
この子達ムツゴロウちゃんみたいです

何か意味はあるのかもしれませんが・・
それにしても、この竜?の顔情けない眼してません?

騎士団長の宮殿を出ると、リパブリック通りを挟んで
お向かいにあるパレス広場の端に像が見えます
足下には花輪が並んでいるので何かと見に行ったら
「6月7日の像」と書いてあります

今日は6月7日「セッテ ジューニョ」と言われる祝日です
何でイタリア語なのかわかりませんが、1919年6月7日に
イギリス支配に対してマルタの人が暴動を起こし4名が
犠牲になった記念日のようです
今は祝日として街では音楽隊が記念のパレードをしたりしていますが
マルタって過去にいろんな歴史があった国ですよね

そろそろ11時頃なのでホテルに戻らないと・・・
荷物をピックアップしにホテルに戻ると
初日に来たときにマルタトランスファーの予約変更をしてもらった
ジャンレノ似の親切なおじさんが受付でした
「どうやって空港に行くの?」と聞かれ「バス」でと答えると
「バス
バス
ナイス
イクシフォー」と言って
握手してお別れしました
マルタトランスファーより路線バスがオススメなのね
ちなみにイクシフォーは空港行き路線バスの停留所名で
「X4」のこと イクシはイタリア語なので、おじさん
イタリアの人だったのかな~
荷物を持ってカスティーユ広場を渡り右側の道路にある
下りの坂道を歩いてバス停に向かいました
11時55分発のバスで1.5ユーロ 25分で空港に着きました
急がない時は路線バスオススメです

空港に早く着いたので 今回早朝、深夜と大変お世話になった
マルタトランスフアーのカウンターを見に行きました
到着カウンターを出て左側に歩いていった一番奥の12番
半泣きで深夜にここを歩いたのが前日とは思えない

フライトは15時半発ラルナカ経由ドバイ行きのエミレーツ航空

フードコートでランチを食べて搭乗時間まで
思ってた以上に素敵だったマルタを思い返してました
マルタは本当に良かった~素敵なリゾートアイランドです
今度はマルタだけにヴァカンスで来たいですね~
今回行きたくて行けなかったところがいっぱいあったし~
そして搭乗

さようなら~マルタ~

定刻より10分早い15時20分に出発して2時間半でラルナカに到着
1時間半のストップオーバーと4時間のフライトでやっとドバイに到着
深夜1時40分 もうお尻が痛い・・・
次のフライトが3時発なのですぐに搭乗することに・・・
関西空港までも長いのでお尻が痛い・・・
最終関西空港へは30分遅れの18時到着でした
帰ってくるとマルタもパレルモも遠い昔のことのよう・・
今回の旅行・・・・
エミレーツ航空でのマルタ行きは飛行機に乗ってる時間が長い~
マルタ~パレルモ便が少なくて旅行計画が難しかった~
6月のシチリア 暑い
暑すぎる

パレルモの人、冷たかった
マルタが思いの外とても良かった
カラヴァッッジョの傑作見れて良かった~
次の旅行計画は今のところありません
聖ヨハネ大聖堂のカラヴァッジョの傑作を見て
「はぁ 終った~」って気持ちになったので
私のイタリア美術旅行は一度休憩することにしました
と思っていたらコロナが世界中で感染する事態が起こり
海外旅行どころではなくなってしまいました
早く、世界のコロナが収束することを願うばかりです
最後の朝食なのでテラスで食べよう

