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妻の事7

2022-02-27 11:24:21 | 日記

今日もまた、妻の話です。

 

妻は高校の時に化学を選択した。

 

彼女の行動は化学の頭で物事を考える

 

スマホをもつようになって長い、

 

スマホは現地で購入したものとd社の二台を

 

使う、コロナで現地へ思うように帰れぬ

 

そのストレスを埋める意味で、毎日

 

故郷の親戚にweb電話で、顔をみながら話す。

 

知らないことはgoogleに聞く

 

私との会話のベースは今まで生きてきた実績に

 

加えてgoogleの知識が入ってくる

 

私は自分の今までの経験や日本の常識で対応する。

 

私が彼女の意見に納得しないときは、ググれというので

 

私もググることにしています。

 

私の知識、経験にもほころびがきている

 

毎日の食事は糖尿病の食事療法に合わせ栄養とカロリーを

 

妻の記憶した,量を毎食、はかりを用いてだしてくれる

 

その点、食べすぎることは無く安心している。

 

時々、外食で旨いからと食べ過ぎてしまう、

 

そうすると胸が焼ける、で薬をのむ

 

私は妻の作ったものをすべて文句をいわず食する

 

主食は測るが副食は自分で調節しないといけない

 

旨いと箸が進んでしまう。

 

毎日、もくもくと炊事、家事、洗濯に忙しく

 

やってくれますが、時々、私が

 

安いと買ってきます、野菜類の処理に

 

腹を立てます。

 

一杯、調理済みの献立が冷蔵庫にあるのに

 

また、重なってしまった。

 

私の調理法ならすぐ処理できるのですが

 

あえてそれをしません。

 

それに対して立腹、そのたびにminta maaf(インドネシア語 ミンタ マアフ)で

 

ごめんなさいといいます。

 

それも今日で終わりにしようとおもいます。

 

再婚、する前は私が主に食事の用意をしていました。

 

それで私の食の傾向を学んだか

 

インドネシアの食事の作り方、日本人に比べると

 

材料の種類も少なく、単調になるのではと思たが

 

いつの間にか、私が作るよりは上手に調理する

 

今では、こんなに料理の幅を持っているとは

 

知らなかった。今では私にとっては有難い存在

 

また、足の裏に薬を塗る、背中に薬を、シップをはる

 

自分にできないことをいつでも頼める

 

頼もしい妻であります。

 

今日はこの辺で、おわりにします。

 

続きはまた、今度に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


妻の事6

2022-02-25 22:35:57 | 日記

前回に続き、妻の事について書きます。

 

意外に思ったことは、

 

私が思っていた、あそこの人たちは

 

一つ:清潔でないような気がする、

 

二つ目は賞味期限なんてあの国は持っているのだろう。

 

しかし、実際は、とても清潔な人たちです。

 

特に日本に来て、私の家が古い事

 

その為か、ゴキブリみたいな大型の虫ではないですが

 

いたるところから出てくる、

 

きれいに洗って、引出しにしまう、その中に出る

 

ナイフ、フォーク、スプーンは蓋がしっかりしまる箱に入れる

 

冷蔵庫で保存するものも、テーブルの上に置くもの

 

全て虫が入らないようにタッパーウェアのような陽気にしまう。

 

生ごみは匂いが部屋の中に充満しないように、

 

毎回、ポリ袋に入れて縛り、ダストシュートに捨てに行く、

 

洗濯も貯めないで、洗濯籠がいっぱいになると

 

洗濯機を回す、きっちり乾いているが

 

アンダーシャツ、ステテコ、パンツ、ワイシャツ、長袖、半そでの厚手のシャツに

 

アイロンをかける、アイロンのかかったシャツにそでを通す

 

きもちがいいものです。

 

人の性格にもよると思うけど、整理整頓がうまい。

 

二つ目の意外なことは賞味期限、1998年~2009年まで私は現地で仕事をしました。

 

その時、購入する食類で賞味期限を気にしながら買った記憶がない。

 

日本だけの話だろうと、無神経であった。

 

妻が東京に住むようになって、

 

家に在庫してあった、缶詰、コーヒー類の容器を見てる

 

賞味期限を見ていたのである

 

これはもう賞味期限が過ぎているから

 

捨てるべきだ、私は今まで気にしてなかった。

 

食品の賞味期限は守るべきだ、何故ならそれは発がん物質になるからと

 

