“ その1”(9/22) の最後で、“つげ義春さんと水木しげるさん”を浦沢直樹・
浅野いにお両氏が取り上げていました。
このおふたりはあの“ガロ”からですね。ガロといえば、白土三平、つげ義春、
つげ忠男、水木しげる、滝田ゆう、などの名まえが簡単に上がります。
ここに触れますとまあ、キリがありません。が、少々引用いたします。
若いころのつげ義春さんと思われます。
『1960年代最後から、70年代にかけて、つげ義春という漫画家は漫画を本気に
なって読む人間にとって、自分自身の生き方を問われるような奥深い意味を持つ漫画を
次々に発表する、目がくらむような人間だった』。
これは、雁谷哲さんの「つげ義春と私」からです。「2014-04-09」とありますから、
最近の書き出しなんでしょうか。
つげさんはこんな風にもいわれています。「ガロそのものを象徴する作家であったでしょう。
不条理や純粋な夢を最初に漫画化した人といって良い」と。
水木さんは、こうおっしゃっています。『日本に随筆マンガともいうべきジャンルを確立した
のである』と。(水木しげる入門・つげ義春の話 2010.8.8.)
ピンあまくて、すいません。出遭った頃を想い出します。
つげさんの絵かは確認できません。
「ねじ式」が発表されたのは1968年です。
「風景が物語を紡ぎだす」のテーマに戻っていいますと、つげ義春さん、水木しげるさん、
あたりから「緻密な風景画が物語を紡ぎだす」といってよいのではないか。
漫画文化に与えたガロ連中の影響は、“大人化”、“ジャンルの多様化”といった
ところでしょうか。テクニカルな面でいえば、“緻密化”、“劇画化”(?ちがうかな)
ということか。
水木しげるさん。“ゲゲゲの女房”などに辿りついていらっしゃる。
今は、つげさんも77歳です。(この写真はそうだと思われます)
ガロ連中の影響力は、やや限定的な印象を持ちます。わたくしの言いたいのは、
つぎの大物です。
『 大友克洋 』さん。
つづく。
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