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滋賀県彦根市の稲部遺跡で、古墳時代前期(3世紀中ごろ)の大型建物跡(面積188平方メートル)と鍛冶工房跡23棟
が見つかり、市教委が17日発表した。弥生時代末~古墳時代前期では、邪馬台国の有力候補地とされる纏向(まきむく)遺跡
(奈良県桜井市)の大型建物(238平方メートル)に次ぐ規模。鍛冶工房跡も当時としては国内最大規模で、邪馬台国から
大和政権成立期に一大勢力が存在したことを示す資料といえそうだ。[2016.10.17 20:52]
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つまらないテーマでしょうが、わたくし、かなり若いときに纏向(まきむく)遺跡が見たくて奈良県の桜井市まで
行きました。
邪馬台国ということもありましたが、卑弥呼の遺跡を見たかったのです。
限りなく“卑弥呼”のイメージが膨らんでいたのです。
結果は、なにもありません。小さな小山があっただけでした。当たりまえと、今は思いますが。
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稲部遺跡、滋賀 彦根。クニのひとつか。弥生から古墳時代にかけて。[10.17.1ch.23:00-]
「稲部(いなべ)遺跡」滋賀県彦根市稲部、彦富両町。
最も大きなものは、古墳時代前期の3世紀前半ごろに造られたと見られる縦16メートル、横11メートルほどの建物で、
柱を据えた穴の直径は最大で1.5メートルに及んでいる。これは、この時期の建物としては、奈良県桜井市にある邪馬台国
の候補地の1つ、纏向(まきむく)遺跡の建物に次ぐ大きさだということです。
大阪大学大学院文学研究科の福永伸哉教授は「国内のほかの地域だけでなく、海外とも交流していた大きな地域勢力で、
中国の歴史書『魏志倭人伝』に記述のある、魏と外交を行っていたとされる30のクニの1つであった可能性がある」と。
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邪馬台国が、ヤマトにあったか、九州・ハカタあたりだったか、そんな論争の真っ最中でしたね。
「邪馬台国時代、彦根に一大勢力存在か」 これが今・現在のテーマの視点なんでしょうか。
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