癌と聞くとびっくりする。2018年の街のクリニックのレントゲン結果に

 

右肺に、左側にない影が映った、すぐ同じクリニック内で

 

CTを取ったら、やはりある。都内でがん専門治療を遣る3病院の一つに

 

紹介状を書いてくれた、そこの医師はこれは黒ですねと画像を見るなり。

 

結局、そこでは手術せず、ほかでやった。

 

妻の説明では、原因は受動喫煙もあるが、賞味期限を気にせず

 

食した結果に原因があるのではないか。

 

癌が痛くもかゆくもない、切除するにもタイミングがある。

 

セカンドオピニオンの医師の勧めで切除、胸腔鏡を体に入れ

 

癌細胞を採取、がんであれば切除のプロセス、

 

調べたら、黒、二人の医師が4時間半かけてリンパに到達

 

していたがん細胞を除去、命拾いをした。

 

それ以来、毎日買う食品は生野菜を除き

 

すべての食品について賞味期限をみて買い料理する。

 

よくお店で今日の何時まで食べられる食品が販売されている

 

そういうものは購入しない。

 

現在私の体は発がん物質から保護されており安心している。

 

この続きはまた、今度に。

 

 


妻の事5

2022-02-23 14:02:36 | 日記

前の記事からの続きです:

結局、7回日本に呼び、新幹線に乗せたり方々へ連れて行った。

 

私も現地に行く機会をつくり数度、渡航しました。

 

話があちこち飛びますが、寡婦を探す、再婚を前提に女性を探すとき

 

ネットのxx倶楽部から色いろ、探して面会を申し込む

 

大体、会って話をすることができたが、

 

一回で終わることもあれば数か月続くことも

 

国内ではメールの交換よりは、会って話をして相手の感触を確かめる

 

意気投合をすれば数か月続いたこともあったが

 

実らなかった。

 

米国の人たちとは宗教を同じくするために

 

キリスト教関係のサイトでメール交換をした

 

日本のように、すぐ会えるということはできないので

 

夏休み、感謝祭、クリスマス前後に現地へゆき、面会していた。

 

妻と出会ったのは、寡婦を探すというより

 

ネットワークビジネスに名前を借りるというスタンスがメインでした

 

相手の年齢が、趣味が、宗教が、教育が、家族構成が云々は度外視

 

でしたが、日本へ呼び、方々へ連れて行く際に

 

色々話がはずんだりしたが、気まずい空気は不思議と生まれず

 

7回とも日本の観光地、特に東京の公園などを気に入ってくれた。

 

話している間に、自分の今まで歩んできた人生や

 

スマトラ島の故郷の家族、ジャワ島とのつながりについてわかってきた。

 

別に驚きはしませんが私との年齢差が27あり、

 

私が逆の立場ならば、おことわりです。

 

今まで仕事で現地に行ったのは数度ありますが

 

現地の人の暮らし、居住してみてわかる生活様式、食文化に

 

違和感を覚えたことがないからラッキーです。

 

コミニュケーションはインドネシア語、英語をまぜて

 

時々インドネシア語(以下、BAHASAと書きます)で話が通じない時、

 

知ってる英単語を使う、私が知らない事が多いい。

 

大昔、英検二級を受けるときに、単語、熟語を学んだが

 

妻によく言われる、これ英語だよ、知らないの?

 

その時は、ほかの単語か、BAHASAで説明、意思疎通をはかる。

 

ヒヤリングも私よりできるので、海外に出たときは任せている。

 

最近は自分でも日本語を覚えたいという気持ちが

 

芽生えたらしく、ネットから毎日勉強をしています。

 

7回目に呼んだ際、東京で生活する気持ちの有無を尋ねた。

 

ではお互い再婚しましょうと、在留届申請、区役所、在日イ国大使館へ

 

公式書類を提出、住民票を入手、今に至るのであります。

 

それまで私は自炊をしていましたが

 

再婚後は一切口を挟まず、作られたものを食べるだけのライフスタイルに

 

私は毎日満足しています。

 

日本に来たら、日本式のやり方でご飯の支度をしてほしいなど

 

私は一切口出しません、妻のやり方で炊飯器で米飯をたき、器によそう

 

それも妻のやり方で、問題はありませんからそのままです。

 

私は一番、気にしているのは赤道直下から少し外れているが

 

雨季と乾季しかない自然環境から四季のある日本へ

 

室内の温度に、寒くないようにしていることで

 

