嫌いでした。
とにかく、嫌いでした。
親父が、
生まれたのは、親父が、59歳の
時でした、この世に生を受けるのは
ありがたいことです
ただ、生まれてくる場所
環境、選べられません
私は、8人兄弟の末に生まれ
最後の、男の子でした。
その時親父が、59歳でしたので
そのまま五九を名前につけました
ただ、後の7人の兄弟は、きちんと
名前を考えてつけられたように思えます
女兄弟は、最後に代(よ)という字が
つけられていて、男兄弟は、
こちらも、ちゃんと考えられた
名前が、ついています。
何故、自分だけこんな名前をと、
幼い頃に嫌な思いしか
ありませんでした
まずは、親父の歳ですが
回りの同級生とかは、小学校3、4年
の頃は、父親は、30代から40代ぐらいです
私の親父は65歳、今は、65歳と、
いえば、まだまだ元気はつらつで、
老人とは、言えません
ただ、今から40年以上前のこと
やはり、見るからに老人でした。
はっきりいうと、孫とおじいちゃん
の関係です
何が嫌だったというと
この時期、夜になると、そこそこ、往来が、激しい家の前に
椅子を出して、上半身裸で
下はステテコで、1時間程
夕涼みを毎日しておりました
やはり、小さな町のこと
誰か、かれか見ています
「お前の親父、昨日夜、外で裸でいたろ」と、学校とかでしょっちゅう
言われます
更に、自転車屋を営んでいましたが
近くに、電車の駅があり、本来
そこに自転車置き場がありますが
そこは、すぐに満杯になり
又、盗難も日常茶飯事で、
ある知り合いが、親父に自転車置かせてくれと、頼んだところ二つ返事で、快諾をして、預かってたようです
(勿論、1日分の賃料は、もらっていた
みたいですが)
ただ、他の知り合いも、頼みに来て
やはり、快諾をし、口コミで、
増えて、我が家の家の前は、
日中、膨大な自転車の数でした
で、後で聞いた事ですが
殆どお金は貰っていなかったそうです
(貰えて無かったようです)
又、そんな人のいい親父でしたので
パンク修理を、受けるときでも
確か、300円位でしたが
持ち合わせがない人で、後から、持ってきますと、言われると
いいよと、いう返事で
最初のうちは、律儀な人が、
沢山いたみたいで、良かったんですが
後々、踏み倒されても
一向に気にしていなかった
みたいです
かといって、新車が、売れていたかと
いうと、月に1台か、2台程でした
そんな、親父でしたので
家は、借家で、なおかつ傷んだ所は
自分で直す契約だったので、
ぼろぼろのあばら家で、裏の壁には、大きな穴が開いててそのまま放置で、勿論、屋根の補修などせず
雨漏りしほうだい
そんなことからなのか
小学生のある時、あまり遊んだことのない、友達の家に遊びに行った時に
そこの母親に挨拶して
どこそこの息子ですと、いったところ
その友達を別の部屋に呼んで
「あの子は、あまり連れて来るな」と
喋っているのが、聞こえ
直ぐに、そこの家を出ていった
ことがあります。
色々な事を深く考える方では
無かったので余り、気になりませんが
こんな風な扱いを受けて
いま考えると、よくぞ平気だったと、
昔の自分を誉めてあげたいです
運動会とかにも、一度も親父が、
来たことは、
ありませんでした。
又、幼い頃に、親父が、どこかに
連れていってくれた記憶は
皆無です
でも、そんな親父の歳まで
後一年と、なりましたもうじき
定年です
いずれにしても、親父に感謝です。