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妻の事3

2022-02-19 18:08:22 | 日記

昨日の投稿の続きで、

 

私が妻と出会った時の、私の状況は下記の通りです。

 

当時の私は、初婚の妻を2000年にがんで天へ

 

2009年に浦島太郎が通算現地系、日系を含む6社で

 

アドバイザーの経験し帰国しました。

 

その前後から再婚をしようとおもい内外のサイトで

 

最終的には寡婦を探す目的でメールサイトに登録

 

内外の国を訪問、多くの寡婦と面会しましたが、

 

心身共にcocok(ちょちょっく、和訳はピッタリ)した

 

人には遭遇しませんでした。

 

何故、海外迄出かけたか?それはサイトに出稿された写真の

 

本人を確かめるために、大体寡婦の人はご自分の若い時の

 

写真をのせています。テネシー州の空港ロビーで、

 

サイトにあった写真の人と2,3回すれ違っていましたが

 

人と待ち合わせしていた人は私の他に居ませんでした。

 

3回目くらいすれ違った人に、もしやあなたはMs ○○さんですか

 

微笑を浮かべて「はい」と返事が、

 

唖然としました:全く別人でした。

 

ちょうど訪問したのは12月のクリスマス前後の週間

 

その人もクリスマスはワシントン州の妹の家で過ごす為

 

私とは「4,5日だけ行動を共にしますから」と

 

前置き、私も往復日時設定の便のため、折角

 

ここまで来たのだから滞在中は楽しもうと思いながら

 

その人がクリスマスを過ごす為、別の中国の寡婦を

 

紹介するから、その人と過ごしてと、

 

私の滞在中、ご飯の支度をしてくれるから安心してと。

 

言い残し、その人は身体改善器具を用意して、整体改善

 

などのクリニックを経営していました。

 

想定外の寡婦が車であちこち連れて行って

 

くれましたが、英語に不慣れで、会話練習機で

 

会話をしながら、過ごしました。

 

私は元来、乗り物が好きなので飛行機の乗り継ぎは

 

苦になりません。

 

妻と出会ったときは、少しオーバーですが

 

適当な寡婦はもういないのだろう?と思った時期でした。

 

話を元に戻して、今回は現地の邦人に

 

ネットワークビジネスを勧誘が目的

 

毎回、訪イの時は華僑の友人(社長)と

 

道具は借りてその人とのんびり プレーを

 

すること、他の華僑の社長との面会、邦人を

 

除く現地人(一般)との面会ですから

 

寡婦を探す目的、気持ちは度外視でした。

 

とは言いましても、在ジャカルタ時代に友人だった

 

寡婦の人々と面会、食事を、日曜日には8年程通った

 

ボゴール(雨の街)の教会で礼拝を捧げました。

 

滞在中、ビジネスの勧誘を終え帰国しました。

 

この続きはまた、今度に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


妻の事2

2022-02-19 18:08:22 | 日記

昨日の投稿の続きで、

 


ネットワークビジネスの書類を記載が終わるまで

 


色々詳しく聞いていくうちに

 


沢山のことがわかってきた。

 


分かったことは出身がスマトラ島の生まれで寡婦であった。

 


子どもは1人(昔は2人の母親、娘が一人、もう一人男の子がいたが*)

 


子どもの事は別の記事で書くことにします、特に*について。

 


今、働いているのはホテルが持つbeauty salonで働くスタイリスト

 


初めはjakartaのホテル(本店5★)にいたがcikarangに進出

 


ここに移ってきた。

 


cikarangはジャワ島を西(ジャカルタ)から東(スラバヤ方向)に

 


向かう高速道路のジャカルタから約30キロ地点に位置する。

 


この町には日系企業がたくさん入る大工業団地が数か所あり

 


人口も増えつつあり、ショッピングモールも数店舗

 


現在も発展中であります(地価は首都ジャカルより高い場所も)。

 


自分の両親は既にいないが、自分が生まれたころは

 


親父はいくつもの農園(コーヒー、ゴムなど)を所有

 


母は農園で働く人たちの弁当やおやつを作り

 


毎日、農園へもって行っていた。

 


自分の兄弟姉妹は上に年の離れた4人の姉、自分は末っ子。

 


近くに叔父さん(親父の弟)夫婦が住んでおり、

 


叔父もいくつかの農園を所有していた。

 


話を聞くと家の周りはジャングルでお猿さんが庭に遊びに

 


私が妻と再婚して初めてスマトラ島の妻が育った土地へ

 


行ったが、ジャングルなど見当たらない。

 


確かに飛行機から望む一帯は緑に覆われて

 


ジャングルに見えそう、家の周りに農園がいくつかあるが

 


私が持つ、ジャングルのイメージは昔、映画でみた

 


ターザンが出てきそうな高い木が生い茂ったところで

 


あるが、それに合う場所はなかった。

 


親父は農園で収穫される産品を中国人へ卸す人で

 


真面目一徹な人であったらしい、一方叔父はオランダの文化に

 

通じ西洋文明に興味を持ちブランド品に興味を示し

 

今風のモダンボーイであった、ベンツにのり

 


外国製の葉巻を、妻を娘のようにわいがってくれた。

 


叔父には2人の息子がおり、一人はスマトラ島をはなれ、

 

ジャワ島で住んでいた。

 

小学校を卒業すると叔父は自分をジャワ島へ転住させた。

 

自分を将来、自分の思う教育をさせ社交界で生きる女性へ

 

と考えていたらしい。

 

その為、叔父は中高時代に長期の休みに何度か

 

スラバヤで有名なダンス教室(中国人が経営の)へ通わせた。

 

叔父の息子がいる地域で中学生ー高校まで卒業した。

 

然し、自分は上級生と恋に落ち高卒後、結婚してしまった。

 

この続きはまた、今度にします。