そうは言いつつ、台所に瞬間ガス湯沸かし器を設置していないので

 

数年間、台所用の手袋をつけて食器をあらわせていましたが

 

今年からシンクの下に電気温水器をつけ、お湯を使い洗えるように。

 

今は、東京の生活が性に合ってきたので自分の家とおもって生活

 

年齢差があるだけ、とても活動的、毎日、ウオーキングの日課になって

 

自分の目標を決めてあるいています。

 

日本に来たときは私の体重より多かった、背丈に比べ

 

冗談に10KG痩せたら、現地で乗る車を買ってあげると

 

なんと、それを翌年の区の無料検診で看護師さんから

 

去年と10KG違いますねって驚かれたことがある

 

それ以来、毎日起床すると体重計に

 

乗って管理をするようになっています。

 

 

このつづきはまた、今度へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


妻の事4

2022-02-21 15:02:01 | 日記

前の投稿の続きですが、

 

その人は田舎(スマトラ島の故郷)の叔父さんに可愛がられたの

 

話を前にしました。叔父さんはその人を、大きくなったら田舎で

 

一生を終えるのでなく、都会、当時は首都:ジャカルタで活躍できる

 

様に育てたかったらしい。

 

その為、ジャワ島への中学・高校へ行かせた。

 

高卒後、おじさんの願いを無にした格好で、上級生と恋に落ち

 

結婚した。それから長男が生まれ、4,5年して長女が誕生。

 

話では、結婚後、主人は休学中の大学に復学、卒業、

 

就職のためジャワ島の中部から首都:ジャカルタへ、転住

 

処が、長女が生まれるとすぐ、お酒におぼれたか

 

まともに職に就いたが、職を転々と家庭崩壊へ...

 

母子3人を捨てて他の女性のところに、

 

現地ではこういった話は一杯、どの島の男も、家庭を捨てて

 

他へ種まきに出かけて音信不通となる。

 

働き手を突然、失い、乳飲み子から幼児までを田舎において

 

首都:ジャカルタへ出稼ぎにでる婦人たちの殆どが稼いだお金を

 

田舎の父母、子供の養育のために仕送りするのが当たり前。

 

後に主人の妹がスマトラ島の自分の故郷の近くに住んでおり

 

兄はバタム島で女性と暮らしていたが、病死したとの事を

 

聞き、主人の実家(ジャワ島)へ行き離婚届を出した。

 

私とホテルのロビーで話しをするまで27年間くらい寡婦を。

 

その間、二人の子供を育てるため、スタイリストの養成校へ行き

 

資格を取った。beauty palor(美容院)やホテルのサロンで働き

 

生計を立てていた。

 

前に子供が長男と長女の二人と書きましたが、二人とも誰に似たか

 

勉強が良くできた、長男は高校卒業後ドイツの医学行へ行く為

 

ドイツ語を習い、準備をしていたが、ジャワ島の従妹たちの家に

 

行く途中、夜、車がエンジントラブルを起こし路肩に停車中に

 

トラックにはねられ3人とも即死状態に。

 

いま、残る一人娘はもう30前半だが未婚

 

ダイビング、パンジージャンプ、山登りが大好き

 

高校の時英語のディベートで準優勝、大学から推薦入学を

 

断り、国立大学へ入学後、テレビ局から日系広告会社へ就職

 

その後、大学院コースを修了、昨年からバリ島にある

 

某大学院の助教(日本式)をしながら前記広告会社のプロジェクトに

 

参加、生計を、母親は早く孫の顔を見たいが、本人はその気がないらしい

 

それは世の男性は結婚して子供ができると、自分の親父みたいに...

 

自分は幼少ー小学校ー中学―高校ー大学にい至るまで親父の顔すら

 

知らず寂しい思いをした(類推)。

 

その反動かどうも悪のトラウマを抱えてているらしい。

 

それから、東京の住人になるまで、私はその人を7回。LCCの往復航空券を

 

送り、呼んだ。入国審査官が「あんたはよく日本に来るが何しに来るの」

 

と尋ねられた、そのたびに友人と会うためにと答えたらしい。

 

7回呼ぶ間に、私もジャカルタへ行き、1か月の滞在ビザが切れる前に

 

シンガポールやマレーシアへ出国と再入国をしながらその人の観察を。

 

果たして、この人は南洋から日本へきて住めるのだろうかと考えながら

 

最終的に彼女も日本での滞在ビザの延長の為に香港、マカオに出国し

 

