楽天爺さんの気まぐれ日記

・田舎暮らしを楽しんでいます。

心に響く!!名経営者の言葉No.114

2018-08-29 | 先人の知恵に学ぶ

 PHP『心に響く・名経営者の言葉』
        第7章 先見の明を養う・No.010

「コンピュータはビジネス用として発展してきた。
   別の意味のコンピュータの世界をつくりたい
   というのが僕のエンジニアとしての夢」
   久夛良木(くたらぎ)健 元ソニー・コンピュータエンタテイメント名誉会長(1950~)
   
 久夛良木健は東京都江東区で生まれた。生家は印刷工場を営んでいたが規模は小さく、
代金の回収ができないと即座に倒産という綱渡り的な毎日だった。このときに経験した現
実的な経営テクニックが、久夛良木を単なるエンジニアではなく経営者に育て上げた。
 1969年に早稲田高等学校を卒業し、大学を受験するものの二浪。三年後にようやく
電気通信大学に入学を果たした。1975年に同大学電子工学科を卒業すると、ソニーヘ
入社。第一開発部に所属して、液晶テレビや小型フロッピーディスクの開発を行なうこと
になる。
 これらの仕事を通じてコンピュータに強い関心を持った久夛良木は、1984年に自ら
希望して情報処理研究所に異動。そこで家庭用ゲーム機に着目し、すでにファミリーコン
ピュータを販売していた任天堂と共同開発をスタートさせた。
 ところが、1992年に任天堂が一方的に提携を破棄。役貝会議では「ゲーム機から撤退」
という意見が大多数を占めたが、大賀典雄(当時のソニー社長)を説得してなんとかゴー
サインをもらった。
 1993年にはソニー・コンピュータエンタテインメントが設立され、取締役開発部長に
なった久夛良木は、わずか65名のスタッフでプレイステーションを開発。
ようやく発売にこぎつけ、1999年までに5500万台を販売。ゲーム機市場の主導権を握る
ことになった。
この成功によって、久夛良木は1999年にソニー・コンピュータエンタテインメントの社長
に就任。さらに、その翌年にはソニー本体の取締役にも就任した。
 久夛良木がコンピュータゲームに興味を持ち開発を進めようとしたとき、社内には
「ソニーがゲーム機など作るべきではない」という意見が渦巻いていた。
それを打破してプレイステーショッ発売にこぎつけることができたのは、久夛良木が
強い意志を持ち、努力を欠かさなかったからだろう。

夢を夢のまま終わらせないためには、強い意志とたゆまぬ努力
                     必要だというよい例だ。









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