囲碁ヨロシクね! 「なは一碁会」活動日月曜日18:45~  「ほしぞら子ども一碁会」活動日毎週土曜日13:00~

頭がよくなるコミュニケーションゲーム「囲碁」で広げよう、友達のWA!
みんなが先生、みんなが生徒! 

今日の「なは一碁会」(11/30火)

2010年11月30日 | なは一碁会
 なは一碁会は、那覇市の久茂地公民館で、毎週火曜日 夜7時から9時にかけて、活動しています。
 誰でも参加自由の囲碁サークルです。会のモットーは、「全員が先生、全員が生徒」、囲碁の普及と棋力の向上を目指しています。

参加者は、六段の私(平良)、2級、6級、9級、10級、12級の6人でした。
それぞれ2局ずつ対局し、結果から 2級の人は1級へ、10級の人は9級に昇給しました。


毎週火曜日の夕方7時から9時まで、久茂地公民館5Fゆり室にて、「なは一碁会」は活動しています。

 今日の参加者は、私(平良六段)と宮城1級、野原6級、喜納9級、大嶺9級、比嘉7級、田港12級(会長)の合わせて7人でした。

 最初に、久しぶりに来ている女性の喜納さんと打ちました。9子を置いての対局です。部分的には、良い手を打つようになっていますが、どうしても前の手を生かして継続して良い手を連続することがまだできていません。「ツケにはハネよ」「切りちがい一方ノビよ」をケースごとに教えました。

 続いて、宮城1級と打ちました。今までは、7子でしたが、昇級したので6子での対局です。宮城さんは、危険を察知して、厚く守ることはできるのですが、石が競り合ったときに守りを優先してしまい、突っ込みが不足しているところがあります。あと一歩で初段であり、部分的に相手を楽にさせないうち方を教えています。

 囲碁は、序盤の布石感覚、定石の選択、中盤の戦い、死活、手筋、読み、終盤のヨセと、それぞれの要素から成り立っており、年齢が上がってくるとどうしてもヨムことがおっくうになってきます。ですから、手筋や定石にしても、3手しか教えていません。3手なら覚えることもできるだろうとの思いからです。

 今日全員に教えたのは、4の線にある黒の石に白がツケたときは、怖がらずにオサエること、「ツケにはハネよ」です。「怖くても、まずオサエること」囲碁の基本の一つです。
 

総会(12・14)のお知らせ (再)

2010年11月29日 | なは一碁会

なは一碁会の総会および忘年会のお知らせです。

日時 2010年12月14日(火)

   午後7時から久茂地公民館で囲碁を打つ 
   午後8時から公民館向かいの「あっぱりしゃん」で総会・忘年会


なは一碁会は、平成3年の10月に発足で、毎年この時期に、総会および忘年会を開催しています。
総会といっても。役員の交代の確認を確認するぐらいで、会長が続投ならスムーズにいきます。

この19年間にいろいろな人たちと活動してきましたが、仕事や家庭などの都合で活動をやめている
皆さんの中には、一年に一度、この総会・忘年会だけには来てくれる人がいます。

忘れていないことに感謝です。

2010年は、田港会長のもと、囲碁入門講座を2月と6月、級の認定大会を8月と11月に開催し、
新聞にも募集を載せてもらいました。定期的に活動しているのが、6人ほどですが、あと4人は活動
者を増やすことを目標に活動することを、みんなと相談していきたいと思います。


変わらない手段

2010年11月29日 | 囲碁エッセイ
 那覇高校時代は、ほぼ毎日囲碁に没頭していました。そのかいもあり、高校3年の6月には、三段になっていました。

 その時の高校囲碁選手権沖縄大会に、私は、三段で出場し、午前中の認定戦(手割制)のときも好調で、他校の4級の人にも
白番で6子を置かせて、勝利するなど好調でした。

 しかし、午後に行われた、互先の個人戦において、その6子を置かせて勝った相手と対戦することになりました。6子置かせて勝ったのだから負けるはずはないと思ってのぞみました。しかし、負けたのです。相手は、黒番で2隅を目はずしに置く変則な立ち上がりでした。どう打っても勝てるだろうと思ったので敗因でした。いつの間にか苦しくし、最後は負けてしまいました。

 互先であろうが、置き碁であろうが、正しい手を打ち続けることができるかどうかで、結果はおのずとついてきます。相手が自分より相当強くても、また弱くても、相手がだれであろうと、常に盤上におかれているお互いの石どうしを、最大限に働かす次の一手を追い求めて行こうと思います。
 

