ハニカム薔薇ノ神殿

西南戦争の現地記者の歴史漫画を描いてます。歴史、美術史、ゲーム、特撮、同人誌の話他

フランス生まれの英国紳士画家

2012年05月25日 | サブカル・同人誌関係
今ではもう全然、そんな事はないのですけど
丁度今から5年くらい前、行き詰まってた時がありました。
ネオロマンスで同人誌をやってきて、まあちょっとネオロマというのは同人誌では特種と言いますか…
あんまり「エロ」でなくても、受け入れてくれるジャンルだったというのもあります。
そんなジャンルの読者さんに甘えてたのか、
ストーリーは無くてもHシーンがあれば売れる、という同人誌と
頑張ってストーリー考えて描いたって、それだけの理由で見向きもされないなんてと、
嫉妬心や挫折感も加わって、どうしてダメなんだろう、なんでわかってもらえないんだと泣き暮らしていたわけですが
丁度、そんな時に、たまだま偶然に
エドワード・ジョン・ポインターに会いました。

墓の前で霊的体験なんて、いよいよ自分の頭はおかしい、とも冷静に思ったのですが
セント・ポール寺院の墳墓の前のベンチで、私は誰に導かれてそこまで行き、何故今そこにいるのかまで
とてもよく「わかった」のです。それを本人に会うと言わずに何と言ったらいいかわかりませんが。

エドワード・ジョン・ポインターは、パリで生まれました。
パリ生まれの英国人画家という事になります。後には、テート・ギャラリーの館長など公職もこなしました。
妻子持ちで、いつも絵を描く時間が無くて困ってたのだとか。

そのポインターは、パリで古典的技法を学びました。
パリの経済は、1960年くらいが丁度ピークで、ちょっと「バブル」だったようです。
ブルジョアはお金を稼ぎまくり、以後は貧富の差が拡大していく。ゾラの小説参考というかんじです。
一般庶民のお金持ちが増えた、という事は、絵画の顧客ターゲットがどこに置かれたか…
さすがフランス革命の国だなあと思うところ。

先日書いた、マネらの「落選者展」が開催されるのが、1863年ですから
あの「草上の昼食」がサロンと別な基準で、庶民が評価したという所で見ていきます。

ポインターは1960年に英国に戻ってます。
その理由に「ついていけんわ…」てのがありまして。
そう、フランスの絵画が、即物的で官能的で、背後の物語を失いはじめた…
難しいんでくだけて言いますと
「エロいだけで中身が無いものばっかり評価されるが、自分はついていけない」というものだったらしいです。

英国に戻ったポインターは、エジプトの奴隷の絵なんかを大パノラマで描いたもので、注目を集めます。
「サロン」だの「ロイヤルアカデミー」だの、学術的な評価ほ持つところってのは、
またこういうと語弊はあるんですけど、やっぱり庶民と価値観が違う…。

だからといって、ポインターはヌードを描かないとか、そういうものではないのです。
おそらく、人物と設定の後ろに、広大なストーリーが存在して、その一場面として描いていた。
それに比べたら、マネのテーマはやはり現実的です。

まあ、これ例えば少女漫画でいうと、「ベルばら」みたいな歴史的かつ教養のある大叙事詩よりは、
現実的に彼氏とのつきあいの事を描く「僕等がいた」「恋空」の方が良い、みたいなものですかね。
ファンタジックでかつ、心理描写もある「やおい」よりは、実際に挿入シーンあってなんぼの「BL」とか

そんな高尚なものお求めになったところで何なのさ、と思うと、実に「文学的」なんてものはとにかくウザい。
一方、文学的がどうのを求めてきた人らには、ただそれだけでしか無いものが、なんとも理想を失ったものに見えて、寂しいのでしょう。


しかし、ポインターの絵は「お高くとまっちゃって権威者にひれふして、庶民を見下した態度で、わかる人にわかるものしかやらなかった」
というものではありません。

おそらくポインターはPRBともある程度の接点を持ちつつ、アカデミックな価値を大衆に向けて開こうとしていた。
だからこそ美術館の館長やったりしたんではないかと思うのです。
当時はたいしたものでなかった、挿絵のスキル向上に努めたのも彼ですし。

英国には、エロ描きたかった画家、ウィリアム・エッティがいますけど
この人はやっぱりアカデミーにはさんざん「不潔で不愉快で英国で最低」と批判されますが
産業革命以後、力をつけてくる大衆にはかなわなんだ。
ラスキンですら、本当にターナーを賛美していたのか、それとも仕事だったのか…
そのあたり疑問あるんですけど。
まあ、とにかく
19世紀末に向かって、どんどん時代は「庶民」に方向が向いていきました。


ポインターは英国に戻って、それはそれで独自の、品格のある作風で勝負しました。
で、それを現代の、庶民である自分が見てフラットでどう思うか…というと
やっぱり、それはそれで「無価値」にはならないと思うのです。
同時に、そのつど対象が誰なのかを見極めながら、どんな路線や価値でいくのか、その選択は作り手に託されているし
どちらかの価値観でなければ、全てが否定されるというものではないと思うのです。
例えば、「美術」として現代美術まで含めた大きなものとして捉えるように
あらゆる作品を「文化」として大きな枠で、国境も格差も全て超えたところで捉えるのなら
選択はあっても正解は無いのではと。

そのあたりを考えられるようになって、ちょっと考え方が変りました。
偏屈はやめよう、しかしポリシーはいくらあってもいい、
違う価値を否定する事が自分を支える事ではなくて、否定なんかでなく「選択」できるポジションにいたい、と。
それを選べてこそ表現の自由ってもんだろうなと思います。

フランスでは19世紀半ばあたりから、どんどん現実的な主題になっていく。
モローやシャヴァンヌは象徴派として聖書や神話を描きますが、なんでかややダーク路線なんですよね…。
そこいくと、もう「シェイクスピアのオフィーリアを描く」と開きなおる英国絵画を見ると
同じ時代でありながら、なんかこう
コミケなら日程が別、「一次創作でダークなゴス路線です」というのと「二次創作で歴史ゲームジャンル」というのに雰囲気は近いかなと思えます。




マネは遠近法をわざと崩しているのだと思いますが、まるで写真のような古典的技法は
やっぱり、これちょっとやそっとの努力や才能ではできない!

写真技術がどんなに発達したって、やはりそこは絵画の持つ独特の魅力というか
ポインター自身の実力、なんだと思います。
 


ポインター「放蕩息子の帰還」

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