みーちゃんは、モノを使って、意志を伝える。
私に「遊んで」というときは、モリゾウを最近よく使う。昨日も、そうだ。キッチンで洗い物をしていると、みーちゃんがわーーんわーーん鳴いている。遊んでほしい、という鳴き方だ。で、洗い物が終わって、ふと下を見ると、私の足下にモリゾウが転がっている。
その前は、ベッドに入ったら、わきにぽとっと置いていった。そしてちょっと離れて、じっと見ている。メッセージが伝わったろうか、と観察しているようだ。
でも、デスクで仕事をしているときは、モリゾウより、自分の遊びたいオモチャ(針金か、ウサギのしっぽ)を、おもちゃ箱から引っ張り出して、私の足下に置き、つんつん、つつくことが多い。私の足にわざと絡みながら。
YUMくんに、YUMお気に入りのネズミを持っていってやるのも、必ずしも「これで遊びなさい」ということではなく、「私と遊ぼ!」ということかも。ネズミの場合は決して自分が遊ぶために持ち運びしているのではないのだ。ロフトから持って降りて、ぽんと落とし、一声「わーん」。YUMがやってきて、ニオイを嗅ぐと、すぐ離れてじっと観察、または、ジャレジャレのかっこで、YUMを挑発。
いずれにせよ、遊んでほしいときは、そうやってモノを持ってくるのだ。
つまり、みーちゃんには、すごくはっきりした意志があって、それを伝えるのに、わーんわーんと鳴いても、伝わらないことを知っていて、モノを使って、メッセージを送るということ。
これって、「コミュニケーション」の概念をネコが持ってるってことでは!? ネコが道具を使うということでもある。
このみーちゃんの行動を見るたび、ヘレン・ケラーの「Wa--, wa--, water!」(綴り方、不正確)の一節を思い出す。「モノには名前があるんだ!」という感動のシーン。もしモノに名前があるということが、わからなかったら、永久にまわりの人と意志を通わせることはなかった。
ネコも同じような(ヘレン・ケラー様ごめんなさい)。
昔、にゃんたが小さかった頃、私がいろいろ話しかけると、ふっと行ってしまった。その頃のにゃんたには、人間の声は、雑音でしかなかったのかも。でも一緒に暮らすうち、「にゃんた」と呼ばれて、すっとんで来るだけでなく、うにゃうにゃ自分なりにしゃべって返事をするようになった。うるうるした目は、私の気持ちを探ろうとしていたように見えた。にゃんたも、人間の声が「コミュニケーション」ということに、気づいたのだろうと思う。
こんなふうに、ネコは、ネコなりにしゃべる。
実にいろんな感情や、こうしたいという意志が、はっきりとあるのだ。
ネコって不思議。
私に「遊んで」というときは、モリゾウを最近よく使う。昨日も、そうだ。キッチンで洗い物をしていると、みーちゃんがわーーんわーーん鳴いている。遊んでほしい、という鳴き方だ。で、洗い物が終わって、ふと下を見ると、私の足下にモリゾウが転がっている。
その前は、ベッドに入ったら、わきにぽとっと置いていった。そしてちょっと離れて、じっと見ている。メッセージが伝わったろうか、と観察しているようだ。
でも、デスクで仕事をしているときは、モリゾウより、自分の遊びたいオモチャ(針金か、ウサギのしっぽ)を、おもちゃ箱から引っ張り出して、私の足下に置き、つんつん、つつくことが多い。私の足にわざと絡みながら。
YUMくんに、YUMお気に入りのネズミを持っていってやるのも、必ずしも「これで遊びなさい」ということではなく、「私と遊ぼ!」ということかも。ネズミの場合は決して自分が遊ぶために持ち運びしているのではないのだ。ロフトから持って降りて、ぽんと落とし、一声「わーん」。YUMがやってきて、ニオイを嗅ぐと、すぐ離れてじっと観察、または、ジャレジャレのかっこで、YUMを挑発。
いずれにせよ、遊んでほしいときは、そうやってモノを持ってくるのだ。
つまり、みーちゃんには、すごくはっきりした意志があって、それを伝えるのに、わーんわーんと鳴いても、伝わらないことを知っていて、モノを使って、メッセージを送るということ。
これって、「コミュニケーション」の概念をネコが持ってるってことでは!? ネコが道具を使うということでもある。
このみーちゃんの行動を見るたび、ヘレン・ケラーの「Wa--, wa--, water!」(綴り方、不正確)の一節を思い出す。「モノには名前があるんだ!」という感動のシーン。もしモノに名前があるということが、わからなかったら、永久にまわりの人と意志を通わせることはなかった。
ネコも同じような(ヘレン・ケラー様ごめんなさい)。
昔、にゃんたが小さかった頃、私がいろいろ話しかけると、ふっと行ってしまった。その頃のにゃんたには、人間の声は、雑音でしかなかったのかも。でも一緒に暮らすうち、「にゃんた」と呼ばれて、すっとんで来るだけでなく、うにゃうにゃ自分なりにしゃべって返事をするようになった。うるうるした目は、私の気持ちを探ろうとしていたように見えた。にゃんたも、人間の声が「コミュニケーション」ということに、気づいたのだろうと思う。
こんなふうに、ネコは、ネコなりにしゃべる。
実にいろんな感情や、こうしたいという意志が、はっきりとあるのだ。
ネコって不思議。
手先の器用な子がまずドアを開ける。
その子を先頭に皆、続け~という感じ
手先の器用な子が引き出しを開ける。
小さな手のオチビちゃんが中のものを取り出す。それを加えて一目散に走る奴。
そしてボロボロにする奴。
皆、コミュニケーションが取れているようです。そしてみんな私に怒られないすべをしっています。あどけない瞳でみつめてすりすりされれば私はイチコロ。
猫ばかな私です。