滞在期間を延長、都内を案内、夜行高速バスで数回、広島の妹を尋ね

 

厳島神社や尾道、桃狩りなどに連れて行った。

 

故郷の姉たちや娘からも、また東京へ行くのかと尋ねられた

 

彼女がスマトラ島の故郷へ帰り日本での体験談をしているとき

 

ネット電話で姉から「お前さんは、何度も妹を東京へ... 本気かと」

 

尋ねる声がかかったので、もちろん本気(再婚する意)ですと

 

こたえたら、姉たちや娘の同意を得たらしい。

 

初めに、彼女は幼少時~結婚して子供が大きくなってからも

 

叔父さんに可愛がってもらった。お土産をもらうだけでなく

 

叔父さんがスマトラ島からジャワ島に来たときは、西洋料理を

 

食べさせたり、西洋の文化に触れる機会を呉れた。

 

故郷に居るときも朝食は焼き飯風のごはんが普通、

 

然し、叔父はオートミール、コーンフレックにミルクを掛けて

 

叔母は現地風の食事の傍らで叔父と同じものを食べたらしい。

 

私は、現地にいる11年間の間、低カロリーのためパン食から

 

オートミールを食し、その延長上に今の朝食がある。

 

普通、現地の人は、朝食には焼き飯、焼きそば、揚げ物を食べる

 

然し、妻に関しては案ずることなく、私の糖尿病食(1600kcal/日)を

 

文句なしに食する、納豆以外、刺身、握りずしも大好きな南洋人である。

 

この続きはまた、

 

 

 


妻の事3

2022-02-19 18:08:22 | 日記

昨日の投稿の続きで、

 

私が妻と出会った時の、私の状況は下記の通りです。

 

当時の私は、初婚の妻を2000年にがんで天へ

 

2009年に浦島太郎が通算現地系、日系を含む6社で

 

アドバイザーの経験し帰国しました。

 

その前後から再婚をしようとおもい内外のサイトで

 

最終的には寡婦を探す目的でメールサイトに登録

 

内外の国を訪問、多くの寡婦と面会しましたが、

 

心身共にcocok(ちょちょっく、和訳はピッタリ)した

 

人には遭遇しませんでした。

 

何故、海外迄出かけたか?それはサイトに出稿された写真の

 

本人を確かめるために、大体寡婦の人はご自分の若い時の

 

写真をのせています。テネシー州の空港ロビーで、

 

サイトにあった写真の人と2,3回すれ違っていましたが

 

人と待ち合わせしていた人は私の他に居ませんでした。

 

3回目くらいすれ違った人に、もしやあなたはMs ○○さんですか

 

微笑を浮かべて「はい」と返事が、

 

唖然としました:全く別人でした。

 

ちょうど訪問したのは12月のクリスマス前後の週間

 

その人もクリスマスはワシントン州の妹の家で過ごす為

 

私とは「4,5日だけ行動を共にしますから」と

 

前置き、私も往復日時設定の便のため、折角

 

ここまで来たのだから滞在中は楽しもうと思いながら

 

その人がクリスマスを過ごす為、別の中国の寡婦を

 

紹介するから、その人と過ごしてと、

 

私の滞在中、ご飯の支度をしてくれるから安心してと。

 

言い残し、その人は身体改善器具を用意して、整体改善

 

などのクリニックを経営していました。

 

想定外の寡婦が車であちこち連れて行って

 

くれましたが、英語に不慣れで、会話練習機で

 

会話をしながら、過ごしました。

 

私は元来、乗り物が好きなので飛行機の乗り継ぎは

 

苦になりません。

 

妻と出会ったときは、少しオーバーですが

 

適当な寡婦はもういないのだろう?と思った時期でした。

 

話を元に戻して、今回は現地の邦人に

 

ネットワークビジネスを勧誘が目的

 

毎回、訪イの時は華僑の友人(社長)と

 

道具は借りてその人とのんびり プレーを

 

すること、他の華僑の社長との面会、邦人を

 

除く現地人(一般)との面会ですから

 

寡婦を探す目的、気持ちは度外視でした。

 

とは言いましても、在ジャカルタ時代に友人だった

 

寡婦の人々と面会、食事を、日曜日には8年程通った

 

ボゴール(雨の街)の教会で礼拝を捧げました。

 

滞在中、ビジネスの勧誘を終え帰国しました。

 

この続きはまた、今度に