テラス席に座ったのはいいですが、朝から暑い

強烈な日差しを浴びながら
食べることになってしまいました

テラスからの景色


眼下には広場が見えます
空港行きのバスは左前方の道路の右手にある道を
歩いて降りていくとバス停があるんです。
このホテル立地もいいわ~

マルタ最後の観光は騎士団長の宮殿
の前にマルタで一番お気に入り
アッパーバラッカガーデンからの景色を見に行きます

やっぱりここからの景色は最高

右手にはセングレアの監視塔 左手にはヴィットリオーザの聖アンジェロ砦
海も空も朝日もとっても美しく輝いています


真下を見ると大砲が並んでいます
毎日昼12時に兵士が大砲を発射するそうなんですが・・・
今日は12時前に空港行きのバスに乗るので
見ることが出来なくて残念


スリーシティーズの一つ一番左の街はコスピークワ
こちらの海もキッラキラ


そして城壁の街ヴァレッタに建ち並ぶ建物です
優しい色の建物が太陽の日差しを浴びて美しい~


マルタに来て良かった~と感動しながら
騎士団長の宮殿に向かいます

リパブリック通りにある「騎士団長の宮殿」
今は大統領府や政府機関に使われているので
一部のみ一般公開されているそうです

入口の両脇には兵士が微動だにせず立ってる~

奥にはネプチューン像が見えます

でも、観光客用の入口はここではないようで・・・
少し戻ったこちらが私達の入口でした

中に入って先ほどのネプチューン像を左手に見ながら
一番奥に向かうとチケット売場があって・・・
ガーン

本当は10ユーロのところ7ユーロになってました
確かに工事中で、ちゃんと見れた部屋は2つほどでした
ちょっと残念でしたが仕方ないですね

見学はエレベーターで2階に上がってからです
赤い色で飾られた別名「赤の間」は
「大使の間」だそうです

こちらは「最高審議の間」入口
通路の天井画と壁上部の絵がとっても素晴らしいです

この通路を騎士団の人達が甲冑を着て歩いていたんですね~

そして「最高審議の間」

この椅子が騎士団長が座っていた玉座だそうです
(ちょっと小さくないか


「最高審議の間」壁の上部には12枚の
1565年の「トルコ軍大包囲戦」の様子が描かれています
マルタ騎士団とトルコ軍の戦いはこの時2回目
この二つの戦いのお話は塩野七生さんの「ロードス島攻防記」に
書いてあったのでちょっと解説

もともと騎士団は1310年ロードス島を本拠地とし
対イスラムの最前線として戦っていたキリスト戦士達
ヨーロッパの裕福な家の次男以下の男子で
聖ヨハネ騎士団と呼ばれていました。
ところが、1522年トルコ軍に攻め落とされ
トルコのスルタン、後の大帝スレイマンにより
騎士団はロードス島を追放されてしまいました
そこから騎士団は紆余曲折彷徨い、神聖ローマ帝国皇帝カルロスにより
マルタ島を与えられ、1530年本拠地とすることになったのです
このマルタの地で騎士団は湾の多い地形を利用し要塞化していき
ヴァレッタの先端に聖エルモ砦を造っていました
そして1565年トルコ軍大包囲戦が始まるのですが
それは「最高審議の間」の絵を見ながら・・

1565年5月18日 トルコ軍は大小合わせて2000隻でやってきました
(絵の上にたくさんの船が描かれてます)

5月20日マルサシュロックに停泊していたトルコ軍が上陸
(絵の右側がマルサシュロックで続々上陸してきています)

5月27日 ヴァレッタの先聖エルモ砦をトルコ軍の大砲が包囲してます

6月23日 遂に聖エルモ砦は陥落してしまいます

6月27日 次にトルコ軍はセングレアの聖ミケーレ砦を包囲します
(隣のヴィットリオーザと橋で繋がっていて歩いてる騎士団の人が描かれてます)

(左)9月7日 当時スペイン支配下にあったシチリアのフェリペⅡ世が派遣した
8000人の援軍が到着
(右)トルコ軍は多くの兵を失い、戦意も喪失しており翌日撤退しマルタの勝利となりました

1522年ロードス島の戦いで騎士団を全員殺してしまわずに
ロードス島から追放するにとどめたことを
大帝スレイマンは後悔していたんでしょうかね~
この部屋の絵がとっても良く描かれていたので面白かったです