3人で成長した高校時代

2010年11月26日 | 囲碁エッセイ
 那覇高校の囲碁クラブに一緒に入部した仲間は、私を含め3人いました。一人はK、もう一人はT、二人とも入部した時点では、私よりも強く、当面この二人が目標でありライバルでした。

 誰でもそうだと思いますが、囲碁を習い、手筋を覚え、相手のミスではなく、自分の自分の力で相手の石を取ることができるようになる、7級前後が一番楽しく、障子のような縦横の線があるものを見るだけで、白・黒の石が見えてくる状態です。自宅で、自分で紙に書いた碁盤の上に、何度も定石を並べたり、毎日囲碁が打ちたくて打ちたくて、しょうがない時代です。

 そうした状況もあり、ライバルとともに一緒にクラブ活動を行い、一緒に強くなっていきました。高校二年のときの高校囲碁選手権大会、私の記憶に間違いがなければ、3人ともに2級で出場しました。私は、級の認定戦(手割制)で成績が良かったことから、全国大会派遣のチャンスを与えられました。

 チャンスといっても、相手は、普段4子を置く先輩、大会派遣がかかっていますので、当然互先で打ちます。普通なら、とてもかないません。しかし、そこは一発勝負の面白さ、全力でぶつかっていった結果、相手の油断もあったのでしょう、私は勝ってしまいました。

 この大会で好成績を収め、私は初段に認定されました。若さの特権でしょうか、一日で2目も強くなりました。大会直前まで、いっしょに昇給し、互先で打ち合ってきた3人も、大会以降、私が常に白を持つようになりました。

 

囲碁への興味をもったころ

2010年11月25日 | 囲碁エッセイ
 私が、子供だった頃(40年以上前)、街の散髪屋さんには、碁盤が置いてありました。それを見て、なんとなく囲碁に興味がありました。そばで見ていて、囲めば石がとれるんだということを知りました。子供同士で、石を並べて、真ん中に黒石を置き、その横に白石を置き、石を取ろうとろうとして、取れなくて、また最初からといった遊びをしていました。
 その頃は、呼吸点を囲めば、石が取れることは知っていました、陣地を囲うゲームだということは知りませんでした。

 私の通っていた寄宮中学では、授業の一環で、週1回のクラブ活動があり、生徒は、何か一つ選択することになっていました。中学1のときは卓球、中学2年のときは、将棋クラブを選択しましたが、囲碁への興味がありましたので、中学3年のときに、囲碁を選択しました。
 顧問の先生が1からルールを教え、13路盤でそれぞれ対局を行う形式でした。中学を卒業するまでに、12級程度にはなっていたと思います。

 那覇高校に入ると、学校に囲碁クラブがありましたので、迷わず入部しました。記憶が定かではありませんが、一番強い3年の先輩が初段程度で、私を含め全部で12名程度のメンバーでした。そのころ、「打ち込め、青春」をスローガンに、全国高校囲碁選手権があり、みんなで男子・女子の団体戦の優勝をめざし、囲碁を打つ毎日でした。個人戦は、下地玄昭(現在プロ六段)さんが、アマ四段で一番強く、その年の全国大会で優勝をしました。私は、地方大会に10級で出場し、認定戦(手割制)の成績により、7級に昇給しました。面白いもので、大会の直前まで、2子を置いていた先輩に対して、その日を境に、互先になりました。大会の1局1局を真剣に打つことにより、1日で、本当に2級もステップアップしたようです。
                                      
                                      (続きは、次回)

ノゾキにつぐべし

2010年11月23日 | 棋力向上
 一間トビを覗いたときに、皆さんはどうしていますが。

 当然つぐと思いきや、つがない人も結構います。とくに、3級~3段ぐらいの人に多いような気がします。

 つがない理由として、相手の思うどうりにならないように、反発することを考えるみたいですね。
 私も、四段ぐらいまでは、そうでした。とにかく相手の思うとおりにはならないぞ、逆に反発することばかり考えていました。

 しかし、厚く打つことの大切さを知り、初心者に対して「自分の石は、まずつなぎなさい」と教えていることもあり、まずつなぐことから考えるようにしていますし、つないで悪い場合がほとんどありません。

 30年前の「新格言」という本の中で、「ノゾキにつぐバカ、つがぬバカ」という新格言がありました。
 まさしく、「ノゾキには、まずつなぐことを考える、つないで悪い時には、つがないことを考える」ということではないでしょうか。

 のぞかれたら、皆さんはどうしていますか?ツグことから考えてみませんか。

女子バレーと囲碁

2010年11月14日 | 囲碁エッセイ
日本女子バレーボールチームは、昨日のブラジル戦は、テレビで応援していました。第二セット25対25のジュース、打ち合わせがあるのでそろそろ出かけないといけないのですが、出るに出られません。そして、35対33で第2セットも連取、これはいけると家を出ました。結果を気にしつつ家に戻ると、なんと3-2で逆転負けになっていました。悔しい気持ちを後に引くこともなく、引き続きのアメリカとの対戦、昨日と違ってアメリカが先にリードし、日本が追いつくといった展開。最終セットは、日本が勢いのまま、3-2で勝利しました。おめでとう日本。やったねニッポン。日本チャチャチャ、ニッポン!

