ひとりぐらし

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現実的ファンタジー

2012年08月03日 23時43分05秒 | 初野晴
『退出ゲーム(初野晴)』読了。
廃部寸前の吹奏楽部のフルート奏者・穂村チカと、その幼なじみのホルン奏者・上条ハルタ。顧問の草壁先生の指導のもと、普門館を夢見る2人に、様々な難題がふりかかる。「ハルチカシリーズ」第1作。
なぜ今まで読まずにいたのかと思うほどドストライクだった。
(以下ネタバレ)














『結晶泥棒』…化学部の部室から、劇薬である硫酸銅の結晶が盗まれ、掲示板には「要求を呑まなければ屋台の食品に毒を盛る」という、恒例の脅迫状が貼られていた。毎年いたずらで済まされる脅迫状、なぜ今年は劇薬までが盗み出されたのか。
脅迫状はやはりただのいたずらで、硫酸銅を盗んだのは別の人間であるという真相。弱小文化部の利害関係など、ミスディレクションが巧い。生物部で飼育していたコバルトスズメが白点病になり、海水魚用の高価な薬が買えない部員が、薬の代用として使用できる硫酸銅を盗んだ。「生物部であったスズメ泥棒騒ぎ」というのは鳥の「雀」ではなく魚のことで、きっちり伏線を張っているあたり、このシリーズを読み始めたばかりの読者にポテンシャルの高さを示している。

『クロスキューブ』…死んだ弟に縛られ続け、他人を拒み、吹奏楽から離れた元オーボエ奏者・成島美代子。彼女の入部を切望するハルタ達は、ひょんなことからパズルマニアだった彼女の弟が遺した、6面全てが真っ白のルービックキューブに挑戦することとなる。
これは公案、禅問答(如拙の『瓢鮎図』があまりに有名)のようなもので、それまでの常識、論理で解けるものではない。
成島の弟は、まず9箇所のブロックに文字を書き、その上に麻布を貼ってジンクホワイトを塗った。その9箇所以外は、同じように麻布を貼って、シルバーホワイトやチタニウムホワイト、パーマネントホワイト、要するに白ければどれでもかまわない。ジンクホワイトの上に油性塗料で重ね塗りすると剥離を起こす。そのようにして答えがあらわれるのだ。
ハルタが解いたそのパズルの答えは、凍てついた成島の心に暖かい春をもたらした。

『退出ゲーム』…表題作。義理の両親のもとで育ったサックス奏者のマレン・セイは、唐突に「本当の両親」や「本当の故郷」、そして生き別れになった弟の存在を知らされ激しく動揺する。彼はサックスを手放し、友人の演劇部長・名越俊也に勧誘され演劇部に入部した。その元サックス奏者にホルン奏者とオーボエ奏者は「恋をした」。やる気のないマレンに演劇の魅力を伝えたいという名越と、魅力的なサックス奏者に入部してもらいたいハルタ達。何気ないチカの提案から、吹奏楽部と演劇部の即興劇対決が行われることとなった。
対決の内容は「決められたシュチュエーションの中、制限時間内にそこから退出する」というもの。ハルタが仕掛けた、「ワンちゃん」という中国人を犬だと誤認させたまま登場させるという叙述トリックには、思わず笑ってしまった。
物語が持つファンタジー性と現実のシビアさとの落差から生まれる、哀しく優しいラストが非常に印象的。

『エレファンツ・ブレス』…思い出を3つの色に置き換え夢で再現するという、発明部のおかしな発明「オモイデマクラ」。それを購入した中学生の後藤朱里。彼女は「誰も見たことがない色」であるエレファンツ・ブレスを再現してほしいという。
ある日突然、後藤には死んだと説明されていた祖父が帰ってきた。祖母を置いて、美術を学ぶためにアメリカに留学したという彼は「エレファンツ・ブレスをみた」という。しかし、彼はどうしても過去を思い出さない。後藤は祖父がどこで何をしていたのかを知るために、「オモイデマクラ」を欲したのだ。
彼女の祖父は、実はベトナム戦争に徴兵されていた。多くのヒトを殺した彼は、それを息子や孫に話さないまま死のうと考えていたのだ。彼がみたのは「エレファンツ・ブレスという幻の色」ではなく「寝息をたてる象」だった。象が安心して眠ることができる場所に、彼は安息を求めたのだ。
印象深いエピソードが、「人間のもとから脱走した象が、群からはぐれた子象を育てる。成長した子象は、彼を育てたその象に残ったままの鉄鎖を砕いた」というもの。
真実を知った後藤と彼女の父は、きっと祖父の鉄鎖を砕いたのだろう。

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