廊下の壁にあったこれは何?
穴が開いてるからダストシュート?
当時のものかわからないけど気になる~

最後は1階に降りて兵器庫を見学します

今見たら、こんなので命掛けて戦えたのかな?と
思ってしまう甲冑?(胸の周りしか守れてない)ですよね

お~ これは・・・

カラヴァッジョの絵に登場していた
ヴィニャクール騎士団長の甲冑です
なんて、お洒落で格好いいんでしょう~


隣の部屋は武器庫
大砲がいっぱい並んでいます

そこで発見 大砲の上にある持ち手?装飾?が
とっても可愛いんです
この子達ムツゴロウちゃんみたいです


何か意味はあるのかもしれませんが・・
それにしても、この竜?の顔情けない眼してません?

騎士団長の宮殿を出ると、リパブリック通りを挟んで
お向かいにあるパレス広場の端に像が見えます
足下には花輪が並んでいるので何かと見に行ったら
「6月7日の像」と書いてあります

今日は6月7日「セッテ ジューニョ」と言われる祝日です
何でイタリア語なのかわかりませんが、1919年6月7日に
イギリス支配に対してマルタの人が暴動を起こし4名が
犠牲になった記念日のようです
今は祝日として街では音楽隊が記念のパレードをしたりしていますが
マルタって過去にいろんな歴史があった国ですよね

そろそろ11時頃なのでホテルに戻らないと・・・
荷物をピックアップしにホテルに戻ると
初日に来たときにマルタトランスファーの予約変更をしてもらった
ジャンレノ似の親切なおじさんが受付でした
「どうやって空港に行くの?」と聞かれ「バス」でと答えると
「バス



握手してお別れしました
マルタトランスファーより路線バスがオススメなのね
ちなみにイクシフォーは空港行き路線バスの停留所名で
「X4」のこと イクシはイタリア語なので、おじさん
イタリアの人だったのかな~
荷物を持ってカスティーユ広場を渡り右側の道路にある
下りの坂道を歩いてバス停に向かいました
11時55分発のバスで1.5ユーロ 25分で空港に着きました
急がない時は路線バスオススメです


空港に早く着いたので 今回早朝、深夜と大変お世話になった
マルタトランスフアーのカウンターを見に行きました
到着カウンターを出て左側に歩いていった一番奥の12番

半泣きで深夜にここを歩いたのが前日とは思えない


フライトは15時半発ラルナカ経由ドバイ行きのエミレーツ航空

フードコートでランチを食べて搭乗時間まで
思ってた以上に素敵だったマルタを思い返してました

マルタは本当に良かった~素敵なリゾートアイランドです
今度はマルタだけにヴァカンスで来たいですね~

今回行きたくて行けなかったところがいっぱいあったし~
そして搭乗

さようなら~マルタ~

定刻より10分早い15時20分に出発して2時間半でラルナカに到着
1時間半のストップオーバーと4時間のフライトでやっとドバイに到着
深夜1時40分 もうお尻が痛い・・・

次のフライトが3時発なのですぐに搭乗することに・・・
関西空港までも長いのでお尻が痛い・・・

最終関西空港へは30分遅れの18時到着でした

帰ってくるとマルタもパレルモも遠い昔のことのよう・・
今回の旅行・・・・
エミレーツ航空でのマルタ行きは飛行機に乗ってる時間が長い~
マルタ~パレルモ便が少なくて旅行計画が難しかった~
6月のシチリア 暑い



パレルモの人、冷たかった

マルタが思いの外とても良かった

カラヴァッッジョの傑作見れて良かった~

次の旅行計画は今のところありません

聖ヨハネ大聖堂のカラヴァッジョの傑作を見て
「はぁ 終った~」って気持ちになったので
私のイタリア美術旅行は一度休憩することにしました
と思っていたらコロナが世界中で感染する事態が起こり
海外旅行どころではなくなってしまいました
早く、世界のコロナが収束することを願うばかりです