 囲碁も国際棋戦では、韓国、中国に差をつけられています。30年前は、日本がトップでしたが、それが逆転されました。

 女子バレーは、体格の違いを、サーブ力とレシーブ力を鍛えることにより、世界No1のブラジルにはあと一歩、世界N02のアメリカには勝利しました。フロックではなく実力の勝利と認められています。韓国は若手が研究熱心で韓国で研究された手が、日本ではやったりもしています。

 私は、自分が強くなるよりは、囲碁を普及することに力を入れていますが、研究を怠りなく、常に強い日本でいてもらいたいと思います。

 囲碁をスポーツ競技として、アジア大会で採用されていますし、将来はオリンピック種目になるかもしれません。個人戦として、だれが一番強いかにも興味がありますが、団体戦でどこの国が一番強いのかを競うのも、囲碁を復旧するうえで、有効かもしれません。

9路盤のコミ

2010年11月14日 | 囲碁エッセイ
 囲碁の序盤は、一手当り10目で、先手の黒に対して、白が対等になるように、19路盤の互先では、黒6目半コミ出しになっています。

 それでは、盤が小さい9路盤で、同じ段級どうしが互先で打つとき黒のコミは何目だと思いますか。これが、19路盤とほぼ同じ5目半となっています。プロ同士の9路盤での対局では、その5目半のコミを出すために、黒を持つ人は、相当激しくいかないとコミが出ません。
 
 しかし、私の経験上、初心者同士が大会で互先で打つ時には、3目半がいいところみたいです。大会で、初心者クラスを作ってリーグ戦をするとすれば、お互い同じ人と、黒番と白番の2回対戦をさせ、コミは黒3目半でさせています。

 皆さんは、9路盤で打ったことはありますか。けっこう楽しいですよ。9路盤で、5目半のコミが実際出せるかどうか、ぜひ試してみてください。

コミについて

2010年11月13日 | 囲碁エッセイ
 囲碁の序盤は、一手当り10目と言われています。それで、19路盤の互先では、黒5目半コミ出しが長い間採用されてきました。理論上は、5目半が正しくても、統計上、黒の勝率がよいので、近年、黒6目半コミ出しにルールが変わりました。

 コミのない江戸時代は、秀策のコスミのように、先手必勝法ともいうべき手もありましたが、現代のコミ碁によって、囲碁はさらに進化したように思われます。

 ところで、手割戦の場合には、2級差(二段差)の場合に、黒先半目コミ出しとなっています。序盤の一手当り10目が妥当なら、

 10目-5目半=4目半 となるので 2級差(二段差)の場合には、黒先 白4目半コミ出し(逆コミとも言う)が正しいと思います。

 レーティングで細かくコミを設定している碁会所もありますし、こうした研究も必要ではないでしょうか。

なは一碁会 発足について

2010年11月10日 | なは一碁会

 なは一碁会は、平成3年の10月に発足ですから、今年で、満19年になります。

 今から19年前、那覇市の中央公民館主催で、「女性のための囲碁入門講座」が開催されました。
私は、そのときの講師、会長の田港さんは、31人の受講生の中の、ただ一人の男性でした。

 週に1回の10回の講義が終了した時点で、31人の受講生は、24人になり、入門時点で、30級だった皆さんが、終了時には、ほぼ全員24級程度になっていました。
 
 継続して囲碁を習いたいという皆様と、私が前から教えていた女性の人も加えて、毎週火曜日の夕方6時(現在は7時)、久茂地公民館で活動する、那覇市の公民館利用団体では、初めての囲碁サークル「なは一碁会」が発足しました。初代会長は、今と同じく田港さんです。

 名前については、みんなで話し合って、女性が多いことから、苺(ストロベリー)にかけて、「なは一碁会」としました。「那覇」は、ひらがながいいだろうと「なは」にしました。

 なは一碁会は、紆余曲折があって、現在に至っています。ブログで少しずつエピソードを、紹介していきたいと思います。