昨日の投稿の続きで、
私が妻と出会った時の、私の状況は下記の通りです。
当時の私は、初婚の妻を2000年にがんで天へ
2009年に浦島太郎が通算現地系、日系を含む6社で
アドバイザーの経験し帰国しました。
その前後から再婚をしようとおもい内外のサイトで
最終的には寡婦を探す目的でメールサイトに登録
内外の国を訪問、多くの寡婦と面会しましたが、
心身共にcocok(ちょちょっく、和訳はピッタリ)した
人には遭遇しませんでした。
何故、海外迄出かけたか?それはサイトに出稿された写真の
本人を確かめるために、大体寡婦の人はご自分の若い時の
写真をのせています。テネシー州の空港ロビーで、
サイトにあった写真の人と2,3回すれ違っていましたが
人と待ち合わせしていた人は私の他に居ませんでした。
3回目くらいすれ違った人に、もしやあなたはMs ○○さんですか
微笑を浮かべて「はい」と返事が、
唖然としました:全く別人でした。
ちょうど訪問したのは12月のクリスマス前後の週間
その人もクリスマスはワシントン州の妹の家で過ごす為
私とは「4,5日だけ行動を共にしますから」と
前置き、私も往復日時設定の便のため、折角
ここまで来たのだから滞在中は楽しもうと思いながら
その人がクリスマスを過ごす為、別の中国の寡婦を
紹介するから、その人と過ごしてと、
私の滞在中、ご飯の支度をしてくれるから安心してと。
言い残し、その人は身体改善器具を用意して、整体改善
などのクリニックを経営していました。
想定外の寡婦が車であちこち連れて行って
くれましたが、英語に不慣れで、会話練習機で
会話をしながら、過ごしました。
私は元来、乗り物が好きなので飛行機の乗り継ぎは
苦になりません。
妻と出会ったときは、少しオーバーですが
適当な寡婦はもういないのだろう?と思った時期でした。
話を元に戻して、今回は現地の邦人に
ネットワークビジネスを勧誘が目的
毎回、訪イの時は華僑の友人(社長)と
道具は借りてその人とのんびり プレーを
すること、他の華僑の社長との面会、邦人を
除く現地人(一般)との面会ですから
寡婦を探す目的、気持ちは度外視でした。
とは言いましても、在ジャカルタ時代に友人だった
寡婦の人々と面会、食事を、日曜日には8年程通った
ボゴール(雨の街)の教会で礼拝を捧げました。
滞在中、ビジネスの勧誘を終え帰国しました。
この続きはまた、今度に